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非常事態

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 月の位置は真夜中を過ぎたことを示していた。
 皆が寝静まる血盟城。その最奥ともなれば針の落ちる音も拾える程の静寂――を破って。精緻な彫刻を施された重い扉が、中から勢いよく開かれた。
 扉の両脇を固める不寝番の衛兵たちは、ぎょっと身をすくませた。
「陛…」
 中から飛び出してきたのは魔王陛下その人。もとより、今夜魔王の私室には、魔王本人しか通してはいない。
 立ち番には目も向けず、ユーリは廊下を駆け出した。
 いつもなら「ちょっとそこまで」だとか「執務室に忘れ物」だとか、急遽護衛を務めることになる者へひと声かける。それもなく、全力で走りだす。
 何か、一分一秒を争うような事態が? 兵たちは緊張した面持ちでユーリの後を追った。薄暗い廊下に深更とは思えない慌ただしい足音が響く。
 国王が取り乱せば周囲に無用の不信を抱かせる。そのあたりを心得て、そうそう慌てふためくところなど見せはしないのに。今、魔王は全速力で城内を駆け抜けている。
 日頃から鍛錬を積んでいても、丸腰のユーリの全力疾走に対して帯剣した衛兵たちは分が悪い。それでもこの緊急時に後れを取ることがあってはならないと、必死に追いかけた。
 ユーリが階段を降りなかったことで、兵の一人は少し、戸惑った。魔王陛下の昼間の居場所、執務室や政務官たちの溜まりがある表へ向かうには、この階段を降りねばならなかった。
 だがそれ以上余計なことを思う余裕もなく、引き離されまいと背中を追う。
 灯火の切れ目でも、部屋着の白っぽい背中は闇に埋もれることも無い。上着のひとつも羽織らず飛び出して来たことが、事態の深刻さをあらわしているようだった。
 ユーリは、先程とは別の階段を駆け降りる。
 追いかける兵は最前覚えた困惑をまた味わう。
 遠心力に抗うように角を曲がるに至っては、眉がハの字になっていた。
 徐々に速度が落ちていく。それは一緒にユーリを追いかけていたもう一人も同じらしい。
 前方でユーリが一室のドアをノックもなしに開け放つ。鍵は掛けられていない。
 二人は足を止めた。
 ばたん、と勢いよく閉じられる音に消し去られそうになりながら、隣から「あ…」と気の抜けた声が聞こえた。
 そこはウェラー卿コンラートの部屋。
 駄目押しのように、鍵の落とされる硬質な音が響いた。

「…一国の大事じゃなくてよかったな」 
「…ああ。よかった」
 衛兵勤務は直立不動が鉄則である。魔王の部屋の前を護る衛兵が、警護中に私語などもっての他。だが。
 これくらい零さないとまったくやりきれない。


End


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