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幼馴染の日

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 歳を重ねて杯を干すペースが落ちたのは、勢いに任せた飲み方に身体がついていかなくなったということよりも。むしろその必要がなくなったからだ。
 逃げ出すように酔いに溺れなくっても、苛立ちと感知しないほどに神経が鈍くなってしまった。
 大抵の物事は噛みつくほどの大事ではなく脇をすり抜けて。見過ごせないほどのことには相応の対処をする術も力も手に入れていた。
 いつからか酒は時間と空気を味わうものになっていた。たわいもない言葉を交わして――笑みも。視線も。
 儀礼と腹の探り合いの酒宴なら今も存在するが、それよりも一日の終わりにあの人と杯を重ねる時間がもっとずっと大切で意味のあるものだったからこそ。今ではすっかり飲酒とは穏やかで満ち足りたものになっていた。 
 こんな遅い時間に自室で持たれる機会においては特に、だ。
 いつになく早いペースで流し込んでる。コンラートとて自覚はしていた。だがどうしようもない。
 語るべき話もない相手では、口は飲むしかしようがない。
 目の前のヨザックはずっとニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。苛立ちと酒とを一緒にして飲み下す。火という名前の通りの液体が胃の腑に流れ落ちて行く。
 たまには付き合えと酒瓶片手に訪ねてきた幼馴染を部屋に入れたのは、今夜はあの人の訪問がないとわかっていたからだ。
 今夜、どころか。黙ってほとぼりが冷めるのを待ったら三日…か、下手したら一週間。
 狙い澄ましたようにやってきたのはきっと、あの人との仲違えを聞きつけているのだとうんざりしたけれど。一人っきりで長い夜を過ごすのも気がすすまなかった。
 ヨザック相手に零す愚痴など持たないが、それでも思わせぶりな視線だけを向けられて我慢が出来なくなる。
「何が言いたい」
「べっつにー」
 含みをたっぷり持たせて否定するのに不機嫌がますます募る。
 憂さを晴らすようにまた杯を干す。
 やはりここは謝り倒して機嫌を直してもらうべきか。味わうこともできない虚しさにそんな考えがちらと湧いて出た。だけどあれは自分は何も悪くないと思う。審議が滞っていて苛つくのも判るが、それが全ての免罪符になると思われても困るのだ。
 あの人の我がままなら何だって聞いてあげたいし、甘やかしてやるのも嫌いじゃないが。何事にも限度というものがある。
 けど。まぁ。あの人があんなぐだぐだになれるのは自分にだけなのだと思えば。ここは自分が折れてやってもいいか、とも――。
 しょうがないかな、とため息をついたら、ぶぐっと詰まったような奇声が聞こえた。ヨザックが肩を震わせている。
 なんだつくづく不愉快な奴だ。
 椅子を蹴りつけたが、まだそれほど酔ってないらしくひっくり返りもせず踏み止まる。
「あぶねーな」
 座りなおすヨザックのニヤニヤは止まない。
「落ち込んでると思って慰めに来てやったのにさ」
「うるさい」
 と言われると思って大人しくしてたのにぃの憎まれ口には鼻の上に皺が寄る。
「大体誰に言われて来たんだ」
 ヨザックの来訪は何処からかの差し金だと考えていた。
「えーっとぉ。宰相閣下閣下と弟閣下。王佐殿。執務室前で捕まった主任秘書官と…さっきそこで近衛隊長にも。それから――」
 うんざりと指を折って数えるヨザックの言葉を押し留めた。
 城のあるじ相手にする痴話喧嘩はどうやっても人の耳目を集めるのだった。遣り切れない思いでなみなみと満たした杯を煽る。
 ユーリを魔王だから愛した訳でもないが、それでも彼を魔王として戴くことは自分の誇りであった。
 そんな彼の立場を恨む気持ちは無いけれども。それでも。
 良くない方へ転がって行きそうな思考を引きとめるべくまた酒瓶に手を伸ばす。
 頬杖ついてたヨザックがそう言えば、と口を開いた。
「言い忘れるとこだったけど。さっき陛下にお会いして――」
 手元が狂って瓶が倒れる。
「あーっ何やって…って空かよ」
 呑気に底を振って確かめているのをひったくった。
「さっきって?!」
「ここ来る前。そこの角で」
「陛下がか」
「ん。ここくるつもりだったみたいだけど、旧交を温めろって。譲ってくださったぜ」
 にんまり笑うヨザックは既に手の届かないだけの距離を確保していた。
 脱力してテーブルに突っ伏す。
「そんで陛下からあんたに伝言。ごめんってさ」
 急に酔いが回ったようにくらくらと世界が揺れる。
 ごめんってさ…ごめんってさ…ごめんってさ
 伝言はやがてユーリの直接の言葉になって、耳元で聞いた気がしたけれど。意識はアルコール臭い闇に囚われて。そのままとぷんと途切れた。


End


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