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兵糧攻め
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風呂上がりの濡れた髪を拭きながら、ユーリはだだっ広い自分の部屋を見回した。
先日から火が入れられるようになった暖炉の炎がゆらゆらするだけで、他に動くものは何もない。物寂しい気分になって、ユーリはわざと力を込めて髪を擦った。
「生活に潤いがないよなぁ」
暖炉の前へと椅子を引きずりながらひとりごちる。
彼女でもいれば、もうちょっと毎日に張りがでるのに。夕食に招待したり。観劇に付き合ったり――観劇は眠くなるのが難だが、それでも侘しくこんな時間を持て余すよりはいい。
自然消滅した彼女と最後に会ったのは去年の今頃。
来月から始まる予算編成の間は執務室に缶詰め状態で、結構それが原因で仲がぎくしゃくしたりする。
彼女ともそれが決定打になってしまった。その前からすれ違いが増えてはいたのだが、ひと月ばかりの空白が修復不可能にしてしまった。
気を利かして代わりに花でも贈っといてくれたらよかったのに――と考えて、無理か、と思い直した。気を利かしてほしい相手は、ユーリの侍従のようなことまでする護衛である。
無理だ。彼は自分のことが好きだって言うんだから。他の相手との仲を取りなすみたいなことは。無理だな。
うんうん、と納得して、ふうっと大きく息を吐いた。
納得できないのは、その男がそれっきりということだ。
ユーリは好きになったら、相手に好きだと伝えたくなる。そして相手にも同じように好きになって貰いたい。一緒に居たくなるし、夜を共にしたくもなる。なのにコンラートはそれを望まないのだと言う。
「おれとしたくないのかなぁ。…そもそも、男、だしなぁ」
コンラートだって女性と浮名を流しまくってた。気持ちとそういう相手は別なんだろうか。ユーリへのはあくまでプラトニックなんだろうか。
それが気持ちと肉欲がセットでくるユーリには少し理解が難しい。
「別にあいつとしたいわけじゃないけど」
ぼんやり暖炉の火を目に映しているうちに落ち着かない気分になってきたのを、一年にわたる彼女不在のせいにした。
会談相手から少し到着が遅れると連絡が入り、共に待っていた事務官たちが席を外した。
「交渉の場で相手に貸しを作っとくのは悪い事じゃないですよ」
傍に控える護衛が魔王を宥める。
「わかってる」
気が抜けるだけだ。ページを繰っていた綴りをパタンと閉じた。
日の入りは徐々に早くなっている。もう半時間もすれば、西日が射してくるだろう。ユーリは窓の外からコンラートへと視線を移した。
部屋には二人だけが残された。ひょっとしたら気を使われたのかもしれないと可笑しくなった。
「なぁ、日照り続きなんだろ?」
天気の話ではない。雨は数日前に上がったばかりだ。
コンラートは僅かに眉を寄せた。
魔王と護衛がただならぬ関係だとの噂が席巻して数週間。コンラートの周りから見事にご婦人方の影が消えた。あれほどひっきりなしに聞こえてきた噂話も全くなくなって。
無理もない。魔王の恋敵になってしまうのだから。たとえ本当にただの噂だとしても、当事者やその身内がやっきになって消してまわるだろう。
モテ男が形無しだな、と自分が原因なことは棚に上げて愉快だ。
「で、どうなのあんた。やっぱおれがおかずなの?」
頬杖ついてにやにやと問えば、コンラートは呆れた顔で一瞥して卓の上の紙束を取り上げた。
「お答えしかねます」
事務官たちの残して行った資料だ。幾枚かを捲って、順番がばらばらになっていたらしいのを並べ始めた。
「だいたいあなたなんて、カタリーナ嬢と別れて以来ずっと、じゃないですか」
手を動かしながら、ちくりと反撃。恋愛事情を知り尽くされている側近相手では分が悪い。
「おれはいいの。あんたと違って慣れてますから」
コンラートは溜息をついた。
「いったい、俺にどうさせたいんです?」
「どう、って」
それはユーリにもわからない。自分はいったいどうしたいんだろう。何を望んで執拗にコンラートに絡んでいるんだろう。コンラートとどうなりたい?
「抱かせてやってもいい」
コンラートはうんざりと天井を仰ぐ。
「そこまで落ちぶれていませんよ。そもそもあなたは女性が好きなんでしょう。そう言ってヴォルフラムを袖にしたんじゃないんですか」
それを言われるとユーリも辛い。ヴォルフラムのことは大好きだけれど、あいつはそういう相手じゃないのだ。
揃えた書類のページを確かめながら、顔も上げずにコンラートが問うた。
「あなたこそ、俺で自慰が出来るんですか」
ユーリの目が一瞬泳いだことを、コンラートは気付かない。
「さあ。今度試しとくよ」
悪趣味なユーリの問いへの仕返し、それ以上の意味はないらしく、書類の角を揃える音だけが部屋に響く。
「遅いな。晩飯が遅くなるじゃないか」
卓に伸びた窓桟の影を見て零す。
「何か軽く摘まめるものを用意させましょうか」
「そこまでの時間もないだろ。――あんたなんか持ってない?」
冗談で言ったつもりだったのに。
「キャラメルなら」
「あんたそんなもん持ち歩いてんの?」
「たまたまですよ」
コンラートがそんなものを好んで食べているとこなんて見たことがない。ユーリの今日のスケジュールを見て、会見時間が延びるのを想定してのことだったんじゃないかと思った。
大切にされている――っていうか、彼が優秀すぎる側近だということは知っている。
コンラートを手招きした。
近づいたコンラートの腕を取って、膝がぶつかるくらいまで引き寄せる。
「食べさせて。手がふさがっている」
右手は開いた綴りのページを押さえ、左手はコンラートを捕まえている。
あきれた顔をしながらも、コンラートはキャラメルの包み紙を剥いてユーリの口元へ持って行った。ユーリはわざと小さく口を開ける。
コンラートの眉が顰められる。
顎をしゃくって早くと促したら、その隙間に菓子を押し込める。上目づかいでコンラートの顔を見つめながらゆっくり受け入れる。
指に移った香りまで取るように吸いついた。ちゅっと音が立つ。
もう少しユーリが低い位置なら完璧だったかもしれない。ユーリの顔がコンラートの臍の下くらいにくるようだったら。
「最低ですね」
コンラートが吐き捨てるのを愉快に聞きながら、さっさと観念しやがれ、そう考える理由はやっぱりユーリにはわからない。
ただ、コンラートのきっと誰にも踏み込ませないだろう、一番深い部分にある感情をつつくのは、とても楽しいのだ。
End
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