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がらがらどん

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引用 三びきのやぎのがらがらどん/福音館書店

 暑くもなく、寒くもなく。乾いた風が気持ちのいい午後。
 頭上の樹木がそよぐのと、草むらの羽虫が立てる鈴を振るような音。時折通りがかる靴音や話し声が遠く漏れ聞こえてもくるけれど、何の邪魔も入らない。穏やかで平和な時間だけが流れていた。
 まさか、誰も思わない。美しくに刈り込まれた柘植の小道の端、手頃な影を作る大樹の根元にこっそり魔王が潜んでいるなんて。
 百年経っても相変わらずの王佐が汁をまき散らしたのだが、前日に血の気の多いものでも食したか、近年稀に見る大惨事を引き起こした。ユーリは、血なまぐさいのが取れるまで、と理由をつけて執務室を抜け出して――血盟城は王が庭の木の陰で書類を読まねばならぬほど、部屋に不自由しているわけではないのだけれど。
 本当の目的は法案に関する意見書の読解ではなくって昼寝じゃあないのか、と、コンラートは先ほどから護衛ではなく目覚まし係だ。
 すっかり瞼が落ちてしまっているユーリの肩をまた揺する。
「んあ」
 半眼で恨みがましく見つめて、そのままぼうっと視線を飛ばしている。お茶の時間には随分早いけれど、何か持って来た方が効率があがるかと思案していたら、幼い子供の声がした。
「ここ、ここ」
 守役らしい女性の声が何か返す。高い子供の声程通らなくて不明瞭だが、どうやら小道の際にあったベンチに腰かけたらしい。
 くっついて一緒に登城してきた上級貴族の子弟だろうか。該当しそうな人物を二、三思い浮かべながら、ここで出ていくと二人を驚かしそうでしばらく待つことにした。
「むかし…三びきの…やぎが…いました。なまえは…どれも…がらがらどん…と…いいました」
 子供は本を持ってきたらしい。つっかえつっかえ、たどたどしく読み上げるのが聞こえてきた。
「はしの…したには…きみのわるい…おおきな…ト…」
「トロル――怪物のことですよ」
 詰まるたびに侍女が助けを出す。
「トロルが…すんでいました」

 ――はじめに、いちばん ちいさいやぎの がらがらどんが はしを わたりに やってきました
 ――ようし、きさまを ひとのみにしてやろう と、トロルが いいました
 ――ああ どうか たべないでください。ぼくは こんなに ちいさいんだもの
 ――すこし まてば、二ばんめやぎの がらがらどんが やってきます。ぼくより ずっと おおきいですよ
 ――二ばんめやぎの がらがらどんが はしを わたりに やってきました
 ――おっと たべないでおくれよ。すこし まてば、おおきいやぎの がらがらどんが やってくる
 ――やってきたのが おおきいやぎの がらがらどん
 ――ようし、それでは ひとのみにしてくれるぞ! と、トロルが どなりました
 ――さあこい! こっちにゃ 二ほんの やりが ある。これで めだまは でんがくざし。おまけに、おおきな いしも 二つ ある。にくも ほねも こなごなに ふみくだくぞ! こう、おおきいやぎが いいました。そして トロルに とびかかると、つので めだまを くしざしに、ひずめで にくも ほねも こっぱみじんにして、トロルを たにがわへ つきおとしました。


 いつしか子供が読み上げる物語に聞き入っていて、くすっと笑う声に我に返った。先程までうとうとしていたユーリが、すっきりした顔で目を開けている。
「絵本にあるまじきバイオレンスだな。…逆にヤギが怪物を食べるのかと思ったけど――やっぱ食べないか、ヤギは。草食だしな」
 子供たちに気づかれないよう、そんなふうに耳元に小声で。
 どうやら一番大きなヤギは怪物だけでなく睡魔までやっつけてしまったらしい。
「おれもがんばって読まないとな」
 ユーリは改めて膝の上の書類に目を落とす。
「むかし、三びきのやぎがいました」
 子供は更に二周目に入る。さっきより随分上手になった読み手の声が、静かな庭園に流れる。



 ユーリがこちらに来たのはまだ彼が十六歳になる前。ほんの子供だと思わせる一方で、異郷で生まれ育った破格の魔王はやることなすこと前代未聞。周囲を巻き込んで混乱の渦に叩き込みながら全てを変えていった。無知だからこそできたんだと今でも本人は言うのだけれど、それだけで成し遂げられるようなことではない。
 双黒を身に纏う美貌の少年王は、何にも恐れることなく変革を推し進めて――。
 だけど確かに、ただの子供の面も持っていた。自分にのしかかる責任の大きさに蹲り、権力の残酷さに震えるような。
 いっそ脆いとも言えるような、年相応の内面を見せることもあって――それはコンラートを単なる護衛でなくさせた理由の一つでもあると思う。
 ふと、昼間、庭園の樹木の陰で聞いた物語が甦る。

 少年のユーリに膝ついて、その身を乞うて。
『おれはまだこんなに子供だよ…もうちょっと待って…もっと大人になったなら』
 たとえばそれから五十年も経って、まぁそれでも百歳辺りまでは止まっているかのような具合でしか成長しなかったユーリだから、外見は少々大人びた、ぐらいだ――もう充分待ったと腕の中に閉じ込めて迫り。
『だけどまだおれはこんなだ 五十年待ってくれたんだろう? だったらもう少しだけ』
 それでもう五十年経ったとする。ユーリはどっから見ても立派な大人で、泣く子も黙る魔王ぶりだ。色仕掛け、なんてとんでもない技まで習得してしまったくらい。
 積年の想いを告げ。
 ――そして トロルに とびかかると、つので めだまを くしざしに、ひずめで にくも ほねも こっぱみじんにして
 すっかり大人になったユーリにおいしく戴かれてしまう光景が浮かんで、慌てて振り払った。

 不審を覚えたユーリが、いぶかしげに薄眼を開ける。目の縁をそっと舐めれば大人しく閉じて、乞う様に唇を差し出すのに口づける。
 自ら足を開いて誘うユーリを見下ろしながら、こっそり安堵した。
 なんと言われようが、あのときさっさと手を出しておいたのは正解だった、と。

 ――チョキン、パチン、ストン。おはなしは おしまい。


End


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