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貴方と生きる話
               原案:遠野様 ハヅキ様
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 俺は自分の母親を知らない。
 俺が生まれてすぐに死んだと聞かされて、それ以外何も教えられなかったから、そういうものだと思っていた。はじめっから存在しない者への思慕は持つことはない。
 父親はとても美しい人だった。そして俺をとても愛してくれた。
 ずっと傍に居てくれたから、片親の寂しさも、引け目みたいなものも感じたことはなかった。
 同級生たち誰の母親よりも美人で優しくて愛情あふれた父親は、俺の自慢だった。
 ただひとつ。
 いつだって自分を一番に考えてくれて、愛してくれているはずの父が。
 時折、俺を目に映しながら、それ以外の者を見ているような。自分が透明の窓ガラスかなにかになったかのような心持ちにさせられることがあったけれど。

 幼いころはそんな父親を遠く感じて、心許無さに泣いたりもした。
 そうすると我に返った父親がひどくすまなそうな、それでいて悲しそうな顔をするので。俺は決して父親を悲しませたいわけじゃなかったから、泣くのは止めた。
 優しく綺麗な父にはいつも笑っていて欲しかったから。

 長じて物心つくようになると、そんな風に遠くなる父親は、自分の中に亡くなった母の面影を探しているのではないかと理解するようになった。
 俺と父はあまり似てはいなかった。なのできっと、写真の一枚すら残っていない母親に似ているんだろう。
 写真の一枚も残せず、一切口にできないくらい。父は母のことを愛していたんだろう。
 俺が初めて母親に抱いた強い気持ちは、そんな嫉妬。

 はじめは自分の中の母親の血を恨んだ。死んで十年以上も経つのに、いまだ父を捕えて苦しめる母が憎くて仕方なかった。
 そして強く面影を残しているのであろう自分の顔が、嫌で嫌でならなかった。
 そんな気持ちはたまに巻き込まれる、血気盛んな年頃にありがちの喧嘩の際にも出るらしく。顔を庇うという本能を鈍らせて。殴り合いには勝利したがよく怪我をした。
 眉の端を派手に切ってしまった時。日頃は多少の怪我も案じつつも「やり過ぎるなよ」と苦笑で済ませる父親が、まるで幽霊でも見たかのように真っ青になった。
 更に怪我をしたのは俺なのに、父は立ちくらみを起こして俺を慌てさせた。
 軽いめまいを覚えただけらしいのを、とっさにしがみ付いて支えた。血の気の失せた顔を覗きこんだら、父は震える手を伸ばしてきた。
 既に血は洗い流されていたけれど。まだかさぶたもできていない傷口をなぞられて肩が震えた。
 父は不思議そうにじっと見つめて。
 そして、笑った。
 ひどく場違いな笑みにぞっと肌が粟立ったが、同時にそれが壮絶なまでに綺麗で。
 俺は身動き一つ取れず、視線を外すことさえ叶わなかった。

 母を恨み、自分を憎んだその次に向かったのは、父その人だ。
 決して帰らない人をいつまでも想い続ける、その無駄に我慢がならなくて。
 もっと報いてくれる相手にこそ、その気持ちは注ぐべきだと。父を幸せにしてくれる人に。
 俺なら、決してこの人を悲しませないのに。俺の全てで護るのに。
 家族の愛情でもってしても埋められないのが歯がゆくて。

 少し不器用なところがあって、たまに料理を焦がしたり、洗濯物を駄目にしてしまったりもしたけれど。そんな父をフォローするのも嬉しくって。
 男所帯と言っても、悲壮じみたことはなく、俺たちはとてもうまくやっていたと思う。
 ただ。時折、ふとした拍子に気付いてしまう父の遠い視線に、どうしようもない苛立ちを覚えてしまうだけで。
 ひょっとしたらそれだって、随分自分の思い込みが入っていたのかもしれないが――とにかく苛立ちはすぐに嫌悪に変わった。
 俺以外を見るなと、衝動を父にぶつけようとした自分に気がついた時。おれは、父から逃げることを決めた。
 力が入り過ぎてほどけなくなった拳に困惑しながら、これ以上一緒に居たら、自分はこの人を傷つけてしまうと。
 何より大切にしたいのに。
 誰よりも幸せでいて欲しいのに。
 全寮制の高校に進んだのは、自分に限界を感じてだ。

 長期休暇で帰省するようになって気がついたのは、父の変わらなさだ。
 これまで毎日一緒にいたせいで気付かないことだったが、父は一向に衰えることがなかった。
 容色がということだけでなく――年齢を感じさせなかった。高校生の息子を持つように見えないどころか、自分と同年代に見られるほど。
 それが美貌と相まって、いよいよ父を浮世離れさせた。
 それでいて、やはり、気のせいなんかじゃなく。
 確かに父は俺の中に俺以外の誰かを見ていた。
 そしてそれは帰省する度にひどくなっていき。
 ついに頭一つ分の身長差がついた夏。その差を首に廻した腕で引き寄せられ、眉の端に残った傷に口づけられて。
 打ちのめされた。父が愛しているのは俺じゃないと。

 次の感謝祭は寮で迎えた。クリスマスの前の週には戻ろうと、前日までにはとずるずると先延ばして。
 考えれば考えるほど、戻るのが怖くなり。ついに投げ出すように父親にクリスマスカードを郵送した。
 帰らずにいたら、今度は年が明けても返事が来ないのが不安でしょうがなくなった。
 電話の回線越しじゃ父の変調を読み取れなかった。
 卒業式をすっぽかされては不安は良くない確信に変わって。卒業証書を手に転がるように一年ぶりの父の待つ家に帰りついたら。
 拍子抜けるくらい、なんら変わらない父が待っていた。
 全く変わらない。
 俺が幼いころからずっと同じ姿。自分が成長したせいで華奢に感じるようになったが、本人は何も違ってはいない。
「お帰り、コンラッド」
 その細い体できゅっと抱きしめられ迎えられた。
「ただいまユーリ」
 帰宅のあいさつをしたら、とてもとても幸福そうな表情で頷いた。
 そして。
「もう二度と――二度とおれを置いていくな」
 淡く溶けそうな声で囁く。
「ええ、もう二度と置いていったりはしませんよ」
 ユーリの旋毛に答えを返しながら。俺はひどい間違いを起こしていたのを知った。
 ユーリは俺が居ないと駄目だと言っていたのに。ずっとそばに居ると約束していたのに。


 俺の願いはユーリが幸せであること。俺の全てでユーリを護ること。 


End


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