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嘘も真実も声も言葉も、全部呑ませて

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 イルカのバンドウくんのプールからこっちへ来たのは夏の盛りだった。と、降る雨を窓越し眺めて思う。
 埼玉に比べて随分涼しい眞魔国は、秋が来るのも早かった。特に今日は、朝から続く雨のせいか気温が上がらなくって、今もじんわり寒い。
 せっかく休憩時間をもらっても、外に出られなくってつまらない。造りつけの棚に置かれたグローブに恨みがましい視線を向ける。城の廊下は十分広くって、天井もびっくりするくらい高いから――いやいやいや。
 クッションにぱふんと身体を預けて、だらしなく足を投げ出したら軽いノックの音でコンラッドが戻ってきた。茶道具を乗せたワゴンと共に。
「ありがと」
 慌ててダレていた身体を引き起こす。
 まっすぐ座り直すと、雨模様に引きずられるようにけだるくなっていた気持ちも、少し、しゃんとする。コンラッドの連れてきた紅茶の芳香のせいかもしれないけれど。
 彼の無駄のない、かつ優美な身体の捌き方は、職業軍人であることと前魔王の次男という生まれと――はたしてどっちに由来するものか。理屈っぽい思考はややもすれば見入ってしまう自分を誤魔化すためにすぎない。
 何をやっても様になる男は、お茶を入れさせても、だった。無骨な手でするにも関わらず、陶器の触れる音すら立てずに粛々とサーブされる。迷いのない流れるような動作。湯気の立つカップを目の前に置いて顔を上げた、その薄茶の目とぶつかった。
 じっと見つめていたことを知られるのが怖くて瞬きをした。
「いい匂いだな」
「生姜の砂糖煮を落として甘いから、そのままでどうぞ」
 言われてみれば、生姜の匂いがする。口をつけると熱い刺激が香りに混じる。染み入る熱と甘味を味わうように、そっと目を伏せた。
 コンラッドはおれが見ていることを知ると、お茶のお代わりを注いでくれたり、遠くの資料を取ってくれたり。おれが望んでいそうなことを状況から読み取って、口にする前に叶えてくれる。
 だけど。そんな侍従としても優秀な彼にだって。おれが本当に欲しいものなんて。まさか、わからないだろうけど。
 まぁそんなんで、おれが見つめていいのはコンラッドの横顔だとか背中。彼に見つめていることが知られないような場面に限られていた。
 いつだってそばに、こんな近くに居るのに。
 背中ばかりを追ってしまうなんて随分切ないけど。
 でも心情的にはそれくら遠く離れているんだろう。
 つきかけた溜息を慌てて飲み込んだ。いつだっておれのことを気にかけている護衛は、溜息の数だって数えている。

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 レモンの輪切りが浮かんでいるわけでもないのに柑橘系のすっきりした香りが立つお茶は、バターが滲むしっとりしたケーキによく合うと思った。コンラッドはきっと、おやつに合わせてお茶を選んでくれているんだろう。
 コンラッドの指が伸ばされる。
 彼の目はじっと自分に当てられている。ずっと奥まで見透かされている気がして――怖くなった。自分が彼に抱いている、憧憬以上の気持ちとか。
 なのに目を逸らすことも、疚しいことを暴露しているような気がして出来ない。
 口元に触れられて、パラパラと乾いた感じがして。菓子くずを付けていたのだとわかったけれど、そういう時はどう振舞っていたのか…思い出せなくて。
 彼が何か言ってくれるのを、じっとその目を見詰めたまま待つことしかできなかった。
 薄茶の中に銀の光彩が散る不思議な目を。
 慈しむだけではない存在には、こんな目を向けるのかもしれないと、なぜかそんなことを感じ、自分ではないだろうその対象を憎らしく思った。
 自分にも向けられたい。だけど叶えられるはずもないから――この一瞬だけはそんな勘違いに酔っても…いいだろうか?
 惨めたらしい夢想から我に返ったのは、瞼の縁が熱く潤んだからだった。
 あわてて彼の手から離れた。
「ありがとう」
 自分でそこを擦ると、まだぱらぱらとくずが落ちた。
 声が震えていなかったことに安堵する。
 コンラッドが触れた箇所がずきずきする。
「おかわりはいかがです?」
「おねがい」
 傷の目立つ手が優雅に注いで、随分鼻は慣れていたはずが、またふわりと香りを嗅ぎ取る。
 何事もなかったように空気が戻る。いや、何もなかったのだ。ただ、自分だけが。
 ふとしたはずみに制御を離れ、好きだと言い出してしまいそうな自分が。不安だった。

 □ □ □ □ □

 渡された桃みたいな甘い香りのするお茶は、口に含んでみればまったく甘くなんてなくって。裏切られた期待にわずかなお茶の渋みばかりを感じてしまう。
 こんな熟れたようないい匂いがするんだったら、それなりに充分甘くないと、つらい。
 砂糖壺から三つ落とす。

 香りだけにすっかり惑わされて、それが甘いものだと思いこみそうな自分には。

 つらくて、耐えられないんだ。


End


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