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Shall we dance?

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 無数の蝋燭がまばゆく照らしだす。軽快な音楽とさんざめく声。グラスの触れ合う音。
 血盟城の大広間は国外からの使節を招いての宴の真っ最中だった。
 中央では第二十七代魔王であるユーリ陛下が主賓の姫君を相手に踊っていた。姫君はもちろん人間だ。今年十六歳になるのだと知らされていた。
 この年頃の女性は咲き始めの花などに例えられたりすることが多いが、確かにこの繊細なバランスはそんな感じだとユーリは美少女を見下ろしながら考えていた。
 白金の髪を結いあげて晒された項は堅さを感じるほどの細い線。おしろいをはたいた頬にだって内から輝くような張りを感じる。アメジストの瞳の隣、白目の部分は澄んで青みがかっていた。子供から大人への過渡期、そんな刹那的な状態が美しさに付加価値をつけるのかとつらつら考えながら踊っていたら。
「本当にお綺麗でいらっしゃいます」
 なんて美少女が口にしたから。
 ユーリは素直に眉を曇らせた。
「うっかりあなたに見とれていたら先を越されてしまいましたね」
 こういう時にまず女性を誉めるのは基本だ。時間も手間も金も掛けて衣装を誂え身形も整えているのだから、その努力を正当に評価することはマナーだと言ってもいい。なのにうかうか先に誉められるとは。
 姫君はふふふ、と笑った。周りにキラキラしたものが振り撒かれるような気がした。
 さすがに結婚はしないと百年も言い続けてきたのにわざわざ送り込まれて来るくらいの美少女だ。
 綺麗にシンメトリーをなす顔の作り。印象的な大きな目。可憐な唇。完璧な美貌が、だけど咲き誇る直前の静かな抑制に張り詰めている様は芸術品だとさえ思えた。
「伯母は昔、陛下と踊って頂いたことがあるんですよ。ちっちゃい時からずっと陛下の真っ黒な瞳がどれだけ神秘的か、御髪が艶やかで美しいかって聞かされてました」
「アナスタシア様はお元気ですか」
 四十年前に踊った相手の名前は、前もって事務官がまとめてくれた資料にあった。
 その後自国の有力貴族の元へ降嫁して今は内務大臣夫人だそうだ。
「ええ、ありがとうございます。けれど不思議ですわ。伯母が娘時代に踊った方と今こうやって踊っているのは」
 魔族と人間の交流が盛んになり、魔族がこれまで言われてきたような化け物じみた存在ではないと理解されるようになれば。不老不死にも思えるような年の重ね方に人間は驚異を覚えるらしい。
 もっとも自分だって彼女くらいの年まではまさかこんなに長生きするなんて夢にも思わなかったのだけど。
「やっぱり人間が魔族の方と共に生きるのは大変だと思います」
 立場上決して言っちゃ駄目なことを姫君は言った。だけどユーリが結婚しないのも特別な相手がいるのも有名な話であるので、言ってみれば国交を開いて百年になるのを記念してなんて建前での訪問ですら茶番にすぎない。
 相手国の重臣たちが考える以上にユーリは姫君の美しさに喰いついたけれど――二人とも眞魔国に輿入れだとか、あり得ないよね、と思っていることには変わりがなかった。
 なのでそんな気がなくても取り成すようなことも言ってしまうのだ。
「ですが我が国の上王陛下は人間の方との結婚もなさってましたよ」
 姫君はそうでしたわね、と答えて。堪え切れないように噴き出した。可笑しいことを言った覚えもなかったので戸惑っていたら、姫君は視線でユーリの右手を指し示し、音楽に乗って身体の位置を入れ替えた。教えられた先にはユーリの護衛が立っていた。ひどく不機嫌そうに。
「種族と時の流れの違いを乗り越えた恋の結果の方が、先程からずいぶん」
 後を濁したのは彼女の慎み深さだろう。
 年を重ねるにつれてコンラッドのユーリへの感情はどんどんあからさまになっていったが、それでもここまで露わにしているのも珍しいことだった。さすがに仏頂面というわけではなかったが――あのような険しい視線。まるでユーリが踊っている相手が刺客だとでもいうかのようだ。
「躾がなっていなくてお恥ずかしい」
「いいえ、あれは陛下に向けられたものですわ。お背中が焼け焦げてしまいそうよ」
 娘らしくころころと笑うのがまた可愛らしかった。

 やがて曲が終わって。主催としての義務にしては随分と素敵だった時間に区切りをつけて戻ってきたら。まさか魔王をやっている時間に詰られたりはしないだろうと高を括っていたのだが、ユーリを見つめるコンラートの視線が戸口の方へ流される。
 ユーリは肩をすくめた。護衛はいよいよ忍耐が足りなくなってきているらしい。
 先程からさりげなくこちらを伺っていた宰相の方を振り返ったら、グウェンダルは急に用を思い出した風に人の中へ紛れて行く。
 欲しくもなかったお許しを頂いてしまって、諦めて座を立つ。  奥の扉から目立たないように出たが、それでも目撃し軽く頭を垂れて見送った人々は、実は後ろに従っている護衛が魔王を引きたてていくところだなんて夢にも思わなかっただろう。
 近くの晩餐室は後片付けを終えて無人だった。
 コンラートが扉を閉める音を聞きながら、先に謝るべきかそれとも開き直るべきかと思案する。何も悪いことはしていない。だけど不愉快にさせたのも確かだ。
 ユーリの罪状はややこしい相手にぽーっと見惚れていたこと。それ以上でも以下でもない。
 純粋に綺麗だなぁと観賞していただけで、だからと言って彼女と結婚をだとかそういう気持ちは一切伴なっていない。使節団が聞いたらがっかりするだろうけれど。
 ぐっと後ろから腕を引かれて、やっぱ謝ることなんてないと思った。
 乱暴に抱き寄せられてキスされそうになるから顔を背けた。だいたいユーリは魔王として踊っていたのだ。こんな怒りをぶつけられるいわれはない。
 コンラートが顎を掴んで無理やりにキスしてきたのは、これはもう、ユーリが逃げたせいでかっとなったからだ。
 それもわかったからユーリはそれ以上は抵抗しなかった。口内を荒らす舌をそっと慰撫する。
 やがて弛んだ拘束で自由になった手を伸ばして、コンラートにまわした。盛装の背中はいつものより柔らかい手触りだ。
 コンラートが物憂げな溜息をついて肩に顔を埋めた。
 正直、血が昇ったままに、と覚悟していたので拍子抜けて。でも今度は逆に、こうもしょんぼりされるとやはり随分酷いことをしてしまったのではないかと心が痛む。
 背中から昇らせたて髪を撫でたらユーリを抱きしめる手に力が籠る。まるで存在を確かめるみたいに。
 強く出られたら反発しか湧かないのに。
「おれはあんただけのものだよ」
 自分の立場だとかをまるっと無視した睦言を吐く。
 政略結婚などに頼らなくてもいいように、ユーリはこれまで随分努力をしてきたし、もちろんこれからも惜しまないつもりだ。
 眞魔国とコンラートと。どちらも大切だからこそ、どっちかを選ぶなんてできない。だったら両方手放さずに済むようにするまでだと、ユーリはもう随分前から決めている。
 漏れ聞こえていた音楽が変わった。
 この国でもっとも基本とされる舞踏曲だ。ユーリがこっちにきて一番初めに練習したのもこの曲でだった。ユーリのダンスの師だってコンラートで、思えば剣術や乗馬や――この護衛に教えられたのは恋愛ばかりではない。
 背中に回っていた腕が解かれて、コンラートが一歩後退した。照れくさそうな笑みが浮かんでいたから、機嫌は治ったらしくって良かった。
 黙ったままユーリの手を取って腰を屈める。共に踊ることを乞う仕草に、コンラートも同じことを考えたのだと知った。
 練習を必要としなくなって久しいので、コンラートと踊ることなんて滅多にないことだ。
 つい足の運びや肘の位置を注意されるのでは緊張を帯びたけれど、曲の半ばまで行くころにはすっかりそんなことも忘れていた。
 さっき姫君と踊っていたときは、目の前の顔がとっても可愛くっても、ただ綺麗だなぁと感嘆の気持ちしか浮かばなかったのに。
 気恥ずかしくってコンラートの肩ばかり見ていたのが、口元が笑んだ気配に釣られて視線を上げてしまった。おかしなくらいに心臓が大きく打つ。
 コンラートが自分を目の中に映して見つめていた。
 かっと上った血で耳の奥がきーんとする。頭の中がばらばらで何ひとつまともに考えがまとまらない。ただ、もう。如何にかなってしまいたいこの男と…――くたりとそのまま砕けて抱きとめられたら。そんな誘惑を辛うじて退ける。
 観賞どころでなく情動を引きずりまわされるのを感じながら、コンラートの心配はまったくお門違いだと軽く腹が立った。ステップを踏みざま脛を蹴飛ばす。もちろんわざとだ。

 夜会の合間に秘密の会談なんてのが持たれることがあって――もちろん色っぽい用事じゃない。欺いたり裏を掻いたりという類のだ。中座を誤魔化すのにわざと護衛にしなだれかかる様にして戻ったこともあった。
 だが今回は魔王と護衛の正しい距離の取り方で広間に戻ったのだけれど。見咎める今宵の賓客の視線は間違いなく冷やかす類いのものだった。
 こぼれるように笑む完ぺきな美少女に苦笑いで返す。
 十六歳にもならない子に正しく把握されている駄目な二百余歳を振りかえったら。コンラートはそっぽを向いていた。


End


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