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あらしのよるに

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挿入詞 セレナーデ ―愛しのアンブレラ/BUCK-TICK

 春の初めにしては随分温んだ風の日で。どうやらそれは春雷を連れてきたらしい。真っ黒な雲が東の山の向こうに見えたかと思うとぐんぐんこっちへ流れてきて、大粒の雨が落ちてくる。あっという間に強くなってくる雨風をしのごうと、コンラートは森の中に逃げ込んで。そこに打ち捨てられたような小さな小屋を見つければ、運の良さに感謝しながら明滅する稲光に追い立てられるように転がり込んだ。
 古ぼけた小屋を震わせて雷鳴が轟く。耳をジンと痺れさせる音圧の中で、同時にもっと高い音を拾った気がした。すぐそばで。ドロロロ、と空気を震わせて音が引いていくと、無人だと思い込んでいた小屋の中に自分以外の気配――。
 小屋の闇を透かすように目をこらした時、再び板壁の隙間から真っ白な光がびかっと差し込んだ。殺風景な内部の様子が一瞬浮き上がり、黒い塊を見た、と思ったのと、「わあぁっ」っと悲鳴が聞こえたのと、それがどんっ、とぶつかってくるのは同時で。次いで、その悲鳴を打ち消す雷がドカンと落ちた。
 耳をつんざく轟音の中、しがみついてくる塊がびくびくと震える。それがなんとも哀れな風で、コンラートはついつい宥めるように抱きしめてしまう。小柄な身体。湿気った衣服とその下にほの温かい体温。どうやら雨宿りの先客がいたようだと理解する。そして随分怖がりらしい。
 轟が止んで、また耳に激しい雨音が戻ってくる。胸の中の塊がモゾモゾと身じろいで。
「あ…ゴメンナサイっ――その、すっごい雷だったもんだから…」
 少年の声は突然抱きついてきたのを恥じて。慌てて身体を離した。
「いえ、こちらこそ。先客が居るとは思わなかったものですから――本当に凄い雷でしたね」
 くっついていた体温がなくなると、雨に濡れた身体が寒さを覚えた。治りきっていない風邪がこれでまたぶり返すんじゃないか――。そんなことを考えていたら、クシュンとくしゃみが聞こえた。自分ではない。
「あぁ、悪い…すっかり濡れちまったからな」
 ずびずび鼻を鳴らしながら目の前の黒い影が言う。
「俺もですよ。火を焚けるといいのですが」
「あ、無理無理。湿気っててつかなかった」
 先に試したらしい彼がそう言って、またくしゃみをした。
「じゃあ、さっきみたいに――」
 影の方に手を伸ばして引き寄せた。
「――くっついてたら、ちょっとは暖かいんじゃないですか」
 案の定少年はバタバタ慌てる。だけど湿った衣服が互いの体温でぬるまると、そこからじんわり温もりが伝わって。
「だっておれ、風邪ひいてるし――うつしたら悪いし」
 ポソポソ告げるけれど、もう彼もこの温もりを手放すつもりはないようだった。
「実は俺もです。ここ数日すっかり鼻が利かなくなってしまって。だから心配は無用ですよ。むしろこれでこじらせなけりゃいいんですけどね」
「あ、そうなの? だったらさ、濡れた服脱いで直にくっついてる方が良くない? ほら、遭難したらそうするんじゃないの?」
「ええ…まぁ、その方が暖かいでしょうが…」
「じゃあそうしよ。あ、イヤ? 男同士だけど気にする?そんなん」
 あっけらかんとそう告げて、さっさと服を脱ぎにかかっている気配がする。
「いや、別に気にしません――あなたが女性の方だったらもっと楽しかったかな、と思っただけです」
「あははっ――おれもだよっ」
 肩にじっとり湿った衣服を羽織って、肌を直に触れ合わせると、冷え切っていた身体は互いの体温を熱いまでに感じ取る。
 気まずさよりもぬくもりがもたらす安堵の方が大きかった。引きずっていた風邪と春の嵐に追われたことは案外コンラートを疲弊させていたらしく、少年の体温は随分と心地よく沁みた。
「腹が減ったな…」
 寒さが和らげば次なる欲求が出て来たようで、隣のぬくもりが零す。
「そうですね。俺はすっかり鼻が馬鹿になっているらしっくって、さっきから旨そうなにおいがしてるような気がして困ります」
「なんだそれ。ケダモノっぽい発言は。血迷うなよ、おれは女の子じゃねーぞ」
 可笑しそうに少年が茶化す。
「そういう意味で言ったんじゃないですよ。何ですか、さっきは雷でキャーキャー言ってたのにそんなこと言うんですか?」
「なっ――昔っから雷だけは苦手なんだよっ」
「ははっ――すいませんすいま…痛い」
 ぐりぐり肘を入れてくる少年とじゃれあってると、不意にぺたぺたと身体を触られた。
「…なんですか」
「いや、あんた、イイ身体してんだなって思って…――なんかスポーツでもやってんの?」
「スポーツですか…しいて言えば野球ぐらいですかね。たまに」
「えっ、あんたも野球やんのっ?! ね、ポジションは?どこっ?」
 春の嵐に降り籠められた闇の中。小柄で体温の高い、雷は苦手だけど臆病じゃないらしい、野球好きのユーリと名乗る少年と――語らい。自分の随分と楽しい気持ちに気がついたのは、雷は随分も前に去って、雨音も弱まったころだった。
 人に対して不快に思われない程度に、それでもきっぱり一線を引いて、決して内に立ち入らせない自分が。この見ず知らずの少年には何の壁も作らずに対して――しかもそれを心地いいと考えている。そんなことに気がついて。不思議な気持ちがした。
 人とはひとりで生まれてきてひとりで死んでいくものなのだと、そう思ってきた。一時誰かと寄り添うことがあっても、それは所詮その場限りのこと。違う個体である限り、魂まで預け合うような慣れ合いはあり得ないのだと知っていた。中途半端に凭れ合うような関係は気疲ればかりが強くて。だから出来るだけ他人には踏み込まないように、踏み込ませないように生きてきたのに。だからこれまでにない経験に、戸惑いすら湧き起こった。
 急に黙り込んだコンラートをユーリは気遣う。
「どうかした? いよいよ腹が減ってきたのか? それとももしかして風邪の具合が…」
 手探りで額を探って熱を測ろうとする手を留める。きゅっと手の中に握りこんで、何故かそれがひどく大切なもののような気がした。
「いえ、こんな嵐に遭ったのは災難だったけど…ユーリと知り合えて…話せて良かったな、と思って」
 口をついて出たのが、いつもの社交辞令ではなくって。同じような言葉なのに、それがもたらす胸がじわりと震えるような心地に狼狽はより深くなる。
「おれも…楽しかったよ、コンラッド――な、明日、晴れたら一緒にキャッチボールしないか――あ、そんな急にあれかな、忙しい?」
 とっさに離してはいけないと思ったのはこの手か。それとも――。
「ええ、しましょう、したいです。明日、晴れたらあなたと」
 ひょっとしたら、この人となら。ユーリになら、魂まで預けて――そして裏切られてみてもいいのかもしれない。
 視覚を奪われた闇の中、もとより嗅覚は利かなくって、耳に届くのはかすかな雨音ばかり。そんな閉ざされた空間だったからこそ、分かち合うぬくもりに何か特別なものを感じるだけなのかも――しれないけれど。

oh 恋は幻 通り雨 過ぎる刹那のonly you
oh Baby 今夜 銀河の片隅で
oh yeah 出会った奇跡さ 愛しの君アンブレラ

 昨夜の雷は春の訪れを告げるファンファーレであったようだ。一転、今日は明るく晴れた空になった。心地よい風には花の香まで混じるようで――そういえば風邪をこじらせることはなく、どころかずっと具合の悪かった鼻もすっきりしてにおいを知覚している。
 これもユーリの機転のおかげかもしれない。実際、昨夜あそこに彼が居なければ、自分は独りで凍えて、今頃はひどいことになっていただろうから。
 会ったらまずお礼を言って。それから――それから――
 春の陽気に浮かれるような心持ちでコンラートは森の奥、昨夜の小屋の所までやってきて。くん、と鼻を掠めた芳しいにおい。
 本能をぞわりと撫で上げる。全身の交感神経をざわめかせる――餌のにおい、を知覚した。
 目を伏せて臭覚に集中する。自らの気配をころし、においの元を辿って張り巡らせた神経で獲物を探る。
 捕食に高ぶる本能と、狩りにどこまでも沈着になれる部分が、整然とコンラートの中に混在する。張りつめた均衡で。
 においをたどり、急くこともなく確実に距離を詰め、獲物に接近する。
 黒いヤギだった。まだ完全には成人してはいない、柔らかそうなヤギ。
 コンラートは灌木の陰に身を潜め、じっとその時を見極める。
 ヤギが、ぴくっと耳を震わせた。
 ――今だ。高めたものを解き放つ。ぎりぎりと引き絞った弓を開放するように。飛び出す矢のように。獲物に襲い掛かる。
「コンラッド?」
 黒いヤギはなぜか自分の名を呟いた気がした。が、跳びかかる自分の姿を認めると恐怖と混乱に顔を引きつらせ。
 逃げようともんどり打ったがコンラートがその肩を掴む方が早かった。勢いのまま地面に押し倒し、喉元を押えた手に力を込める。
 逃げる間もなく捕獲されて、ヤギは悲鳴すら漏れない口元を戦慄かせている。こぼれそうなくらいにその眼を見開いて。しかし――。
 押さえつけた身体の小柄さ。高い体温。
 先ほど聞こえた自分の名前を呼ぶ声は幻聴だったのか。
「ユーリ…?」
 まるで悪い夢でも見ている気分で、喘ぐように洩れたコンラートの言葉に、死を覚悟した硬い眼が揺れた。
「…コ…ンラ――」
 掌の下の喉が震えて、慌てて力を緩めた。
「そんな…コンラッドが…――オオカミだなんて」
 昨晩、身体を寄せ合って共に嵐をやり過ごした相手が…雨に降り籠められた闇の中で、まるで心まで触れ合わせるかのような心地よさを感じた相手が、捕食対象だったなんて――。
 まるで冗談や洒落のような状況に。何も考えられなくなっている意識の片隅では、ユーリがヤギらしく死に物狂いの抵抗を見せてくれたら――或いは、哀れっぽく命乞いをしてくれたら…自分は迷わずその喉笛に喰らいつくだろうと思っていた。
 地上の張りつめた空気など知らぬげに、青い空の高いところでヒバリが鳴いている。
 本当はそれ程の時間は経っていないのかもしれない。けれど喉がからからに干上がるくらい、随分長く感じる膠着を破ったのは。
 クシュン。
 昨夜のようにユーリのくしゃみで。
「風邪、治らなかったんですね」
 コンラートはまるで憑き物が落ちたような気分で、縫い止めていた身体を離した。ユーリの腕をとって引き起こす。
「コンラッドは元気そうだな」
 ユーリはまだかすれる声でそう返した。そしてちょっと笑った。やっぱすげー身体能力だな、と。
 ユーリの衣服に付いた草を払ってやりながら、コンラートが感じていたのは安堵。それで、この判断は間違いじゃないと思った。

例えば 私 毒持つ産毛の虫になったら
あなたの陰で思っていよう Baby don't you cry

oh Baby こんな 銀河の片隅で
oh yeah 出会った奇跡さ 愛しの君アンブレラ

 もう来るはずなんかない、わかっていた。だから決して行くまいと思っていた更に翌日の待ち合わせ。
 昨日ユーリが、自分がオオカミだったことなど大したことでないように一緒にキャッチボールしてくれたのは、怯えたそぶりなど見せたらそのとたんに喰われてしまうとわかっていたからだ。現にコンラートは始め、少しでもそんな素振りを見せたらその途端に喰らいつく気でいた。
 だから昨日ユーリは何ともないふりで接して、次の約束まで交わしてくれたけれど。のこのこやって来る訳がない。ユーリは上手く自分を誤魔化して喰われるところから逃げ延びたのだから。
 雷に怯えながら臆病ではないと自分で言っていたユーリだったけれど。どうやらそれは本当だったみたいだ、とコンラートは思う。コンラートがオオカミだったことなど、これっぽちも気にしていないふりで。笑顔まで見せて。まったく勇気のあることだ、と。
 そうやってオオカミから逃げおおせて、まさか今日やって来るわけなんてない。もし、本当に約束の場に現れたとしたら…――それは単なる馬鹿か、もしくは罠だ。もっともヤギが何匹かかったらオオカミを打ち負かせられるのかは知らないけれど。
「あ、コンラッド! 遅かったから時間間違えたかと思ったぞ」
 ただの馬鹿なのか。それとも喰ったら当たる毒を持つタイプなのか。
 今日は丘の向こうまで行ってみないかと、笑いかけるユーリを見ていると。コンラートはあれこれ思い煩っていた自分こそが馬鹿のような気がしてくる。
 だけど。ヤギ、なのだけれど。

もっと近寄って 顔を見せて 目を閉じるまで
yeah Baby くちづけを交わそうよ

oh 恋は幻 通り雨 虹も羨むI love you
oh Baby 今夜 銀河の片隅で
oh yeah 二人は出会った 愛しの君アンブレラ

 コンラートがオオカミであることなど、何も気にしてはいないようなユーリと、ユーリがヤギであることをずっと気にしながら、それでもおくびにも出さずにいたコンラート。
 だけど共にいて楽しいという点では美しく一致していたらしく、毎日毎日友情を育んでいた。
 そんなある日。
 今日は何をして過ごそうかといろいろ思案しつつ、ユーリの元へ駆け寄ると。
「あぁ、おはようコンラッ…」
 言葉を途切らせ、ふるりとユーリが身震いした。口元を覆ってコンラートから顔を背ける。具合でも悪いのではと心配になって覗きこんだら、真っ青な顔色。
「どうしました?――もしかして…まだ風邪が治り切っていないんじゃないですか?」
 思えば出会った嵐の晩からこっち、毎日のように会って――ゆっくり養生させてやるべきだったのかもしれないと今更になって思い至るコンラート。
「なんだったら今日はもう家までお送りしましょうか」
 ユーリは一歩後ずさって、そしてそんな自分の行動に気がついて硬直した。
「ユーリ?」
 どうも様子がおかしい。ユーリは血の気の引いた顔でかたかた震えている。
「具合が悪いんだったら本当に――」
 伸ばした手にびくりと身体を震わされて、その手が宙に浮いた。
 しまった、という表情がユーリの顔に浮かぶ。視線が伏せられる。
「ごめん…そうか、コンラッドはオオカミだったんだね」
 力ない声で出たのはそんな今更の事実。
「どうしたんですか急に。急に俺が――怖くなった?」
 コンラートはユーリに拒絶された手を身体の横でぎゅっと握り締めた。そうしなければ声は無残に震えてしまいそうだったから。
 ユーリはためらいを見せながら、でも確かに頷いた。
「ここ暫く暖かいしさ――」
 それからまるで関係なさそうな天気の話。
「――ずっとぐずぐずしてた風邪もやっと治ったらしくって――」
 ユーリはそうっと目をあげてこちらを見る。ハの字の眉で唇の端が震えている。
「――においがわかるんだよっ」
 ぽろっと情けない形の眉の下から涙が落ちた。ぽろぽろぽろ。何かを堪えるように唇を噛みしめて。
 上を向いたって、そこまで溢れてしまった涙は戻らないよ――。
 また逃げられるかもしれないと思ったが、それでもいいかとコンラートは手を伸ばした。
 いっそ目の前から居なくなったら。だけどいま、目の前で泣いているのを放っておくのは。コンラートが一歩近付いてもユーリは逃げなかった。そうっと涙を拭ってみても。
 しゃくり上げるのを無理やり飲み込んだみたいで、ユーリの喉から変な音がした。耐えきれなくなったようにコンラートの胸に飛び込んでくる。いつかのように。
「オオカミのにおいがするよ」
 喘ぐように数度息を吸い込んで、引き攣れた声がくぐもって伝わる。しがみついて白くなるまで衣服を握りしめる指も、細かく震えている。
「血のにおいも――」
「俺はオオカミですから。ユーリが草を食べるように、俺は…ヤギを喰らいます」
 あえてヤギと言ったけれど、ユーリは息を飲み込んだだけだった。
「じゃあコンラッド、おれのことも食べたい?」
 震える声で尋ねられたそれは、ずっとコンラートが自分の中で繰り返してきた問いなのに、やっぱり未だに答えは出ない。
「食べたいですけれど、食べたくないんです」
 コンラートはユーリのこめかみをぺろんと舐めた。ユーリにこの腕から逃げ出して欲しいのか、欲しくないのか。これもどっちなのかわからない。
「あなたはとっても美味しそうです」
 そしてユーリが逃げ出したら、自分は追いかけて今度こそ獲物として追いかけるのか。それとも楽しく過ごした記憶だけをそっと胸の奥に仕舞い込むのか。
「だけど、食べてしまったら、もうあなたとおしゃべりしたり、キャッチボールしたり出来なくなってしまうでしょう? あなたの顔も見れなくなる。あなたの声も聞けなくなる――それはとても困る」
 ユーリはヤギで、ヤギは餌で――ではユーリは餌なのか。ユーリに会ってからずっとぐらぐら揺れ続ける。すっかり自分がわからなくなりそうな中で、ただ、ひとつ確かなのは、ユーリを食べてしまったら、もう会えない――。
 勢いよくユーリが顔をあげた。もう新たな涙は見えない。ちょと赤くなった目と鼻先だけ。
「あんたベジタリアンになってみるとか、どう? 体質改善とかさ、ほら、結構草だってウマいぜっ? シロツメクサとかなら…」
 なんとか二人で共存する方法を、と夢中で捲し立てるユーリの唇をコンラッドは笑って指で止めた。
「無理ですよ」
 それを顔を振って払って、むっとユーリは反論する。
「そんなのやってみなくちゃわからないだろう。初めっから諦めないで――って、」
 はぁ、とため息をつく。
「そうだよな。おれだって水だけで生きていけって言われたら無理だもんなぁ」
 ユーリの眉がまたハの字になっている。ああ可愛い。コンラートはそんなユーリを見てやっぱり手放したくないと思う。
 きゅるる…と抱きしめあったコンラートとユーリの間で音がした。
「…シロツメクサとか言ったから腹減ってきたじゃないか」
 ユーリの情けない顔に今度は朱が混じる。
「あんたは興味ないかも知んないけど、旨いんだぞ。シロツメクサ。柔らかくってさ。噛みしめるとじんわり甘くって」
 拗ねたようにそんな言い訳をぶちぶち零すのも大層愛らしくって。うっとり鑑賞していたら、はっとユーリが顔を強張らせた。
 甘い表情を捨てて、何かを逡巡していたが――やがて喉に引っかかるのを押し出すみたいに口にした。
「…あんたも、そんな気持ちなのか? ヤギ食べるときは。あー、やっぱ旨いなー、幸せだなーって、そんな気持ちになるのか?」
「あぁ、ユーリはよっぽどシロツメクサが好きなんだね」
 コンラートが笑ったら、怒って強く腕を叩かれたけれど。
 だけど。

例えば あなた 闇に魅入られ迷っていたら
私が咬んで醒ましてあげる みんな夢
強く抱きしめて 離さないで 消えてゆくまで
yeah Baby くちづけを交わそうよ

「おれはコンラッドがとても大好きだから、あんたが喜ぶなら食べられてもいいよ。あんたと遊べなくなるのは淋しいけどさ」
 次の日、コンラートの姿を見るなり走ってきて、勢いのまま飛びついてユーリはそんなことを言った。
「またその話ですか。言ったでしょう? おれはあなたを失いたくないんですって。俺はあなたの知らないところであなたじゃないヤギを食べますから。それでは駄目ですか」
「いやだ」
 頭一個分下でユーリが呟くのが聞こえる。
「おれじゃなくったって――おれの仲間があんたに食べられるなんて嫌だ」
 怒ったような声がする。
「わかりました。じゃあもうヤギは食べません」
 コンラートは、では餓死するのかとか、あまり現実的なことは考えていなかった。自分はもうすっかり全てをユーリに渡していて、ユーリが望むなら何でもいいと思うようになっていたから。
 コンラートはユーリに出会ってわかったことがある。どうして今まで自分は他人に必要以上に気持ちを預けてこなかったのか。
 おそらく自分はその明け渡し方が極端なのだ。それでいいと思ってしまったら、死ねと言われても喜んで従ってしまうくらいに。
 だからもうこの話はよしましょう、とポンポンと頭を撫でたら、そうじゃない、と強く頭を振ってユーリは反論してきた。
「そうじゃないよ――おれが嫌なんだ――どうせならおれが――。昨日、あれからずっと考えてた。やっぱヤギがオオカミと一緒にいるのって駄目なのかなとか」
 聞かされた言葉にコンラートは身を強張らせた。血の気が引いて、腹の奥が冷たくなる。
 ユーリの為に死ねるが、ユーリと離れるのは嫌――ユーリの居ない毎日など考えたくもない。
「でも、もう、おれ、あんたと会えなくなるとか――そんなのどうしても駄目で」
 凍りついたコンラートの耳にユーリの言葉が流し込まれる。まるで自分の心情を語るような言葉が。
 じんわり沁みて、温まる。  あの嵐の夜、暗闇の中で肌を合わせながら感じた特別な感情は、気のせいでも何でもなかったのかもしれない。あの夜混じり合った気持はずっとひとつだったのかも――。
「それならいっそ――」
 何かを決心するように告げるユーリの、真っ黒な眼がとても綺麗だと思った。
「――あんたに食べられて、あんたとひとつになってしまいたい」

泣いたりしないで きれいな雨だね
あなたはBaby私の太陽 だから ねえ 泣いちゃだめさ

泣いたりしないで 雨はセレナーデ奏でてる
ほら だから ねえ 悲しまないで

泣いたりしないで 雨はセレナーデ
あなたはBaby私の太陽 涙はね 悲しすぎる

泣いたりしないで 雨はセレナーデ奏でてる
ほら だから ねえ 笑ってみせて
夢で逢えるさ

「愛しています。食べてしまいたいくらい」
「好きだよ。食べられちゃいたいくらい」
 甘く芳しい肌のにおいを吸い込んで、ユーリの首筋をぺろりと舐めたら、コンラートを抱き締める腕に力が籠められた。襟足を掠めて這い上がったユーリの指がコンラートの髪を絡め取る。
「怖いですか?」
「ん…少し」
 やっぱりあなたは勇気がある。コンラートは高い体温の小さな身体を抱き込んだ。それでも微かに震える背中を宥めるように撫でながら。コンラートはユーリの身体に沈みこむ――。

oh 恋は幻 通り雨 過ぎる刹那のonly you
oh Baby 今夜 銀河の片隅で
oh yeah 二人は永遠 いつでも夢で逢える

 目を開いたら胃袋の中――ではなくて薄暗い中に名付け親の寝顔があった。
「あー…」
 ユーリは脱力して枕に突っ伏す。
 あー、夢で良かった…。随分甘い…でも確実に悪夢だった。その証拠に背中が気持ちの悪い汗に濡れている。
 あんなの。
 静かに寝息を立てているコンラートの顔を横目に伺う。
 おれを喰った後、間違いなくこいつは自刃している。考えるまでもなくわかってしまうその後の展開に、再び、ふーっと安堵のため息を吐く。
 夢で、ヨカッタ。

夢で逢えるさ 夢で逢えるさ 夢で逢えるさ 夢で逢えるさ

End


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