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続・媚薬チョコレート
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テレビのない世界は夕食を済ませてから就寝までが随分長い。裏を返せばそれだけ地球では見るともなしに眺めてる時間が長いんだろう。
まぁそんなことも、護衛の部屋に入り浸る言い訳だったりするわけだ。
今夜も長椅子の上、コンラッドの肩に凭れかかって、膝の上のページは…さっきから全く繰れていない。ゆらゆら揺れる蝋燭の明かりで字を追うのは、結構疲れるのだ。彼に凭れかかっている言い訳は――まだ春浅く。夜は随分冷えるから。
でもこうやって背中で存在を感じながらとりとめないやりとりをする時間は、ひどく穏やかで幸福なひと時だったりする。――なんか枯れてる? 地味ですか? いやいやいや。護衛だから一日中後ろに張り付いてるわけだけど、そこは魔王と護衛だから。こんなぬるくって甘い空気は持ち難い。
見上げた先のコンラッドの目がこちらに向く。茶色の瞳がおれを捉える。鋭利な表情がふっと緩む。それだけで雰囲気まで柔らかくなるから大したものだ。色男はやっぱりこういうところが違う。そんな感心をもって見つめていたら、奴の唇の端が僅かに上がった。目の当たりにして、後頭部辺りがジリっと痺れたような感じがした。
これだけでトキメいちゃうおれもおれだけど、あんたもあんただ。
腕を伸ばしてその頬に触れたら、かすかに笑んだ頬の動きを指先が捉えた。
コンラッドが身を屈める。おれが引き寄せたわけじゃあない。
無理な体勢で唇を合わせるためにおれの頭がずり落ちた。コンラッドがのしかかる。
唇が触れ合う。ひんやりした鼻先が頬に当たる。おれのとの差は何ミリくらいだろうかと考えていて、ちゅっと唇を吸われて引き戻された。
薄く開いてコンラッドの下唇をゆるく噛んだらそこから舌先でくすぐられる。
思いかけなく深くなりそうなキスを交わしながら、なんだか誘うようなことをしてしまったと後悔した。後悔しながらも、腕は背中に縋っているし、もどかしい指先を擦りつけている。
耳の後ろをくすぐる甘ったるい仕草に、そのまま溶けてしまいたくなる。
「ふ…ん」
鼻を鳴らしたのはもっと、と強請って。もっと心地好い泥のなかに溶けていきたい。
なのに。作為を持って動き始めた手に震える。
「嫌ですか?」
囁くコンラッドの声は擦れていて、押さえた声音とは裏腹に、見上げた先の顔は随分厳しい。
怒ってる? そんな不安が伝わったのか、端正な眉がへにょっと下がった。
「嫌…じゃあ、ない」
嫌なんかじゃない。その心地好い手に委ねるのは。
ただ、ちょっと。頭の隅から離れないのは先日の醜態。媚薬入りチョコなんてもんのせいで…。
「あなたが欲しい」
ためらっていると囁きが落とされる。耳から入ってじわっと脳が痺れた。
情けない顔したってぞくぞくするくらいカッコいいって、反則だよなぁ。
「させて下さい」
露骨に欲しがられてドキドキする。熱っぽい瞳がひどく愛おしい。
あれから、なかなかそういう気になれなくって――思い出せば恥ずかしくって情けなくって居たたまれないから――。コンラッドもそのあたりを察してれて。ここまではっきり誘ってくることなんて無かった。
けれども。二週間だもんなぁ…。地球とこっちと、離れている間ならともかく。ずっと毎日一緒にいて、だ。
それに、おれだって。
奴の手を取って、頬に当てた。目を閉じて、なめらかとは言い難い手のひらに擦り寄る。
この手が、この手の持ち主が欲しい気持ちは、同じだから。
くっと息を詰めたのが、重なった身体越しに伝わった。かと思えば、急にコンラッドが身を離す。
少し急いた仕草で、本を読むために引き寄せてあった燭台の火を吹き消して。
焦げ臭いのと蜜蝋の匂いがふわんと、目が慣れない暗闇で鼻をくすぐる。
互いの身体の間で籠る熱。零れる息も熱っぽくって、肌蹴た場所が直に触れ合えば、じっとり汗ばんでいる。
おれの性器を包んだコンラッドの手がぬるりと動いて、擦り上げられるのに腰が浮く。随分な時間、いじり続けられたそこは、唾液で濡れていたけれど時折ひりつく痛みも感じる。何より、それほどまでも施させている申し訳なさがシクシク痛い。
今日、何度目かの、身体の内からせりあがってくるものに息を詰めた。
逃さないように、逸らさないように慎重に引き寄せる。足先がぴくぴく痙攣する。ぎゅっと目を閉じて、眉間に白い星がちらつく。
苦しくってコンラッドの肩に縋る。
指が絡みつく。その卑猥さに震えあがりながら。すぐ先の解放を求めながら。
あ…あぁ、もう少し。すぐ手元まで訪れた官能に身を委ねたくて――。
「あ…」
はふ、と息を吸ったら、ギリギリ緊張を強いていた身体からくたりと力が抜けた。逃げるように退いてゆく熱。反動の弛緩と、結局極められないままの疼きが身体を重くする。
ああ。
目前にしながら手指の間を擦りぬけて行くのに、いい加減疲弊する。
目尻に浮かんだ汗だか涙だかを吸い取りながら「すいません」とコンラッドが謝ってきた。
なんであんたが謝るんだ。あんたは何も悪くないだろう。
悪いのは集中しきれない自分だ。快楽に身を委ねるのを躊躇ってしまう――。
言葉の代わりに首を打ち振った。
「まだそんな気持ちになれないんでしょう――無理させてしまって」
言葉はやさしい。柔らかいキスをおれの頬に滑らせる。そんな仕草に、もう引く気でいるらしいのを知る。なんで。そんなの。そんな…
「そんな気持ちになってるよっ」
不甲斐なさと苛立ちと申し訳のなさ。
おれが媚薬のせいでぐちゃぐちゃになってた時だって、何も言わないでただ愛情だけを感じさせてくれて宥めてくれたのに…ひたすら優しく対して貰ったのに、甲斐なくしっかりわだかまりを持ってしまっているおれ。脆弱で甘ったれな心身に歯噛みしたくなる。
「いいですよ。まぁ…俺もがっつきすぎたかな」
もうちょっとだけなら、待てますから――余裕を装って笑って見せるのに、慌てて縋った。首をぐいっと抱きよせて、嫌だと叫んだ。
「待つって何をだよ。おれも、おれもあんたとしたいんだよ」
待ったら何か変わる? 待ってもらったって…――不安を先延ばしするだけの苦しさに身震いする。
それに。コンラッドにこれ以上譲らせるのだって。
八十歳以上の年の差カップルだけあって――包容力というか…いつだっておれはやられっぱなしだ。ぐずぐずに甘やかされて、一方的に与えられるだけ受け取るだけ。
おれには奴に応えて返せるものなんて何もなくて。本当にコンラッドはこんなことをしていて楽しいんだろうか――そんな馬鹿な考えがよぎってしまうくらいに。もっとも、これはコトの最中の奴の前には一蹴されるんだけれど。
それでも、コンラッドに愛されて、快楽に沈んだその底で、時折ざらりと引け目を感じる。与えられるものが大きければ大きいほど、返すすべを持たないことに焦燥を覚える。
何かに急かされるみたいに目の前の唇に吸いついた。
あんたとしたい。してやりたい。
掻き抱いたその髪に指を潜らせて。汗ばんで湿った生え際を撫でさすったら、コンラッドの肩が震えたのがわかった。
啜ってコンラッドの舌を内に引き込む。いつもされるみたいに舐めねぶって、やんわり噛んで。それでもまだ戸惑いが窺えるのに「しよう」って唇を触れさせたままに囁いたら、抱き締める腕に力が籠った。
おれはもう十分だから…それよりも。――だけど直截に言葉にするには恥じらいが強くて、奴の手を取って尻へと持って行った。おれの行動にちょっと吃驚したみたいに、コンラッドの眉が上がる。
羞恥に目が潤む。
ままならない身体は竦んで酷く苦しい。この苦痛をどうやって受け入れていたのか、懸命に思いだそうとするのだけれど。
歪んでしまう顔を見られたくなくって、肩を引き寄せた。首筋に擦りつくとコンラッドの匂いが汗に混じって立ち上る。
臭覚なんて動物的な部分に、本能の部分を刺激される。胸を突かれるように、切なくなるほど強迫じみて、こいつを手に入れたいと感じる。
揺さぶられるたびに痛みに背骨が軋む。
このまま、どうしてくれたってもいいから。だから、そのかわり、おれのものになって。
貪るみたいに匂いを吸い込む。すべて自分に取り込むみたいに。酔ったようにくらくらしながら痛みに溺れる。
与えられる苦痛と引き換えにコンラッドが手に入る――そんな幻想に酔う。
もっと、もっと酷くして。きつく瞑った瞼の裏が赤く染まる。傷ついて、血を流したらいいのに。傷口を、もっと暴かれて。痛くて気を失うくらいに――。
血まみれで貪り合う様が脳裏に浮かんで、ぞくぞくした。痙攣した身体の奥が、自分を傷つける凶器を知覚する。そう、これで、引き裂いて。ズタズタにして。全部。すべてを。あんたのすべてを――。
「んっ…」
がくがくする身体に奥歯を噛みしめる。目の前が真っ白になって――自分をとりまく膜のようなものがぱちんと弾けたような感覚がした。ぱちんと弾けてとたんにクリアになる視覚だとか聴覚だとか。汗腺がぶわっと開いて噴出す汗とか、酸素が足りないことに気付いた呼吸だとか。
突然自分を取り巻くすべてがリアルになって、あの狂おしいまでの切実さは、覚えていない夢のように掴めなくなっていく。
労わるようにコンラッドがキスを落とす。
受け入れることを思い出したおれの身体が、奴を慰撫する。
覗き込んで、おれに我慢が見えないことを確かめて、コンラッドはほうと息をついた。安堵に笑んだ唇がまた降ってくる。
「言ったろ、おれだってしたかったんだって」
そんな言葉もあまり効果はないようだった。
抱き締めてくるコンラッドの表情は淡く後悔を滲ませてすっきりしない。あー。
「なんつーか…いつも大事にしてもらってるだけって…申し訳ない?…いや、違うな」
この気持ちを正しく表す言葉が出てこない。
コンラッドはそれこそ申し訳なさそうな顔になっている。
「んー…くや…しい? ああ、悔しい、だ」
だって今、なんだかとても清々しい。やってやったぜ!みたいな達成感がある。あははは。どんなもんだい。
それでじいっとおれを伺っていたコンラッドが、苦笑で後悔を止めた。おれを抱えな直して、こつんと額を合わせる。覗き込む瞳が微笑む。
「忘れているつもりはなかったんですけれど…そうですね、あなたは男の子でした」
は?
楽しげなコンラッドに反して、おれの眉間にしわが寄る。
「まさかとは思うけど…あんた、おれを女の子扱いしてたのか」
「まさか。忘れているつもりはないって言ったでしょう? ――けど、つい、ね…」
つい、ね。つい、『いつもの癖』ですか…。
どんどん悪化していくおれの機嫌にまずいと思ったらしく、コンラッドは誤魔化すみたいにキスを仕掛けてきた。
うー。これだから、経験豊富の色男、は。
End
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