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Flame

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 最初、彼は俺の憧れだった。

 一人流された異世界において、ずっと俺の傍にいてくれた人。俺を護ってくれた人。
 地球渡航経験者で、異邦人の俺の孤独を紛らわせてくれる人。
 野球という共通の趣味を持つ唯一の人。
 親という名で無償の庇護を与えてくれた人。だけど、親のわりには二十歳くらいにしか見えない外見は、日頃は頼りになる兄貴、のポジションが一番近いけど。
 まるで違う価値観の中。右も左もわからない俺がこの世界に馴染むには、彼の存在は不可欠だった。本来の任の護衛、以上に、俺は彼を頼っていた。

 そんな存在に憧れの気持ちを持つのは容易(たやす)い。

 さらに知れば知るほど、時間がたつほどに知らされる彼の魅力。
 初めて会った時、彼のことなんか何も知らないはずなのに、彼の表情は彼自身の生き様が作ったものだと感じた。
 俺の人を見る目も、まんざら捨てたものではないらしい。
 その生き様、は、平平凡凡と幸せに生きてきた高校生には予想外の凄まじいもののようだけれど。
 だけどそんなことはおくびにも出さず、彼は軽やかに笑ってみせる。
 元王子様の優雅な立ち振る舞いも当たり前にできて、気取りなく市井にも混じれる。剣の腕前はこの国でも有数のもので、指揮官としての彼を慕う人たちは今も大勢いる。
 なにより。女の人に、ホントーっによくもてる。城のメイドさんから、上級貴族のご婦人方から、街ですれ違う娘さんから、プロのおねーさんから…。
 ウェラー卿の爪の垢、所望。

 目標に設定するには高すぎる気がしないでもないけれど。こんな人物が四六時中傍にいて、憧れるなというほうが無理がある。

 そんなだから、この気持ちに気づくのに遅れたのだろう。それが単なる年上の同性に対する憧れだと思っていたから。
 だからずっとその姿を見ていたいのだと思っていた。
 だから彼に認められたいのだと思っていた。



 その日俺の精神状態は地べたを這いずっていた。
 月末で執務が混んでいてずっと部屋に缶詰め状態。いつもなら俺が煮詰まってきた頃に休憩をとってくれたりする護衛の彼も、他の仕事を頼まれているとかで不在。だいたい執務室から一歩も出ないのに護衛は不要だし、ゆっくりお茶を飲んでる余裕なんてなかったのだけれど。
 延々臣下たちからレクチャーを受け、大量の書類にサインをする。
 現役高校生は一日机に座っているのも、ノートを取るのも慣れたものだけれど、如何せん内容が。まるで馴染みのない行政なんて科目に、日頃使わない部分の脳みそを使って熱が出そうだった。
 それが五日続いてなんとか期日までに書類を捌いたかと思えば、次はその間に滞っていた分の謁見やら会食やらお茶会やら…。

 心身ともに参ってた。でもそれは言い訳だ。――謁見中に居眠りするなんて。
 もちろん後でグウェンダルに「お前にはいつものルーティンワークかもしれんが彼らにとっては一世一代の覚悟で臨んでいるのだぞ」とこっぴどく怒られた。だけどそれより堪えたのはギュンターの「陛下もお疲れだったのですから」という取り成すような言葉。
 いくら疲れているからと言って居眠りなんてしていい場じゃなかったし、それをしょうがない、と言われる不甲斐なさが堪らなかった。やりつけない仕事に追い立てられて、自分の無能ぶりを突き付けられ続けて――確かにあの時は慣れないことばかりで、今の3倍以上の時間がかかっていたんだけど――ほとほと嫌になっていた時に。これは、こたえた。

 休憩をもらったものの、独りの部屋に帰る気にはならなくて。
 本当にこんなんで俺がこの世界に留まってていいのだろうか……なんて思いながら、足は練兵場を望むバルコニーに向かった。
 彼が頼まれ仕事をしているはずのそこへ。

 整列する兵士たちを前に彼は居た。離れていて途切れ途切れにしか届かないけれど、何か訓示しているのが聞こえる。強屈な兵士たちと並ぶと彼は華奢なくらいなのだけれど、ぴしりと伸びた背筋も、纏う気迫も、あきらかに他とは違う。

 ――彼だけは特別だ。

 何が特別なのか…具体的には何一つ言えないのだけれど。ただ、トクベツ、だと思った。

 特別、のあのひと。
 俺にとって彼は――。
 沸き起こる、何か。
 温かく、柔らかい気持ち。
 彼の姿を目にして広がっていく甘やかな思いは、静かに浸み込み潤していく。それは理屈ではなく、ささくれた心を癒して。心地よさに詰めていた息をそうっと吐いた。
 今、自分の中を満たした何かを溢さないようそうっと。慎重に息を吐ききった時、さっきまでこの身を苛んでいた、自己嫌悪の疼きは治まっていた。やさしい何かに満たされて。

 そして。
 ゆらり、と、音もなく炎が灯るのを見た。
 心の奥で。

 ああ。俺は彼に恋をしている――。



 あの日からこの胸に灯っている炎。
 時に心を温め、時に情念に身を焦がしつつずっと飼っている。
 彼が俺を裏切ったかのように出奔したときにさえ、熾火(おきび)のようにじりじりと。それが消えることはなかった。
 それで思ったことは、俺は死ぬまでこの火を燃やし続けるんだろうということ。もしくはこの身を燃やしつくして俺は果てるのかもしれない。
 どちらにしてもそれはとても甘美な想像だ。

 彼が俺の傍に帰って来てからはその思いは一層強くなった。
 彼なしではもう、いられないとわかったから。

 だから、俺は彼に言う。
「あんたの魔族の長い生のうち、俺の寿命の尽きるまでの六十年か七十年かを――俺にくれないか? 俺にはくれるんだろう? 手でも胸でも命でも」

 俺の炎が消えるまで。

 傍に いて 欲しい


End


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