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犬を飼ってみたいと

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 かっとなって手近にあった枕を投げつけた。
 枕だ。当たっても痛いものではない。鬱憤をぶつけられておけばいいのに、なのにコンラートは眉ひとつ動かさずに避けた。
 まるでそんな癇癪まで無視するかのように。枕はそのままチェストにぶつかって床に落ちた。
 ユーリはまだ羽織っていなかった上着を引っ掴んで寝室を後にした。これ以上言うことは無かったし、もう顔を見てるのも嫌だった。
 大股で居間を突っ切って、部屋を出る。
 外では扉の両脇に馴染みの衛兵が立ち番をしている。今日はユーリも付き合いの長い『班長』と呼ばれている男と、まだ若いのとの組み合わせだった。
 ユーリは班長の方を肩越しに振りかえった。
「今日はおれに付いて。ウェラー卿は休みだ」
 もちろんそんな予定はなかったので、班長はおろおろとユーリと、後ろからついてくるコンラートを見比べる。
 魔王の命令とコンラートのとどっちを聞くんだよと、心の中で罵りながらユーリはずんずん先を進んでいった。
 もうあんたは一日そっから出てくるなっ馬鹿!
 なのに執務室に辿り着いたら澄まして続いてくるのはコンラートで。
 魔王をないがしろにしすぎだと衛兵に腹を立ててみたり、ついて来るなと言ってるのに素知らぬふりの厚顔さに苛立ってみたりしたが。結局無視を決め込んだ。
 コンラートはここに居ないものとして振舞う。それが自分の精神衛生に最良の対応だ。

 朝一番に係わらず、魔王の決済を仰ぐ書類が束になって届けられる。
 まずはざっと内容を確かめながら視界の隅に入る護衛を排除する努力をした。
 あのまま魔王の部屋に押し込めて鍵をかけさせてしまえば良かったのかもしれない。自分が正式に命じたならばいくら衛兵達がコンラートの言うがままでも出せない筈だった。
 午前中いっぱいかかりそうなのを把握すると鼻の頭に皺が寄った。そのうち半分は先日の十貴族会議で差し戻されたせいで発生した分だ。会議の結果が全く納得いかないものだったせいで苛立ちが増幅する。
 コンラートは相変わらず知らん顔で立っていた。
 部屋に押し込めるだけでなく、いっそ鎖で寝台の脚にでも繋いでしまったらどうだろう。犬みたいに。
 浮かんだ想像に小さな笑みが漏れた。そう、犬みたいに革の首輪をつけてやろう。ああ、服も剥いでしまえ。
 十貴族がなんとか自分の領地の負担を軽くしようと躍起になるのは判るが、眞魔国全体をみなければいけないユーリだって譲れない。難物の案件を一番下にして、担当者を呼んでくるよう事務官伝えた。
 書類に目を落とす際にまた護衛の姿を掠めた。鎖は思いっきり短くしておこう。四つん這いでしか居られない位にだ。

 昼の食卓はいつになく重い空気が支配していた。今日に限ってそこにはユーリとコンラートしか居ない。
 いや、様子を察してグウェンダル達は回避したというべきか。仕事が詰んでいるからとかなんとか、適当な口実で別にしていた。
「いつまでむすくれているつもりです」
 メインの皿が運ばれた後、ついにコンラートが声をあげた。
 呆れた口調にカチンと来た。
 なんだ、その自分は悪くない、みたいなの! 誰のせいで怒ってると思っているのか。
 不愉快が過ぎて知らんぷりを続けたら、コンラッドは聞こえみよがしに溜息をついてカトラリーを取り上げた。
 ユーリは中座したいくらいに腹が立ったが――食事を用意してくれた人たちに悪いと思い留まった。自分も腹が減るし。
 ただ、澄ました顔で料理を切り分けているのがムカムカする。
 あんたなんかテーブルの下で犬食いがお似合いだ! 心の中で叫んで切り捨て、自分の皿に集中することにする。
 怒りながら食事をするなんて、消化に悪いじゃないか。本当に。馬鹿コンラッドっ。

 元々気が短い方ではあるけれど。中でも不毛な類いの謁見には本当にイライラさせられた。
 見え透いた追従だとか、通すはずの無い要望だとか――意味の無さそうな言葉を垂れ流させる場を設けることに意味があるのだと、判っているから我慢しているけれども。
 それでもじりじりと落ち着かない。
 独演の場を得て満足そうな豪商を見つめる目が冷ややかになっていくが、気付きもせずに熱弁を振るっていた。
 全く茶番だ。どうしてこんなボンクラが絶大な商業権を握っているのか。三代目が身上を潰すってのは本当だと胸の内で悪態をつく。
 適当な相槌を打ちながら、だけどすっかり散漫な気持ちで、明日までに目を通しておきたい報告書のことなんかを考えていた。だけどそれはますます焦燥を掻き立てるだけで。
 気分を変えようと目立たぬように視線を彷徨わせてたら、今度は泰然と後ろに控えている護衛の気配にムカついてきた。
 そう、だいたい今日一日の不愉快の根源はコンラートだ。いくら彼がユーリの名付け親という保護者的な位置に居るとはいえ、時折本当に横暴が過ぎる。
 思い出していたら益々腹が立ってきたので、えい、と蹴り転がしてやった。
 なんで服着てんだよ、あんたはこれがお似合いさ。
 首輪をつけて項垂れて、倒れ伏している想像はちょっとぞくっときた。ただのマッパよりもずっとエロい気がする。
 首筋から鎖骨の線が綺麗で、隠すのなんてもったいないと思っていたが、こういうのは別かもしれない。髪の色に合わせて、使い込んだヌメ革みたいなのがいいかも。
 退屈まぎれに空想していたらだんだんその気になってきた。
 そうだ、犬なんだから。ナニにバター塗って舐めさせるとか。膝の間に入れてそれを上から見下ろしているのを思い浮かべてみた。
 犬だから手は使わせない。下生えをざらリと舐められたり。熱い息がかかってぞくぞくしたり。犬だから技を弄したりしない。我武者羅に舐めるだけだ。もどかしいか、それとも変なじらしがなくていいのか。
 そんなことを考えていたら、つうっと唾液が後ろの方まで垂れていく感触を覚えた気がして、僅かに身じろいだ。
 夢から覚めたように我に返った。目の前ではまだ謁見の相手がおべんちゃらを続けていた。
 気のせいだろうが後ろからの視線が絡みつくように感じる。まさか。今の妄想が漏れたわけじゃあるまいに。

 公務を全て終えて私室に帰り着いた。
 部屋の前を固める衛兵は朝の顔ぶれと変わっていて、結局一日一緒にいた護衛とは何の和解もしていないことを思い出したわけだけど。
 後ろでパタンと扉が閉められて、当然のようにコンラートもついてきている。何も言わない癖に、何でもないふりを続けている。なんともこいつも強情だ。
 顔を合わさないまま手を伸ばして袖口を掴んだ。奥の部屋に進めば黙ってついてくる。
 朝投げつけた枕はもちろんそのままではない。皺ひとつなく整えられた寝台の上に並んでいた。
 謝罪も反省もないままきゅうっと抱きしめられた。ユーリも肩に頬を寄せる。なし崩し、なんて野暮は言わない。
 襟から僅かに首筋が覗く。もちろんヌメ革の帯など巻いてはいないが。お願いしたら、してくれるだろうか。
 背中を撫で上げ撫でおろす手に溜息をもらして、キスをするために顔をあげた。さっきから隠している、燠火のような疼きを身体を擦りつけて伝える。
 ――だけどソレはまた今度だ。
 食み合うようなくちづけに陶然としながら。ふいに今夜中に読まなくてはいけなかった報告書の事が浮かんだ。
 けれど。あー…これもまた今度。


End


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