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目を閉じて

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 いつの時代かある国に、(三十歳×魔族系数5)=百五十歳の魔王陛下と、(二十歳×魔族系数5)=百歳の護衛がおりました。二人は歳の離れた兄弟のように仲良く育ったのですが、やがてその絆は兄弟や幼馴染といった括りを越えて、もっと互いをかけがえ無く感じる様になっておりました。


 急ぎでもない報告書にまで目を通し終えた。疲労にずしりと肩は重かったが、それでもまだ往生際悪く視線は机の上を彷徨う。毎晩月が中天にかかるまで詰めていては、そうそう書類も貯まらない。
 空気の揺れた気配に顔を上げたら、書物を拡げていたコンラッドのまっすぐこちらを見つめるのとぶつかった。
 物言いたげなそれを受け流して、それでも執務机の前から腰を上げた。酷使した目も限界だった。
 城の一番奥にある自分の私室までの道のりは引き立てられるような気持ちでありながら――その先を期待している自分がいるから。それがとても嫌だ。
 全てをコンラッドのせいにして。ずるずると流されるふりで。だけどそう仕向けているのは間違いなくユーリ自身だと判っていた。
「遅くまで付き合わせて悪かったな」
 肩越しにそう詫びて、後ろ手にコンラッドとの間の扉を閉じようとするも抑えられてかなわない。それはそんな自分の声が過分な含みを持っているからだ。
 なのに、しょうがないなぁと勿体ぶった態度で部屋に招き入れて。掻き抱かれて胸が苦しくなるほどに嬉しいのに、たしなめるように背を撫でたりする。

 生まれた時からずっと見守って慈しんできた――それが気がつけば綺麗なだけな感情ではなくなっていて。コンラッドが長じるにつれておぞましい類いの執着は膨らんでいった。実の兄のように慕ってくれる彼に、まさか気付かれるわけにもいかず、少しずつ距離を置こうとしたのだけれど。
 よい兄貴分でありたいと無理をしたのが悪かったのだ。すっかり勘違いしたコンラッドは自分の専属護衛を志願してしまった。結局自分も本心では手元に置きたいものだから。近くに居るからこその苦しみも判っていた筈なのに止め切れなくって。
 思い返せばずっと自分の甘さが引き起こしてきたことだ。
 ヴォルフラムとの結婚がいよいよ決まりそうになったとき、ユーリは突然コンラッドに押し倒された。それまで彼に対する邪まな執着を悟られてはならないと、必死に押さえていたつもりだったのに。結局ダダ漏れだったんだろう。
 ユーリはほとんど決まりかけていたヴォルフラムとの結婚を取り止めて、婚約も解消した。
 かといってコンラッドとする気もなかった。ヴォルフとの婚約は恋愛感情というよりはもっと友情寄りの信頼がメインのもっと打算的なものだったけれど、ヴォルフは既にひとかどの男だった。
 コンラッドはいけない。ユーリは彼に刷り込みにも似た係わりを持っている。自我が芽生えるよりもずっと前から彼の中に食い込んでいるのだ。これが彼の意思だと、言い切れるか?
 それなのに突っぱねることもせずに。なんだかんだと言いつつも、その場しのぎで自分に甘くて。
 ヴォルフに対して酷い裏切りをしてしまったことも、コンラッドを歪めてしまっていることも、判っていながら数十年。それでも悔い改めようとしないでいる。 
 コンラッドとの口付けは、いつも背徳の味がする。

 ゆるゆると撫でられて、高ぶっていた身体は宥められていく。
 なめらかに張り詰めるコンラッドの肩越しに、傾いた月が見えた。とても静かな夜更けだ。互いの鼓動まで聞こえそうな。
 もう数時間で夜が明ける筈で、身体だってくたくたなのに、妙に意識はクリアだった。このところずっとあった頭痛もしない。ひどく気分がいい。
 ふと、今なら言えるかもしれないと思った。
「あんたもいつまでもおれの護衛ってわけにもいかないだろ」
 案外するっと出た。ぴたりと止まった背中の手を意識から追い出して、司令官が病気療養に入る駐屯地の名を告げた。
「あんたには物足りないかもしれないけど、まぁ最初だし。ずっとおれの護衛ばっかしてくれてきたから、所謂出世コースっての?全然経験出来てないだろ。もっと早く言ってあげるべきだったんだけど――」
「嫌です」
 コンラッドの切って捨てるような答えに苦笑する。
 蜂蜜みたいな色をした月だった。とろりと垂れてきそうな。
「こんな飼殺しみたいな状態にして、あんたの才能を埋もれさせたくはない。おれのせいであんたの将来を駄目にしたくないんだよ」
 コンラッドの手を探り当てて指を絡める。この手だっていつの間にか自分のより大きくなっていた。ペンしか持たないユーリとは違って、もっと厚くって堅い。剣豪と呼ばれるコンラッドの手だった。
「あなたを守るためだけに俺は剣の腕を磨いてきました。あなたのそばに居なくては意味がない。俺の剣の…俺の意味がないんです」
 指先に口付ける。
 本当に滴ってきそうな月だ。あれも甘いんだろうか。
 エゴで縛りつけてしまいたい。どこへも遣らない。ずっとおれの傍だけに。声に出させない部分は身体の隅々までに響き渡る。
 指先を握りしめる。
「俺が物心ついたときにはあなたはもう魔王だった。あなたは憧れで目標で…でもいつしか俺はその背中を守りたいと思うようになった。変ですよね。あなたはいつだって揺るぎなく立派な王だったのに。なのにちっちゃい坊主がそんなことを願ってたんですよ」
 そっと笑う。
 一滴、月が垂れた。
「おっかしいなぁ。おれはずっとあんたの前では頼りになるお兄ちゃんのつもりだったのに」
 その笑い声に甘えるように、コンラッドが抱きついてくる。
「俺の子供のころからの夢なんですよ」
「子供の夢は夢だろう。叶わないものって相場が決まってる」
「無茶な夢なんかじゃありません。とても現実的だ」
「っていうかそもそもその夢、もう叶ったし。そろそろ次のステップをだなぁ」
 軽い口調で受け流してないと崩壊しそうだった。上滑りする言葉だけであしらっていたら。不意に二の腕を掴んで引きはがされた。
「受けませんから」
 コンラッドが強い口調で叩きつける。
「あなたの護衛以外、どんな辞令も受けません。処分したいならしたらいい。あなたの護衛で居られなくなるなら同じことだ」
 ユーリには向けられたことの無い表情で。それは王を害する者とユーリの間に立つ時のものだった。ぎりぎりと睨みつけられて心が震える。
 ここまで言わせたら満足か。
 未来を全て自分に縛り付けることになったって。本人の選んだことだと笑えるか。
 言葉もなく頷くと、ほどけるようにコンラッドの表情が和らいだ。
 こいつの全てを背負う覚悟もないくせして。手放すこともしたくない。どうしようもなくずるい自分にはきっと天罰が下ると目を閉じる。
 いつしかすっかり包まれるようになった胸に寄りかかる。
 肺にいっぱい詰まった涙がたぷんと揺れた。
 罰を受けるとしても、お願いです。どうかこの男を、おれから取り上げたりしないで――。
 瞼の奥で月が崩れた。


End


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