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いじっぱり陛下
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相手によって態度を変えないというのは大事だけど、同じようなことを言われても笑って流せる相手と、いちいち腹が立つ相手が居ると言うのも事実。
彼の場合は後者だった。
十貴族当主の名代として駐在しているその男は、気難しくやりにくい。
前々から依頼してあった事案の回答を求めたらのらりくらりとかわされて。
「新年早々慌ただしいことですな。陛下がそうであらせられては、下の者も落ち着きますまい」
なんでこの案件が年越したと思ってんだてめー。
「おれに落ち着きがないのは今に始まった事じゃない。皆も心得ているから御心配は無用だ」
内心煮えくりかえりながら厭味をあしらって。
さて、今夜は答えを貰うまでは帰さねーからな、と、深々と椅子にかけなおす。持久戦なら若いこちらに分があるんだぜ、とはったり込みの笑みを浮かべる。
暖炉の薪が崩れて火の粉がぱっと舞い上がった。充分に暖められた部屋の空気に眠気を催しそうだ。
もちろんさっさと片して帰りたいのは当たり前。城内警備の会合に出ているコンラートだって既に戻っているはずだし。
まさか、そんな内心が漏れていた訳じゃないだろうが。
でもそのタイミングで。
「あまりウェラー卿を放っておかれては可哀想ですよ」
向けられたやーな笑顔。若造にはどうやったって無理な、年季の入った嘲笑。
ぐっと力を込めたペン先が折れた。
もう三日も経つのに。その時の屈辱を思い返すたびに、やり場のない怒りに苛立ちがつのる。
八つ当たりの犠牲になったペンにごめんと謝って、インクの染みを吸い取り紙で押さえる。
こんな夜遅くまで執務室に残らないといけないほど、仕事を抱えている訳じゃなかった。…探せばあるけど。
それをだらだらいつまでも、この席を離れないのは。まぁ、アレだ。あの呪いだ。
王様業とコンラートと秤にかけて、傾くのは確実に前者だ。もとより比べるのが無茶って気もするけど。だけどおれは、プライベートを、コンラートをないがしろにしてまで頑張っていると思う。あんまり言うとカッコ悪いから黙ってるけどな。
その、すんごく頑張ってる部分を、鼻で笑われて。静かにぷちーんと切れた。
ああ、そう。俺の我慢って何なの? 必要なかったの? それともそんなささやかな個人の幸福も持つべきじゃないの?――やけっぱちのように思考は暴走して。意固地になっているだけだってのはわかってる。でも、腹に石を詰め込んだみたいに重苦しくて。息が止まりそうだった。
気を取り直すように新しいペンを手にする。
そっとコンラートが部屋を出て行って、ほっとした。彼の姿は心を乱すから。
すぐにお茶の支度を手に戻ってきたけれど。そして。
「あまり無理をしないで。休めるときに休んでおかないと」
言いたいことは他にもあるだろうに。余計な詮索はなく、それだけ言って湯気の立つカップを机の端に置くのだ。
そしてコンラートの忠告ももっともで、じきに決済を求める書類がぞくぞく上がってくるだろう。
なのにいつまでも執務室に立て籠って。
深夜に私室に戻っては、余計な隙を見せる間もなく寝台に倒れ込む。
そんなこんなで無駄に頑張ってお仕事してたら、予定通りに書類が廻って来始めて。承認したり折衝したり突っ返したり。優先順位をつけて並べた案件の山がいくつも築かれるようになった。
やっぱりあの時に少しでも体力を温存しておくんだった、なんて後悔しても後の祭り…のところだけど、変なスイッチが入ってしまっているらしく。ただひたすら事案を捌いていくことだけに没頭した。
私事を全部切り捨ててしまえば、それは案外に身軽で、楽なものだった。
そうこうしてたら、今度は川を挟んで接する隣国で内乱が起きたとの報が入ってきた。
よその国のことと無関心でいるわけにはいかなくて、情報を集めたり対応を協議したり。
無駄な争いをさけるには正しい情報と分析、すばやい対応が肝心。百年余りも戦火を交えずにこれたのは、些細な事柄にも億劫がらずに細やかに対処してきた成果だと思っている。
折しも寒さ厳しい時節で。凍った川を渡って戦火から逃げてくる人が発生することも予想されたので、その手配も命じたり。
くだらない私情に囚われている暇もなく、物事に追いまくられ、ようやく息をつけるようになったのは、ゆうにひと月以上経ってからだった。
気がつけば、窓の外の雪景色がきらきらと明るい日差しを弾くようになっていた。寒々しいばかりだった枯れ木の先に、小さな芽がたくさんついていた。
そんな季節の移り変わりに気がつく余裕ができて、春の訪れにうんと伸びをして。振り返ればコンラートがいた。
いや、ずーっといたのだけれど。
…意識の外に追いやられていたというか…なんというか…そういえば随分と長い間彼に触れ、るどころか…いやいや、言葉は交わしている。スケジュールの確認だとか。上着はこちらでよろしいですか、だとか。
一ヶ月半、ずっと一緒にいたけれど、まったく事務的なやりとりしかしてこなかったことに思い至って愕然とした。
倦怠期の夫婦でも、もっと厭味の応酬とかありそうだ。
なんとはなしに疚しくなって目を外した。
ああ、そういえば書類の整理が。
うっすら埃のつもった書類箱を開けて、重要度が低かったせいでそんな扱いになっていた仕事に目を通し始めた。
放置し過ぎていたせいで内容がすっかり記憶から飛んでしまっていた案件は、理解しなおすのに手こずってしまって。
私室に戻ったらもう既にいい時間になっていた。
前もって暖められていた部屋の、暖炉の薪もすっかり崩れてしまっている。
部屋まで送り届けてもらって。いつものように「遅くまでありがとう」と礼を述べて。だけどコンラートはそのまま出て行かなかった。
彼は単なる護衛ではないので、なんら不思議なことでもない。ただ、ユーリはどう対処していいのか戸惑った。いつもならどうしていたのだろう。普通に。ふつうに一人きりの時と同じように、雑事を片付けたり寝支度を整えたり、だ。語るともないことを口に上らせて。
となれば、そうだ、湯を浴びようと部屋の奥へと足を向けた。
それがコンラートの脇をすり抜けざま、腕を掴まれた。まるで怯えたかのように肩が揺れた。
「何?」
「なにも」
とても何でもないようではない。それはユーリ自身もだけど。
妙に濃厚な空気が二人の間に流れていた。
そういう時は首にでも腕をまわして引き寄せて、言葉は発する気が無いらしい唇を、塞いでしまえばいいのだったっけ。
何も言わなくてもコンラートの顔を見れば判ったし、自分だって突っぱねる理由など、何処を探したってない。一月半も以前に抱いた鬱屈など、とうに何処かへ行ってしまったはずだ。
なのにじりじり焦げ付いてしまいそうな緊迫の中で身じろぎひとつしないでいた。
諦めて腕を放してほしいような、もうひと押しして貰いたいような。
自分はどうしたいんだっけ――。
これまで無意識に取っていた行動がうまく出来ない。急に言い知れぬ不安が寄ってきて、振り払うように腕を外した。
「あ…」
つい、やってしまって、それが拒絶の体を取ってしまったことに肝が冷えた。
コンラートは眉をひそめて――呆れたように溜息なんてつかれたらどうしよう、とっさに引き留めようとその腕を掴み返したけれど。
がくっとユーリ自身の上体が下がった。倒れまいと掴んだ腕に力を込める。
身体が受け身をとろうとしたのと、コンラートの腕で支えられるのと、その彼に足払いをかけられたのだと認識するのはいっぺんに。
勢いよく背中から床に倒されたわりにはそれほどダメージはなくって、それよりも自分を拘束する男の行動にびっくりした。
かたくなな自分の態度に、コンラートは呆れて出て行ったりしないらしい。
ほっとしていい筈のところだけど、いかんせん、これは極端じゃないか。見上げる視線に険が籠る。
コンラートが舌打ちした。
「強情」
むっとしたけど、違いなかったのでユーリは反論するよりそっぽを向いた。
向けた顔の先では暖炉の焔がちろちろと揺れていた。
珍しいアングルに、床の上で押し倒されていることを実感する。ぱちっと薪がはぜて火の粉が舞い上がる。
ちくっとする感じで首筋を吸われて、その後を這う舌の感触に何かもぱっと飛び散る。
まだ衣服の下の胸の先が、火の粉が飛んだみたいにちりちりした。
拘束されている訳じゃない両手を、つい、彼の背に廻しそうになる。それが癪で、意識して床に留めた。
顎の先にされたキスでこっちを向くように唆されたけれど、それも無視し続けていたら、あまり強くはない力で向かされた。
何度か唇をつばまれて、舌が忍ばされてきたって、拒まなかったけれど答えもしなかった。
「いじっぱり」
口の端に溢れた唾液をちゅっと吸い取って、なじる彼の言葉には笑いが滲んでいる。
お見通しだと言われると、それはそれで恥ずかしくって目を閉じた。
肌寒さを感じてみれば、暖炉の火はすっかり燃え落ちていた。
身体を起こして打ち捨てられていたシャツを引き寄せる。
硬い床の上でなんてやるもんじゃない。背中も腰も痛い。
風呂の用意をしてきましょう、と立ち上がりかけたコンラートを引きとめた。
強姦まがいにこんな場所で押し倒しておいて、なのに、風呂、なんだもんなぁ。
もっとも自分も抵抗しなかったけれど。それどころか…。
「修道士のように生きていくことにしたんだよ」
告げたらコンラートの眉が跳ねあがった。
「俺は付き合えません」
「だよなぁ。おれも無理」
すごく無理。無理でした。駄目だと自分を戒めるほどに深く感じて…――悪魔的に気持ち良かった。やっぱ全然、無理。
手が伸びてきて、乱れた髪を梳き通される。
「いつものあなたなら上手くあしらうでしょう」
なじる調子ではないので、あしらう対象は目の前の男の事じゃないんだろう。
やっぱりなんで拗ねていたのかとか――はじめっから全部知られているな。
一ヵ月半前、コンラートの代理でついていた護衛を恨んだ。何から何まで報告すれば良いってもんじゃないだろう。国家機密が含まれてたらどうするんだ。…あれが該当するかどうかはさておき。
だけどあれは…あのタイミングで言われたからこそ、何も切り返せなくなったのだ。丁度、この男のことを考えているのを見透かすようなタイミングで。
向こうは何気なく言ったのだろうが、やましさを突かれて堪えた。これはもう相手のファインプレーなんじゃなくて自分の…いや、コンラートのエラーだ。
彼の腕を払って立ちあがろうとしたら、逃がさないとばかりに腕を引かれた。あっさりと胸の中に落ちる。
宥める指が甘くって、嫌がる気にもなれない。
「厭味を言う気にもならないくらい、見せつけてやりましょうか」
「やめてくれ」
「気安くそんなことを言ったことを、うんと後悔させて差し上げたらいい」
「笑いもんにされるだけだぞ」
コンラッドは探るような目つきでまじまじとユーリを見た。
「何?」
「いいえ。好きな女の子の気を引きたくて、わざと意地悪しちゃうってのは、よくある話でしょう」
思いもかけないことを言われてあっけにとられる。
うがち過ぎだ。こいつは知らないからそんな呑気なことを言っちゃうのだと、しょっぱい気持ちになった。
「ないから。有り得ないからそんな牧歌的な話。――もしくはあんたにそんな誤解されてるって知ったら、相当なダメージ与えられそうだけどな」
わるーい笑みをこぼして、ちょっと溜飲を下げる。まぁそれくらい互いに相容れないのだ。
コンラートはまだ納得いかない顔をしていたけれど。自分の杓子定規で考えすぎだ。
「馬鹿」
とたしなめて。面白くもない話はここまでだと、首筋に廻した腕でコンラートを引き寄せた。
End
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