----------------------------------------

あがなう

----------------------------------------

 就寝前にもう一度警備の確認に訪れると、ユーリはまだ起きていて書き物をしていた。
「まだお休みにならないのですか」
「いや、あとこれだけな」
 ペンを走らせる。手元にはユーリの徽章が浮き彫りにされた上質の便箋。見られて困るふうもないのに、当たり障りのない文頭だけ目をやれば、数日前に舞い込んだ縁談を断る手紙のようだった。
 相手は他国の王家で正式な返答はしかるべき部署が用意することになっていた。それとは別にわざわざ直筆の手紙を添えるらしい。
 王家同士の婚姻なんて、要は同盟を結ぶようなものだ。本人同士の気持ちとは別の部分に存在するものだが、だからこそ断るにしろ慎重な対応が必要だ。
 そんな色々を承知の上で、しかしこの王はこれまでも自らの婚姻を和平や同意の取り付けの為に利用しようとしてこなかった。
 即位してから十数年。次々と国交を開き、友好を結んでいったユーリの元には、ヴォルフラムとの婚約を解消するやいなや縁談が持ち込まれはじめたが。国民を愛し、民の為にと政務に心血を注ぐユーリだが、国益のための婚姻だけは受け入れられないようであった。
 もっとも、恋愛に対して潔癖な部分を持っている彼だから、やはり抵抗があるのかもしれない。
「ユーリは結婚しないんですか」
 今回の縁談はとても良い条件で、ユーリが突っ撥ねても宰相であるグウェンダルはもったいないと溜息を吐いていた。だから少し非難めいた口調になったかもしれない。ユーリは応えず手を動かし続けた。
 黙過されたと思った返事は、ユーリが最後にサインを入れてペンを置いてからで。「あんただってだろ」の言葉を理解するのにしばし時間がかかった。
「俺はいいんですよ。兄弟達のように十貴族でもないですしね。所詮父の代で出来た家ですから」
 家名を残す必要もなければ、そんな面倒は今はいい。
「ふーん」
 気のない相槌を打ちながら、だけどユーリの目が楽しそうに細められたように見えた。
「じゃあさぁ、おれのものになってよ」
 キャッチボールにでも誘うような軽い口調に、今度こそ何を言われているのか判らなくなった。
 何も返せないコンラートに黒曜石のような瞳があてられる。力のある目だ。人を従わせる魔王の目。ユーリの後ろで護るコンラートにはあまり向けられることのないものだった。
 今更言われるまでもなく自分はあなたのものだと――そう答えかけたのを察したかのようにユーリは口元を笑ませた。鷹揚で確信を持つ、支配者のふうに。
「なぁ、おれのものになりなよ。――アルハイム郡をあんたにやってもいい」
 重ねて告げられたのはルッテンベルクに隣接する直轄地の名。それ自体は小さな郷だが反対側の境界を川に接している。アルハイム郡を統合することはその豊かな川の水利権をも手に入れるということを意味していた。
「何を…言っているんですか」
「何って。そういうことだよ」
 物解りの悪い交渉相手を嗜めるような口調で諭されて、やっと、とんでもない相手に口説かれている状況に思い至った。
 確かにこの十数年、国の中枢に放り込まれて揉まれてきた少年の成長には著しいものがあった。いや、そうでなければ魔王の重責に潰されるかお飾りの魔王に仕立て上げられるか。彼が唱える理想の為には我武者羅に成長するしかなかったのだが。
 代償を提示してくるやり方にも戸惑ったが、狡猾とも言える代償の選び方にもぞっとした。
 アルハイム郡を統合といったところで、実際にその土地を知る者でなくてはルッテンベルクに組み込む旨味を正しく理解できまい。直轄領を分け与える承認を十貴族に得るのは、そう難しいことではないだろう。
「…そういうのはあなたらしくないな」
 ああ、ユーリにそうあれと望んだのは自分達だったか。
 だがユーリは怒るでもなく、それどころか愉快そうに声を上げて笑ってみせさえした。
「好きだ好きだ言ったところで、あんたは体よくあしらうだろう」
 好きだって? ユーリが、自分をか? 寝耳に水で――いや、彼がコンラートの事をとても大事に思ってくれていることは判っていたが、しかしそれは。
「だけどこんなオイシイ条件を提示されると、お優しい領主さまは無視できない。領民にもっと良い暮らしがさせてやれるなぁって思っちゃうよね」
 見透かすように細められた双眸にどきりとした。測りかねるユーリの思惑とは別に、確かにコンラートは提示された条件の値打ちを考えた。
「考えざるを得ないだろう。少なくとも可能性を考えることすら放棄して、面倒は御免だなんて逃げられない」
 畳みかけるように続けられて、苦い笑いが浮かぶ。
「参ったな」
 すっかり見切られている。
 確かに突然好きだと直球でこられたとして。間違いなくコンラートは上手くはぐらかすだろう。
 ユーリはコンラートの王だ。コンラートは臣だ。命を賭して仕えるべき相手であって、恋愛の対象ではない。
「おれの事は嫌いじゃないだろ」
 頂く王としては最上。名付け親としても愛しくてならない自慢の子供。臣下の域を越えて親しい年下の友人にしても。護衛というには近すぎる距離でかかわってきたのは、ユーリのことを愛していたからに他ならないのだが。
「だけど俺のは恋愛じゃない」
 ユーリはそのようなことは問題ではないとでも言うように眉を上げただけだった。
「いや、そもそも俺は男です。――それに、そういう対象は女性だ」
「おれもだよ。知ってるだろ」
「だったら、なんで俺なんですか」
「色男だからじゃね?」
 ユーリは考えるでもなくふざけて返して見せたが。元々彼の恋愛嗜好は女性のはずで、こんなとんでもない提案をしてくるまでには、それなりに思い悩みもしたのかもしれない。とはいえ。
「だからそんな面倒な理屈はいいから。アルハイム郡とボートマー川の水利権と引き替えにおれの物になっちゃえって言ってんだよ。そういうメリットあるんだから。それなりに居心地良くなっちゃった今のポジション捨てても――王配なんていう面倒な立場になるのも、そう悪くないんじゃないの?」
 断る理由などないだろうとばかりに、ユーリは手もとの手紙のインクの乾きを確かめる。コンラートは慎重に角を揃えて折るその手元をただ見つめていた。
 混乱していた。どうしてこんなことを突然言い出したのだろうとか、なぜ自分なのだとか。
 抽斗から封蝋の用具を取り出したユーリがそのまま顔を上げた。
「宣下した方がいいか」
 さらりと口にしたが本気だ。
 ここで拒否すれば、公の場で命じると。どのみち、コンラートに拒否権はない。
 跪いて承るべきか。手の甲に口づけるのがいいのか。逡巡して思いついた。
「じゃあ、あなたの個人資産から水路新設の費用もお貸し願えませんか。そうですね…ここはあなたと俺のよしみで年利一割に安くして頂いて。二千ずつくらいならちゃんとお返しできると思うんですが」
 何を言い出すのかとユーリが愉快そうにコンラートを見つめる。
「それって利子しか返せてねぇじゃん」
「だから判り易くっていいでしょう? 借金がある限り俺は紛うことなくあなたのものですよ」
 ユーリは笑って頷いた。
 それは胸が痛くなるくらい柔らかな笑みで。こんな表情をさせられるのならば、ユーリの王配というのもそう悪いものではないかもしれない。



 しばらくしてコンラートには思い出したことがあった。なぜ今まで忘れていたかと言えば、それっきり彼は二度と口にしなかったからだ。やはり気の迷いだったのだと納得したし、彼の為にもいつまでも気にかけるのは良くないと思ったのだ。
 あれはもう十年近くなるか。ユーリが即位して何年も経っていなかった頃のはずだ。ユーリがコンラートにひどく真摯な調子で好意を告げてきたことがあった。
 コンラートは困惑した。婚約者として側に居たヴォルフラムでなく、どうして自分なのかと思った。そして、それまで居たのとはまったく別の世界に放り込まれ、あまつさえ魔王などという重責を背負わされた彼の孤独を慮った。
 当然ながらユーリの周囲に居るのはその臣で、彼らがとてもユーリ自身を敬愛していたところで、ユーリは魔王であることが前提だ。そんな孤独感が、あちらの世界の記憶を共有するコンラート相手に勘違いをしたのだと思った。
 ユーリにはひと時でも王の職務を忘れさせてくれる存在、魔王が個人に戻れる相手が必要なのだ、と――。
 それでコンラートは士官学校の同期との昼食にユーリを誘ったのだ。同期の彼はフォンギレンホール卿の傍系で三十歳ほど年下の妹を連れて来ていて、更にその妹は自分の女友達を二人伴っていた。
 コンラートの企みにユーリはどうだったろう。鼻白んだか、腹を立てたか。それともその作為に気が付かなかったのだったか。
 しかしそのうちの一人とは気が合ったらしく、その後何度かお茶の席に招いていたと記憶している。
 だから、ずっとそんなことは忘れていた。もうずっと以前に、ユーリから愛を告げられていたことなんて。
 コンラートは呆然とした。自分はなんという仕打ちをユーリにしたのだろう。更にそれをなかったものと記憶から消し去ってさえいた。
 後悔と罪悪感に押しつぶされそうになった。申し訳ない気持ちでいっぱいに。だが。
 自然と緩みそうになる口元を押さえて、そう、ここで無邪気に喜んでしまっては、いくらなんでも人として最低じゃないか。


End


ブラウザバックでお戻りください

inserted by FC2 system