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眠れる森の

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 王子は驚きに言葉を失いました。瀟洒なガラス張りの温室が、すっかりいばらによって覆い尽くされているのです。
 中に囚われたお姫様を助け出すには、この絡み合ったいばらを断ち切って進んでいくしかありません。

 コンラートの頭にどっかで聞いたような物語が浮かんだ。あぁ…あれは温室じゃなくて塔だったか。
「…この中に、陛下が?」
 つい無意味な念を押しながら、なんでまたあの人は…大人しく玉座についていることができないのか…出来ないんだな――と百年余りで幾度となく思ったことを繰り返していた。
「ええ、もう三時間以上も経つのにまるでお返事がないのです――きっと中で何か…」
 自分の想像に恐ろしくなったらしいギュンターはそこで声を詰まらせ、代わりに盛大な汁を溢した。
 たかだか三時間。だが場所が悪い。夏が終わり過ごしやすくなったといえ、晴れた日の温室だなど。中の温度はかなり上昇しているはずだ。
 そんな蒸し暑いであろう中から出てこない、更に応答が無いとは。
 そして、この尋常ならざる光景。
 温室のまわりに確かに季節になれば白い大輪をつける蔓薔薇は植えられていたけれど、それはこのように温室を包み込むように枝を伸ばしたりはしていなかった。明らかに魔力の影響を受けた植物はグロテスクなまでに成長して、入口はおろかすべての面を塞いでいる。
 いつもに増して渋面のグウェンダルが呻く。
「私も力を尽くしてみたがどうにもならなかった。小僧自身の仕業なのだろうが――血盟城内では精霊はどうしても魔王に味方することであるし」
 土の精霊と盟約を結び、それに関する魔術を良く使う彼でも敵わなかったとなると。魔力では太刀打ちできないのか。
 コンラートは早朝から城を留守にしていて、戻ってくるなりこの中庭のはずれの温室まで引っ張ってこられたのだが。しかしどうしてこんなことに。
 気まずげにグウェンダルが眉を顰める。
「時間稼ぎなのだ。朝からの十貴族会議で決議される事案があってな。陛下はそれを否決させたがっていたのだが――まだ根回しが不十分で」
 ではその会議を延期させんがために、こんな処に立て籠もっているわけですか。
「それで会議はどう?」
「当然延期だ」
 いばらの隙間から割られたガラス越し中を窺うが、茂る植物が邪魔して奥が窺えない。温室特有のむっと濃い植物の熱気が吹きつける。
「陛下、もう出てらしてもよろしいんですよ。会議は延期ですから」
「グランツもロシュフォールも反対にまわったぞ」
「だそうですから拗ねてないで出てらっしゃい、へい…ユーリ」
 宥めすかしてみても応えはない。
「ユーリ?…」
 やはり、このいばらを断ち切っていくしかないか――。



 喉を甘い味わいがとろとろ降りて行く。ぬるい液体を含まされた口内。唇に感じていた圧力がのいた。
 視界を占めるのはコンラートだ。なぜか左の頬に引っ掻き傷を作っていて、乾いた血がこびりついていた。
 また、自分にキスをする。ひんやりぬるい水が注ぎ込まれる。
 ただの水なんだろうけれど、とても甘く感じるのは。きっとコイツだからだ。
 じわじわと喉を潤して、胃に落ちる。コンラートの体温を吸った液体が、自分の中に滲み込んでいく。ユーリはうっとりと浸されていく感覚を追った。
 コンラートがコップを煽って、また唇を合わせる。
 色っぽい行為のはずなのに、その目にはまるで艶めいた様子がなくって、それを少し不満に感じる。
 というより。この無表情は何か感情を抑えているときのものだ。――何かコイツを怒らせるようなことをしただろうか。
 思考はまた、口に水を含まされるキスによって遮られる。
 ああ、やっぱり甘い。
 口の端から垂れた滴がこそばゆい。舐めとってくれないものかと思ったけれど、そのまま放っておかれた。
 奴の口内の熱をすっかり吸い取ってしまった水はいつしか冷たいまま渡されるようになっていて、離れ際に名残を惜しむように彼の口を舐めたらひんやり冷たかった。
 コンラートが眉を顰める。
 まぎれもない嫌そうな表情に、いよいよ本気で虫の居所が悪いらしいと察するが。
「目が覚めたんならご自分で飲んで下さい」
と、これまた不機嫌を隠そうともしない声で、持っていたコップを突き付けられた。
 そこで初めて、自分が居るのが寝室に付属する浴室の、バスタブの中だと気がついた。
 行為の最中に意識でも飛ばしたか――この状況に至るまでを考えつつ。
 目の前のコップに口をつけるべく頭を起こしたら、ずきりと痛みが走った。
「どうしました?」
 ひどい頭痛に目を眇めながら、アタマが痛い、と囁くようにしかならない声で告げた。
 コンラートがそっと頭を抱き起こしてくれる。
 彼はバスタブに横たわる自分を支えるように、外から抱きしめてくれていた。着たままのシャツはすっかり濡れて、さっきから頬に当たる湿った感触は彼の胸だった。
 唇とは違う硬いのが当たって、ゆっくり水が流し込まれる。当然、もう甘くもないただの水だ。
 もういい、と横を向いたら、飲んで下さいと強いられてしぶしぶ口を開ける。
 コップを干してしまったらバスタブの陰でかちゃりと陶器の触れ合う音がした。コンラートの指が前触れもなく口に押し込まれる。
 じゃり、と砂を噛む心地がして。喉の奥まで痛くなるような塩っ辛さが襲ってきた。
「んんっ」
 塩を摘んだ指先を舌に擦り付けられる。
 舌の根がじんと痺れて涙が出そうになったところに、再び水のコップが突きつけられた。
 文句を言おうにも…とりあえず口内をすすぐ。濃すぎる塩水は喉をヒリつかせるばかりだったが。
 これは何の仕打ちかと、生理的に潤む目で睨みつけるが。
「怒りたいのはこっちですよ」
 もう十分怒っているくせに、溜息までついて見せて。なんだ、おれはそんな不味いことをしたのか。
 いまいち纏まらない思考を掻き集める。だけど相変わらず頭はズキズキ痛いし、身体が重くて手指すら持ち上がらない。これほど消耗するような――…はて。コンラートはいつ帰って来たのだろう。
 奴は朝早くから用があって、今朝は自分が起きる前に城を出ていたはず。
「あ――会議…」
 ふう、とまたコンラートの溜息。
「当然延期です。肝心の魔王陛下が出席できないんですからね。ついでにお教えするとグランツとロシュフォールは反対に回ったそうですよ」
 そうか――。
 作戦成功、とにんまりしたら。
「よくもまぁあんな処で寝ていられますね」
 そっけないまでの声音でコンラートが。
 怖くて首をすくめた。やばい。これは相当怒っている。目も合わせられずバスタブのふちに視線を逃す。
「朝のうちは涼しかったんだよ」
 そう、それでベンチに横になったら心地よく睡魔が襲ってきて。確かに寝てる間に暑くなってきて、一度は寝苦しさに目を覚ましたけれど――気持ちの悪い目眩がして起きるのが面倒になったのだ。
「…あんたが起こしに来てくれないかなぁと――思ったような思わないような…」
 また無理やり口の中に塩を突っ込まれた。辛い。
「魔力で結界を張っていたでしょう」
「え、そうだっけ? ――だけどあんたそれを破って連れ出してくれたんだろう?」
「どっかの物語の姫君よろしく、いばらに守らせてよくお休みでしたよ」
「いばら?」
 確か温室の脇に植わっていた植物に、誰も入れないように『お願い』した記憶はあるけれど。
 じゃあ、この傷は。コンラートの頬のひっかき傷は自分を救出する時についたものだと気がついた。
 えいと力をこめたら、ちゃぷりと手が持ち上がる。左頬に指を這わせようとした直前で、察したコンラートが身を引いた。
「およしなさい――熱中症で今まで意識を失くしてたひとが。そんなあなたに治癒なんて、して貰わなくっていい」
 そう吐き捨てる奴の、シャツにもところどころ引っかけた跡と血の染みを見つけた。その先の手はさらに傷だらけだった。
「ごめん」
「謝って頂かなくても結構ですよ。陛下の御信頼が厚い俺だからこそ破ることが出来たんだそうですし。かと言ってすんなりとも通して貰えませんでしたが」
 そぶりで促されて、口元に寄せられたコップの中身を啜った。
「本当に…大人になられて分別を身につけられたかと油断すれば、時折このような考え無しを仕出かしてくれる」
「だからあんたがずっと傍についててくれなきゃ駄目なんだよ」
と、コップを支えてくれる手を包み込んだら、振りほどかれた。ぶう。
「陛下。この傷は治さないでください。自然に癒えるまでずっとその目に入れて、そしてその度に反省なさい」
 本気で。本気で怒っている。これは隙を盗んで治癒を行ったりしたら――百年くらい言われ続けかねない。
 どうしたものかと――とりあえずやっぱりもう一回謝ってみる。
「ごめん」
 コンラートは呆れたようにただ溜息を吐いた。
 だけどそこにしょうがないな、という、諦めにも似たニュアンスが混じっているのを嗅ぎ取って――ここでにやけたりしたら、またもっともっと怒らせるんだろう。神妙な顔を取り繕って、いささか乱暴に突き付けられたコップの水を舐める。
 甘くもなんともない、ただの水を。

 ――さっきみたいにして飲ませてくれるなら、いくらでも飲めるのに。


End

Milky Apple 花菜様 が 陛下目線の不機嫌次男を書いて下さいました →


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