----------------------------------------

ルッテンベルク師団の熱い夜

----------------------------------------

 ちょっと不親切な位なまでにグウェンダルは言葉が足らない。もっとも、威厳と不機嫌が服着て歩いてるみたいな彼が、ペラペラおしゃべりってのもちょっといただけないけど。彼の意外性はその隠れた趣味だけで充分です…。
 それが。ここでの彼は今までにない位に良く話す。たくさん教えてくれる。彼のすぐ下の弟のことを。
 今は国を離れている弟の部屋の、弟の寝台で。

「コンラッドって夜の帝王って言われてたんだろ?」
 前に人伝に聞いたそれは、爽やかさが売りの彼には微妙に違和感を感じるものだった。彼の兄は口の端で笑った。この人にしてはかなり可笑しがっている表情だ。
「気になるか?」
「…だってあいつって人当たりはいいし、誰にでもやさしいからもてるんだろーなー、とは思うけど…」
夜の帝王、なんて生臭い二つ名とはちょっとイメージが違う。
「まあそうだろうな。王宮内ではな」
 なんてちょっと引いちゃう前振りでグウェンが続けるには「玄人受けするのだ」。
 …く、玄人。プロのお姉さん方ということですか……現役高校生には守備範囲外の大人の世界だ。
「私と違ってあいつは部下に慕われているからな。ことある毎に城下に呑みに連れ出されるわけだ。そこで、女給相手に……」
「グウェンだって慕われてるって思うよ。一緒に馬鹿騒ぎしたいかどうかは別にして」
 慰めともつかないそんな言葉を口に上らせると、眉間に皺がよった。
「こっちが願い下げだ」
 その渋面に興味を引かれて食い下がると。
「一時期あいつの部隊を預かったことがあってな……」

 □  □  □  □  □

 当時、今のように国のナンバー2までではなくても、それなりの地位を築きつつあったグウェンダルを引っ張り出した。夜の街に。
 いつも上司に接しているのと同じように考えて連れ出した、というよりは。知りたかったのだろう。コンラートに代わって自分達の命を預ける司令官がどういう人物なのか。それがわかっていたからグウェンダルも付き合ったのだが。
「狂ってる……」
 目の前に繰り広げられる治乱騒ぎに眉間の皺は深くなるばかりだ。イヤになって目の前のグラスを干すことだけに集中する。アルコールへの耐性には自信があったし、酔いつぶれたところで――知るか。どうせその辺のと一緒に誰かがつれて帰ってくれるだろう。既にボロ雑巾のようにテーブルの下で泥酔している下士官を横目に思った。戦線離脱した者がテーブルの下に蹴り込まれているのは、そこが踏まれることが少なく比較的安全なためだ。
 貸し切にされている店は三十人ほどの兵士らによって埋められている。元々数の少ない士官は全員そろっている。下士官も皆居るようだ。あとはこの部隊の主要メンバーなのか……。
 うんざりしつつも、あっちで喧嘩、こっちで肩を組んで軍歌をがなっている者たちを眺め渡しながら人間関係の掌握を無意識でやっていると、横の塊が右腕にしがみ付いて来た。
「いやんいやんっそんなコワイ目しちゃっ!」
「っ! 零れるだろうがっ」
 ドレスの下の腹筋に拳を打ち込んでも、ゴフッと息を詰まらせただけで腕からソレは離れない。
「大体グリエっ! お前らは一体何なのだっ!」
 大胆に肩を出した紫色のドレス姿のヨザックに指を付きつけて詰問してしまう。グリエ・ヨザック、これでもこの部隊の副官だ。コンラートを最前線から下げさせるためにウィンコット領へ送れば、指揮官の欠けた部隊を預かって欲しいと直談判してきた。それが――。
「なぜ女装?!」
「え〜だってグリ江似合っちゃうんだもん、こーゆーの」
 光沢のある布地を手のひらで滑らせて。うっとりするな気色の悪いっ!
 さらに嘆かわしいことは、女給に混じってあちこちに点在するドレス姿も兵士だということだ。
 あいつの部隊は一体何なのだ……混血、というだけでは説明のつかない面々に、私には荷が重過ぎる……弱気になってしまう。こいつらを纏め上げ、戦果を上げてきたコンラートの不気味さ、いやいや懐の深さに驚嘆する。
 無理だ無理だ、絶対っ私にはこいつらを御しきることはできない。できてたまるか。
 据わった目で思考を渦巻かせていると、一段と大きなどよめきがあがった。反射でその一角に視線を向けると、炎が上がっている。
 火術を使う者が居るのかと考えたが、違う。高濃度のアルコールを霧状にして火を吹く芸しているのだ。
 それまで大概の無法には目を瞑ってきた店主までもが青くなっている。迷惑料込みで気前良く払ってもらえるといっても、店を全焼させられては割に合わないだろう。
 傍らのヨザックを振り払ってグウェンダルは立ち上がった。幸い、平衡感覚はまだしっかりしているらしい。

「大馬鹿者がっ!」
 我慢していた苛立ちをすべて込めて腹の底から出した声は、喧騒の中でもよく響いた。酔いどれ達は皆凍りついたように静まり返る。
「そこのクソッタレっ! 水甕に沈められたくなければ今すぐその火を飲み込め!」
 無茶な指示を飛ばしたが、当人はコクコク、と言葉もなく応えている。
 そのまま無言でぐるりと見渡す。酒に濁ったあまたの目玉がこちらを呆然と見ていた。視線に頷きで答えると「続けろ」と下知して着座する。
 何事もなかったかのように再び混沌が戻る。掴み合ったまま固まっていた者たちは再び殴り合い、周りに囃し立てられながらキスし合っていた者たちはそのまま続行……意識的に視界から排除する。細身の剣を呑み込んでいた者は柄まで収めて得意げだ。退役しても奇術師で食っていける奴が大勢居る。
 馬鹿馬鹿しい感想を抱きながら呑みに戻る。
 横からヨザックが興味深げに見ている。
「さすが兄上。そういうところ隊長にそっくりです」
 どうやら誉められているらしい。が。まったく嬉しくないのはなぜだろう。

「グウェンダル閣下にかんぱーいっ」
 突然、酒瓶を掲げて叫んだ馬鹿者がそのままラッパ呑みをはじめて、そのまままっすぐ後ろへ倒れていく――たしかあれは直下の士官……。

 最悪、檻にでも入れておけばいいか。
 開き直って考える。すでに純血種ではないからとかいう些細な理由からではない。こいつらの性質(たち)が混血だから、などと単純なもののせいだとは、もうとてもではないが信じられなくなっている。
 グウェンダルは腰をあげると、椅子に足を掛け、さらにテーブルの上に登った。こんな無作法は百年ぶりだ。王宮の者たちが見たら腰を抜かすに違いない。
 すっかり猛獣使いの気分で、
「撤収ーっ 速やかに帰還すべしっ」
朗々と響く声で号令をかけた。
 コンラート、お前のことを誰よりも慕うこの者達、確かに預かろう。
 こいつらが正当に評価される、おまえにふさわしい働きができる場を必ず用意してやる。
 だからそれまで――。

 □  □  □  □  □

 グウェンダルはすうっと息を飲み目を閉じた。
 馬鹿だ馬鹿だと言ってるけれど、きっとグウェンダルは。
「その人達のことが好きだったんだね」
 グウェンダルはゆっくり目を開けてユーリを見る。
「そうかもな」
 いつになく素直な…というより弱気な様子にちょっとあせってぎゅっと彼を抱きしめた。

 彼らのほとんどがアルノルドの戦いで命を落としたのだと――先日聞いた。
 悲惨な戦いだったのだと、祖国から死ねと言われて死地に追いやられたのだと聞いて、なんて酷い――思ったけれど。だけどそう思ったところで、極論二十年も前に戦争で死んだ人達に過ぎなかったのだ。
 彼は知っているんだ。共に酒を酌み交わし、共に戦場を駆けた彼らを。火を噴いて怒られた人とか、机の下で酔いつぶれてた人とか……一人一人が記憶にあるんだ。

 グウェンダルは凄い人だ。へなちょこ魔王のこの国が成り立つのは宰相が有能だからだ。
 おれは素人の大胆さで思いつきを口にするけれど、それを実際にこの国の実情に合うように調整して、貴族達の間に根回しして、実行する――それはすべてグウェンダルがやってくれていること。グウェンが居なかったら、おれは夢みたいな理想を口にするだけで、何一つ変えることなど出来ないだろう。
 だから。そんな有能なグウェンダルだからこそ、あの時ルッテンベルクの部隊を止められなかったことは今も彼を責め苛(さいな)むんだろう。
 どんな慰めも口に出来ない気がして、黙ったまま背にまわした腕に力を込めた。グウェンダルの長い髪がひと房、肩を滑って彼の表情を隠す。
 与えられるぬるい平和に浸って生きてきた十六歳には彼の後悔なんて想像も及ばない。彼にはいつも助けられてばかりなのに、こんな時に掛ける言葉すら持たないなんて。

 チガウ。そうじゃないだろ。――どこからともなく湧き上がった違和感に引っかかりを覚えた――

 力が及ばずに無駄死にを止められなかったと、悔いているグウェンダル。自分には彼を慰めることすらできないと力不足を嘆いている自分。なんでおれはグウェンを可哀相だと思っているんだろう――おれは魔王じゃないか。
 二十年前の戦争に責任は取れないが。だが、彼が感じている重圧を他人事のように見ていなかったか? いくら戦争反対を叫んでいても、もし他国から攻め込まれたら。自分にはこの国の兵士達の命を背負う覚悟があるか?
 平時でも常に血盟城に詰めている四千五百の眞魔国軍。自分は毎日彼らを見ていたのではないのか。彼らの訓練を見ていた。彼らが魔王に忠誠を誓っているのを知っていた。なのにそれが意味するところを判ろうとしていなかった。
 今更ながらに思い至った責の大きさに、震えそうになるのを奥歯をかみ締めて堪えた。グウェンを慰めてる場合じゃないだろ、おれ。自分の傲慢さとお気楽ぶりに反吐が出そうになる。
 政治も行政もグウェンダルにおんぶに抱っこで。その上自分が背負うべき覚悟まで無意識に彼に任せていたことが、情けなくてならない。
 そして気が付いてしまえば、その責任の大きさは自分の周りを取り囲む鋼鉄の壁のように感じられて、つい逃げ出しそうになる。だけど、それだけはしてはいけないこと。したくはないこと。今まで見えていなかったことに対する罪を認めて、決して目を背けない。だっておれは。
「おれは、魔王だな」
 慰めるにはまったく不似合いの硬い声が出た。顔を上げたグウェンダルも慰めが必要な表情でもなかった。それよりもいつもの労わりを含んだ眼差しだ。
「もうグウェンにそんな後悔はさせないから」
 責めを負うのは自分。それ以前に、おれは全力で戦争自体を回避する。たとえ具体的な施策はすべてグウェンが行うんであっても。それが、ぬるい平和の中で生まれ育った魔王の、存在する意味だと思うから。
 彼の眉がちょっと寄せられて、青い瞳には切ない色が混じる。大きな手でくしゃりと髪をかき混ぜて。
「まだお前は子供なのだからへなちょこでいい」
 宰相である以外にこんなに世話を掛けている自分が言っても説得力なんてゼロだし…。そろそろ甘えるのもよさないと。
そんな反省はぐしゃぐしゃと髪を掻きまわされて中断させられた。
「日頃へなちょこ魔王をフォローしてやっている礼が欲しい」
 艶を含んだ低い声で囁かれて――凄腕宰相閣下は自分の魅力もよく把握されている――おれは彼の頬に感謝のキスをひとつ。


End


ブラウザバックでお戻りください

inserted by FC2 system