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えにしを結ぶ

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 手先は器用でない、というかはっきり言って不器用なユーリだが、毎日毎日繰り返し続けていたら慣れてしまうこともある。ちょうちょ結び、なんてのもその一つだ。
 昔は――地球に居た頃は、スニーカーの紐を結ぶにも二回に一回は縦結びになったりしたものだが、両脇の紐で結ぶなんて仕様の下着のおかげで、こっちに来て早い段階で上手に出来るようになってしまった。
 そりゃあ毎日強制的に何度もやらされていては上達しないわけにはいかないというか。靴紐は見かねた親切な奴が助け船を出してくれることがあっても、パンツの紐は、なぁ。
 まぁそんなわけで、いくら不器用なユーリでも、ちょうちょ結びくらいは当たり前に出来るのだ。
 ユーリはさいぜんから蒸し暑い書庫の中で書類の綴じ紐に手こずっていた。
 十センチ近くある厚みの綴りの、必要なのは十一章第二項。このページだけの為に全部を持ち歩くのも、と思って取り外すことにしたのはいいが。綴りの紐は団子結びになっていた。しかも大量の紙の重みで結び目が必要以上に堅く締まっている。
 いや、判っている。十センチにもなる容量のせいでちょうちょにするだけの長さが足りなかったのだ。だったらもっと長い紐を用意すれば良かったのだが、横着をした。
 それは巻末に三百ページ追加して紐を結んだのが他ならないユーリ本人なのだから、事情はようく判っている。だから悪態を吐くとしたらその時のずぼらをした自分にだ。
 それともその時丁度そばを離れていた護衛にか。居たら身軽に動いて続き部屋の事務官たちの処で綴じ紐を調達してくるだろうから。いや、そもそも、書類の綴じ直しなんて雑用も彼がやっていた筈だ。
 今だって。書庫に入って必要書類を発掘してくるなんて仕事はきっと魔王の仕事じゃない。それが護衛の仕事でもないことを棚に上げて、ユーリの苛立ちは朝から不在の護衛に向かう。
 これも護衛の職務からは逸脱するが、彼はウィンコット領へ使いに出ている。命じたのだって魔王なのだけど。
「紐は解きやすいように結ぶべし――あ。おれ今、なんかいい言葉言った」
 結び目に爪を立てながらユーリは独りごちる。深く考えた訳でもない出まかせだったが、暑さと湿度でぼうっとなりつつ地道に紐を弛めてたら、それがだんだんちょっとした格言のような気がしてくる。
 何事も後の事を考えて行動しておくのは大事だ。そして後の為に今の手間を惜しんではいけない。おぉ、これって何かのスピーチに使えんじゃね?
 やっと結び目に弛みが出来て、よし、とユーリはそこに指を差し入れた。
 良い雰囲気になって寝台に上がって、あれはぴっと引っ張ってはらりとほどけるからいいのだ。こんな手間取られていたら、いろいろぶち壊し――と。余計なことを考えながら勢いよく紐の先を引き抜いた。
 紐はぱらりとほどけて。そして。しゅるしゅるしゅる。戒めを解かれた書類が勢いのまま滑り落ちて行った。
「わわゎ」
 慌てて雪崩を押さえて、うんざりと天井を仰ぐ。
「…紐は解きやすいように結ぶべし、ですよ。おれの墓にはそう彫っといてよ。もう」
 それでもなんとか気を取り直して散らばった書類を拾い集め。順に並べて重ねていく。
 そう言えば人間関係も『結ぶ』って言うんだよなぁ。 
 単調な作業にまた思考は迷走する。
 解きやすいように結ぶべし、に当てはめるとずいぶんとドライな生き方だ。余計ななしがらみからは逃れられるのかもしれないけれど。
 ユーリは皮肉に口の端で笑って、つと手を止めた。
 結んだ相手はユーリの護衛だ。昨夜、まさに寝台の上でぴっと引っ張ってはらりとほどいてみせたあの男だ。そんなふうに簡単に、何かのはずみで。本当に簡単に――。
 行きついた想像にユーリはぶるりと背中を震わせた。
「ないないない」
 嫌な考えを振り払ってユーリは書類の中から目的のページを抜いた。
 そして綴じ直すべく紐を手にして。しかし、それはちょうちょ結びにするには長さの足りない紐。
 ユーリはちょっとその紐を睨みつけてから、やっぱりそれで綴じ直した。当然ちょうちょにするには短すぎるのだが、躊躇いなく団子結びにした。ちっとやそっとじゃ解けないくらいに、ぎゅうぎゅうと力を込めて。


End


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