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Mother's Day

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「おめでとうございます、陛下」
 ギーゼラににっこり微笑みかけられてもユーリは面くらうばかりだ。
 朝から悪寒がして、身体がだるくて仕方がなかった。きっと風邪だろうと、早めにギーゼラの元を訪れたのだが、脈をとったり熱を測ったりののちに出てきたのは風邪薬ではなくて祝福の言葉。
「初めが大事です。しばらくはご公務もあまり無理をなさいませんよう」
 だと思ったからすぐにここに来たわけだし、無理は…とりあえず今夜は早く寝ようと思っている。にしてもおめでとうは不謹慎だろう、と彼女の意図を測りかねているユーリに告げられたのは。
「ご懐妊ですよ」

 それからどうやってギーゼラの元を辞したのかは覚えていない。気が付いたら執務室に座っていて、手にはペン、目の前には幾枚かの書類が出ていた。
 えーっと…直轄領の…護岸改修の…つらつら読んでサインを入れて、やっぱり早めにこの二人には言っとかないといけないよな、と顔をあげた。ギュンターは分厚い書物を繰っていた。グェンダルはずっとペンを動かしている。
 結婚もせずに内縁状態というのは外聞が悪いと、ずっと言われ続けてきた。そこにきて、これだ。やっぱ、ちょー怒られるよな…気分が重くなる。
「集中しろ。そろそろ帰ってくるのだろう、さっさとそれを終わらせてしまえ」
 顔も上げないグエンダルの叱責が飛んで、ユーリはびくんと書類に戻る。
 ああ、絶対すんげぇ怒られる。どうしよう。あいつから言って貰おうか。弟なんだし。そこまで考えて、はっとユーリは気が付いた。
 そうだ、こういうことはまずコンラートにこそ伝えなければいけないんだと。彼は一昨日から留守にしていて、グエンダルの言うように午後には帰ってくる予定だった。
「具合が悪いのだったらもう今日はいい。休め」
 グエンダルが小難しい顔で告げるのに、ユーリはひどく身体がだるいことを思い出した。ギーゼラの元でそれが風邪や他の病でないことはわかったのだが。
 はて、ではギーゼラの言う無理をするなというのはどの程度までなのだろう。徹夜はダメだと思う。会議を三件詰め込むのは? 移動がダッシュじゃなかったらいいのか? そうだ、会議中キレるのは出来るだけやめよう。あ、ランニングや筋トレはどうなんだろう? 馬は――騎馬民族は馬上で生まれるってくらいだからセーフなのかな。飲酒はいけないんだっけ。げっ、八ヶ月も禁酒すんのかっ。
 日常生活にかかるさまざまな制限を面倒に思うが、おれだけの身体じゃないんだし、なんて思えば。何故か寛容になれるもんだ。

 コンラートが戻ったのはそれから半日後で、それまでにユーリはさんざん重大発表のシュミレーションをやってみたのだが、それ故にちょっと飽きて…いや、急ぎの案件が飛び込んできたりで後回しになってしまった。
 やっと落ち着いて話せる頃になって、結果、恐ろしく事務的に告げてしまったのだった。
「結婚しよう。子供ができた」
「はい?」
 それまで湛えられていたコンラートの微笑が凍り付いて、ユーリは失敗したことに気が付いた。
「あ…――ごめん、やり直し!」
 ユーリはコンラートの正面に立つと両手を取った。
「いままであんたをほったらかし…にしていたつもりもなかったんだけど――いや、これはいい機会だと思うんだ。おれと結婚してください」
 しばらく睨み合いが続いて。苦笑の形にコンラートが眉を下げて、コンラートはユーリのプロポーズを受け入れた。
 あれ、なんだろ、このぎりぎり及第点的な…――やっぱここはもっと感動的な演出が要ったか、と後悔しても後のまつり。
「ありがとうございます。――それで、子供ができたって?」
 今度コンラートが浮かべたのは困ったような嬉しいような表情で、ユーリはその心持が手に取るように理解できた。何しろユーリは午前中に体験済みだ。じわじわくるんだ、じわじわ、と経験者の余裕でコンラートを観察していたら。
 コンラートは一歩の距離を縮めてユーリを抱きしめた。
「ありがとうございます」
 同じセリフをもう一度、耳元で聞く。今度はふわふわ甘い調子で。
 ユーリよりもコンラートの方がずいぶん順応性は高いらしい。


 という夢を見た。やっぱり夢でした!
 おれが妊娠って…夢ならではの荒唐無稽っぷりに目眩がしそうだ。っていうか、なんであいつでなくおれがママ? パパでなくママ! と考えて。あ、と思い至って再び枕に倒れ込んだ。
 ソウデスネ…ソウイウコトデスヨネ…ハイ。
 不思議なのだが、夢で良かったというほっとした気持ちと、少しがっかりしている自分がいる。
 結婚して子供をもうけて家庭を作る。すごく面倒だけど、そういう面倒を楽しみにしてもいたのだ。夢の中の自分は。
 現実に結婚することは可能だ。むしろ道義的にはその方が歓迎される。さすがに産むのは無理でも、グレタのように養子を迎えるという方法もある。
 ただ、問答無用待ったなしで目の前に突き付けられるのと違って、そんな風に切羽詰らなければ。やっぱり億劫が先に立つ。ダメだなぁ、おれ。
 コンラートが起こしに現れて、ユーリはようやく着替えに手を伸ばした。
 当人相手にこの話はさすがにはばかられた。イタすぎる。
 だけどどうにも口がムズムズして。「パパになる夢って見たことある?」とだけ聞いてみた。
 突っ込まれればややこしいことに変わりはないが、まぁ冗談でなんとでも言い逃れできるラインだ。
 コンラートは、「え?」と呆気にとられた顔をして。
「パパはないですけど――…ママになら」
 と、少し照れくさそうに笑った。
「え?」
 ちょっ、おま…それって。どゆこと?!


End


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