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あるということ

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 テンカブで優勝を果たしたおれらは、カロリアの独立をもぎ取り、『風の終わり』も手に入れて、久しぶりの眞魔国へと帰還した。箱の入手方法が、大賢者の作戦のわりには、なんだかコスいのはご愛敬。シンプル・イズ・ベスト、だ。
 すっかり我が家の懐かしさの血盟城。出迎えてくれる馴染みの衛兵やメイドさんたち。
 随分心配をかけてしまったグレタは、一番に飛び付いておれの無事を喜んでくれた。
 ギュンターもすっかりよくなったみたいで、しがみついて離れなくなっていたグレタが居なかったら危うく汁まみれだ。そして予想通り。伝説の珍獣・大賢者の生存が確認されてひと騒動。
 何はともあれ。
 みんながおれの無事を帰還を心から祝ってくれていた。
 おれは――

 おれは、長い間留守にして――行方不明にまでなってたんだった――大層心配をかけてしまった人達にお礼を言って、再び血盟城で毎日を送れることを喜びあった。

 彼が生きていたことがわかった。これは何よりも良かったこと。
 彼のあるじはおれではなくなっていた。これは良くなかったこと。
 コンラッドの腕がちゃんとあった。それは良かったこと。
 大シマロンの図書室でおれの手を取らなかった。これは――

 寝返りをうつと目尻にたまった涙が流れてこめかみを濡らした。それで、また、つい、自分の傍を離れていった護衛のことを考えてしまっていたのだと気がついた。
 ため息と共にベッドから身を起こす。このまま横になってなっていても、つらつら彼のことを考えてしまって、眠ることなんてできないとわかっていたから。真っ暗な静寂のなかで――って本来眠るためには最適な環境だ――そんなことに思いを巡らせてろくなことにはならない。
 なんであいつはおれの元から消えたのだとか、どうして今も帰って来ないのだとか、どうしてあの時大シマロンの図書室でおれの手を取らなかったのだとか…考えてもどうしようもないことで思い煩い、朝方まで眠れなかったのは一度や二度ではない。
 それでおれは学習した。健全な睡眠のためにも不毛なことは考えない!
 けれどそんな時こっちの世界で困るのは、深夜番組もゲームもないこと。もちろんネットもない。
 かと言って隣のヴォルフラムを叩き起こして相手をさせるのも…はばかられる。だいたい起きないし。ググピググピと寝息をたてている布団の盛り上りを眺める。
 くさくさする気分を変えようとドアを押し寝室を出る。何か?と目で問うてくる衛兵に「ちょっと夜風に当たってくる」――ついてこなくても良いから。なんて無理な話だよね。けれど気を使って、少し離れたところから見ていてくれている。
 まだコンラッドがいた頃。こんな風にたびたび抜け出しては彼の寝室を訪ねていた。
 ただ話をしに行くだけですよ〜って必死に平静を取り繕って、彼のところまで送って行ってもらってたけど。バレバレだよな。きっと。
 それでもみんな知らん振りでおれをコンラッドに引き継いだら、何食わぬ顔であるじのいない王の寝室の前に立っていてくれてたんだ。
 たとえコンラッドに他言無用、と脅されていたんだとしても、彼らには感謝している。

 ドアの前で足を止める。しまった、と唇を噛む。そんなことを考えていたせいで、おれはついコンラッドの部屋の前まで来てしまっていた。
 何やってんだか…。
 あいつのことで思い悩みたくなくて出てきたってのに。こんなとこに来てどーする、おれ。
 目の奥が熱くなって鼻がつーんとした。ヤバっ。
 いくら因果を含められてイロイロ理解を示してくださってる衛兵さんにも、こんなところで泣いているのを見られるなんてマズイだろ! もうすげーカッコ悪いっ。
 扉を押すと今も鍵はかけられていないらしく、開く。部屋に飛び込んで後ろ手に閉める。
 カーテンも引かれていない部屋は、明るい月夜にうっすらと姿を浮かび上がらせる。
 突然居なくなった割にはきちんと整理された部屋。もともと持ち物が少ないせいか寂しいくらいにすっきり片付いている。
 何ひとつ変わってはいないのに、部屋の主が居ないというだけで。ここはこんなにもうら寂しい場所だったか。
 あぁもうっ! 何を見ても悲しいし、何をしていても悲しいっ!
 ぼろぼろ涙が溢れ出す。そうおれは泣きたいんだよう。考えたくないってベッドから出てきたって、結局こんなところで涙を流している。
 そうだおれは泣きたいんだ。みんなの前では努めて明るく振舞って、平気な振りしてるけど、ホントは悲しくって寂しくって腹立たしくって……思う存分、奴をなじって恨んで泣き喚きたいんだ。
 堪え切れない嗚咽が漏れる。なんで。なんで奴はおれの傍から離れていったのか。扉に背を預けずるずる座り込んで、膝小僧に額をくっつけて泣いた。
 まるで小さな子みたいだ。
 しゃくりあげたら、ひきつるように胸の奥が痛んだ。
「コンラッド――っ…」
 なんで居ないんだ。

 突然、扉がノックされて、背をくっついて座っていたものだから必要以上にびっくりした。
「ユーリ? 居るのか?」
 コンラ…違う。もっとずっと低くて響く声。グウェンダルだ。なんで真夜中に厳格宰相閣下がこんなところにっ。
 っていうかそれはおれもだよ。
 パジャマの裾で顔をゴシゴシやりながら不法侵入の言い訳を考えるけど。とっさに思いつかない――と、後ろからドンっと開いた扉に押されておれは前につんのめった。
「…大丈夫か?」
 あんまり大丈夫じゃありません。床に打ちつけた鼻をひっぱる。鼻血は…出てない。うぅ、低くなったらどうすんだよ。
 目の前に手が差し出された。立てってことか。
 掴まった手はよく知るものより少し大きい。だけどとても温かかったのが、ちょっと意外だった。…自分が冷えていただけかもしれない。
 恵まれた体格で苦もなく引き上げられて――つーか、腕の力だけでやらなかったか? 急に立ち上がったものだから気持ちの悪いめまいがした。おれ、どんだけ座り込んでたんだろ。
「夜中にフラフラ出歩くな。衛兵たちが困る」
 怒ってない口調で言いながら、背にあてた手で奥の椅子にかけるように促された。
 いつまでも出てこないもんだから、グウェンに報告に行ったのか。夜着の上から上着を羽織って、いつもは後ろで縛っている髪もそのままだ。
「ごめん、起こして」
 あ。声がガサガサだ。
「気にするな」
 グウェンは軽く返して、側のライティングデスクに腰をひっかけて、薄闇の部屋の中を見回している。
「この部屋に入るのも久しぶりだが――変わらないな」
「久しぶりって?」
 何度か唾をのみこんだら、今度はましな声が出た。
「そうだな、かれこれ――」
 考え込んでしまう位らしい。

 それ以上俺は何も言わなかったし、グウェンも黙ったままだったので、部屋は再び沈黙に沈んだ。
 飴色に磨きこまれているキャビネットも、目の前のテーブルも、足元の敷物も――すべてが青白いフィルターをかけたみたいにぼんやり浮かぶ。
 火の気のない冷たい部屋。
 暗いのも、寒いのも、静かなのも――だけどなんだか心が休まる。
 目のふちがひりひりして、さっきまで泣いていたことを思い出した。乱暴にこすったせいと、乾いた涙のせいで、きっと赤くなっている。
 さっきまであった苦しいくらいの寂寥感はどこへ行ったんだろう。同じ薄闇に沈む部屋なのに。
 違いといえば、黙って腕組みしているグウェンダル。
 持ち主とは違うけれど、それでも人の存在があるから?――そういや半分は同じ血が流れているんだよな。
 ライティングデスクの方へ目を移すと、グウェンもなんだ?と視線を合わせた。
 眉間のしわがないと、ちょっとだけ親しみやすくなる。ちょびーっとだけ。
 光量の乏しい部屋の中では色まではわからない。髪も目もモノクロで見れば、一見似ていないこの二人に意外なほどの共通点を見つけてしまう。
「やっぱ兄弟なんだねぇ」
 思わず呟いてみて、今更だね、と声に出さず笑う。
「どこって言われると難しいけど――雰囲気みたいのが似てるかなぁ」
「血縁だから当たり前だ」
 おれの傍までくると、片膝ついて気遣わしげに覗きこんでくる目も。涙をぬぐってくれる指も。
 また涙が零れていたことに気がついた。
「っ――」
 身を投げ出しても受け止めてくれる。そうっと抱きしめてくれる。繰り返し繰り返し頭を撫でてくれる。
 コンラッド。
 こうやって、何度あんたの胸の中に取り込まれただろう。
 冷たくなった身体に温みが流れ込んでくる。
 あの時、手を取ってくれなかったけれど――それでもスキだ。コンラッド。
 ぴったりくっついた体から伝わる鼓動。じっと聞いていると穏やかにな気持ちになる。激情が去ったならば、後に残るのは一番自分に正直な気持ち。
 あんたのことを好きだと自覚することは、いつでも幸福な気持ちにさせてくれる。
 甘く柔らかいもので心が満たされる。
 おれが落ち着いたのが伝わったらしく、彼はそっと距離をとっておれの顔を覗き込んだ。
 もう、大丈夫だよ。
 ちょっと照れくさくて、誤魔化すようにキスをした。
「ありがとう。コンラッド――」
 彼はおれを抱きしめる腕に力を込める。
 おれがこんなにも好きなように、彼もおれのことをこんなにも好きでいてくれる。
 伝わる熱。息遣い。気持ち。
 ――おれは、幸せだよ。

 なんだかひどく満ち足りた気持ちで目が覚めた。彼の左腕が抱き寄せるようにおれの上に乗っかっている。重いけれど、それは幸福の重みだ。
 幸せな夢の欠片が零れおちないように、そうっと胸の中に仕舞いこむ。
 起こさないように注意して首を巡らせる。見慣れた天井縁の漆喰細工。壁紙の模様。コンラッドの寝室。起きだすには早い時間。カーテン越しの光はまだ儚い。
 もうひと眠りしようかと掛け布団を引っ張ったら、彼が身じろいだ。起こしてしまったかもしれない。
「おはよう。グウェン」
 寝起きとは思えない冴えた眼差しは深い青。そのとたんに、ほっとしたように緩んだ。
 その手でくしゃっとおれの髪を掻き混ぜて、どうやらこれが彼の挨拶らしい。
「もう一時ほど眠ったらどうだ」
「うん。そうする」
 おれはグウェンの肩口に額をくっつけた。
 呼吸に合わせてかすかに上下するのを数える。
 呼吸。体温。鼓動。匂い。
 包まれて、おれはまたまどろみに戻った。


End


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