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一発大逆転☆

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 所用があって午前中はユーリのそばを離れていた。だから、その間に何かあったのか、とも思うのだが。
 正面の執務机で書類の決裁に勤しみながらも、時折、ペンを止めては小さくため息をついたり。顔を上げて無意識のようにこちらを見て、それで、視線が合うと慌てて目をそらせたり。
 もっとも、それらはごく小さな変化で、隣で補佐をしているギュンターなどは気づかないだろう――というより。目をそらせるのは自分に対してだけで――俺、何か陛下のご不興を買いましたか?

 かといって何かに――俺に対して『怒っている』わけではないらしい。ふと浮かべる憂い顔は、何か気にかかることの存在を示しているのだけれど。
 それとなく水を向けてみても、なんでもないよ、と先の詮索を拒まれた。
 かといってそのままにはしておけなくて。夜、ユーリを寝室へ送り届けての去り際。
「後で俺の部屋に来てくださいますか」
 誘いをかけてみた。
 ユーリは確かに一瞬、嬉しそうな表情を浮かべた。すぐにまたあの物憂い表情にとってかわったけれど。
「ごめん、今日はもう眠くってさぁ」
 断りの台詞でこちらを伺ってくる。
 慌てて微笑で返す。
「それは残念ですね。じゃあまた今度」
 囁くついでに頬にくちづけて、片目をつぶってみせた。内心の動揺は押し殺して。しつこく食い下がってもユーリはうんと言わないだろうし、意固地にさせてしまっては逆効果だ。けれど――。

 本人がだめなら、だ。午前中のユーリに何があったのか調べるべく、俺の代わりに護衛についていた兵士を呼び出した。
 今日のお茶はヨザックがお相手していたことが判明。
 なんだかとてもイヤーな感じがする。可愛いユーリをからかうのも好き。俺に嫌がらせするのも好き――絶対にあいつだ。ヨザックを探したが、奴はフォンヴォルテール卿の命で王都を離れた後だった。



 翌日、夕食まで少し間があって。二人で夕暮れの中庭を散策中。
「ヨザックが何か言いましたか?」
 今夜のメニュー予想をしていたユーリの背中に、問うてしまった。  ぴくり、とその背中が震える。
「えっ、ヨザック? 何にも――」
 振り返るのが一拍遅れた。精一杯取り繕った表情でこちらを見て、でも微妙に視線は外れている。
 やっぱりおまえかっ!
 そしてそうなるとやっぱり、内容はロクなことではないのだろう――。残念ながら外れたことのない予想だ。
「何を吹き込まれたのかは知りませんが。俺の何が、あなたの気に障っているのか――教えて下さいませんか」
 そう言うとユーリは「えっ」と、見開いた眼をしっかり合せてきた。
「コンラッドは別に何も悪くないしっ」
「では、なぜ」
 ――俺を避けていらっしゃる。
 視線にすこうし怨みがましい色が混じるのは、止められない。あぁ、とユーリはため息をついた。
「あんたにそんな顔させちゃあなぁ…。けど、ホントにあんたは何も悪くないし――あれ? やっぱ関係あるか…」
 ますます聞き捨てならない。
 ユーリは暫く青くなったり赤くなったりしながらブツブツ言って。で、出た結論は。
「ちょっとここでは言えないってゆーかぁ…」
 …照れている? 一体あいつは何をユーリに言ったのか――湧き上がる苛立ちに含まれているのは、きっと嫉妬。
「ではどこなら言えるんですか?」
「どこって…どこっていうか……」
「今夜。来てくださいね」
 退路を断つように告げると、うっと息を詰めてから項垂れた。
「ハ…イ」
「待ってますから」
 どうやら俺に直接の原因はないようなのだが。ユーリのこの緊張。
 和らげるように、からかいを含んだ声で囁いたら。薄闇にも判るくらい顔が赤くなって、しかし観念したように頷いた。

「けど、なんで。……ヨザックがなんか言ってた?」
 食堂へ向かいながら、ユーリが後ろを歩く俺に問いかけてきた。もう妙なうろたえを含まない、いつもどおりの声音だ。
「いえ。ただ、あなたが俺を避けていらっしゃるようでしたので」
 そんなにあからさまデシタカ。と振り返られて、
「微妙に、です」と付け加えた。
「ユーリだけを見ていますから。わかるんです」
 前を向いたユーリの耳がまた赤い。



 城内の灯りが落とされて、常夜の火のみが廊下を照らす時間。ノックの音に居室の扉を開いた。
 こんな時間に臣下の部屋をひっそり訪ねるのは、何度重ねても慣れないふうで、うつむき加減で慌てて飛び込んでくる。
 ここまで供をした衛兵を目顔で労って振り返ると、ユーリはいつもの長椅子にいつものように身を預けるところだった。ただ、どこか落ちつかなげに視線をさまよわせたり、唇を湿したり。
 アルコールは嗜まないユーリに用意したジュースを注いで手渡すと、隣に座す。――今は恋人同士の時間だから。
「ありがと」
 一口飲んでグラスを両手で握りこむ。物言いたげな唇。そのために来たはずなのに未だ決心がつかないらしく、何度も開きかけては、引き結ぶ。
 明朗快活が専売特許のユーリにしては珍しい様子。が、そんな困った表情というのも愛らしく――今ここでヨザックの話などするのが無粋なような気がしてきた。
 この人の前では理性は脆弱に、自分はかなり刹那的になってしまうらしい。
 何か言おうと、だけど言葉が見つからずに薄く開いたままの唇に、誘われるようにくちづけた。ユーリは少しだけ、抗議をして。それでもその肩に手を載せると、ゆっくりと体を委ねてきた。
 手にしたままだったグラスを取り上げ、テーブルに戻す。空いた手は、しばらく宙を彷徨っていたけれど、やがておずおずと背中に廻された。縋るように抱きしめられれば、くちづけはより深いものとなって陶酔を深める。
 苦しくなり始めた息をつかせてやろうと一度離れたなら、すっかり潤んだ瞳が目に入って。
 情欲が理性を食い破るのを感じた。
 絶対口にしないし、態度にも出さないけれど。ユーリの闇色の瞳は欲しい、と告げている。
 隣の寝室までもが遠くて、そのまま長椅子に押し倒した。柔らかい首筋の皮膚をゆるく食むと、思わずのように期待に満ちた高い声が上がる。
 で。
 その声に我に返ったらしい。
「ちょ、ちょっと待ってっ」
 ユーリが慌てて俺の下から抜け出そうともがき始める。
 何事かと身を起こす。取り敢えず。ここで止める気など毛頭ないし、ユーリの事情も同じのはずだ。
 なのに。
「お、おれ、嫌なんだ」
 何が?
「そそそその…だ、抱かれるのが」
 …嫌?…嫌?…嫌?
「っ! あんたが嫌なわけじゃないよっ」
 よほど悲しそうな顔をしていたのか、俺を見て慌てて言葉を重ねる。
「そ、その……女役ばっかりしてたら…あれが……」
 聞こえない。
「あれが退化しちゃって縮んじゃうってグリ江ちゃんがっ!」
 叫んで、うぅ…と真っ赤になった顔を、首が折れそうなまでに俯ける。
「は?――あれって…アレですか?」
 こっくり頷く。
 退化…するんだろうか?
 それでも取り敢えず、ユーリに嫌われたわけではないと知ってホッとする。落着きと余裕を取り戻して、ユーリを抱き寄せた。ぽすっと小さな頭が胸に収まる。
「それで、あなたの様子がおかしかったのですね」
 こっくり。きっと、ヨザックに教えられたその情報に、ひとり心を痛めていたのだろう。
 それが本当かどうか。自分にはわからないが…――ヨザックは、シバく。
 それはそうとして。では――。
 本心はそんなこと、気が進まないけれど。
「女を、抱いてみますか?」
 それでも、そうすることでユーリの気持ちが落ち着くなら。
「男としてなされば。正式な側室となると色々面倒ですが、一夜限りの相手くらいでしたら…」
「わぁぁぁストップストップっ!」
 腕の中で小さくなっていたユーリが焦って俺の口を塞いだ。
 そうだ。この、これくらいの年齢にしては驚くほど純情な彼が、そんなことを受け入れるとは思えない。
 しかし。だとしたら――。
 ふと頭を過ぎった考えは、あんまりにもあんまりだったが…だが、ユーリを他の者の手に渡すくらいなら――。
 恐る恐る尋ねてみた。
「あなたさえお嫌でなかったら――」

 外傷とはまた違った痛み。
 我慢できないほどではないが、身の内側を苛まれるのは生理的な恐怖を伴っていて、知らず眉根を寄せていた。
 ゆっくり息を吐くと肢体から余分な力が抜ける。それが伝わったらしく、ユーリがほっと息をついて緊張を解いた。
 ぎゅっと抱きしめられて、「ごめん」と。
「情事の最中に謝るものではないですよ」
 そう言いながら、労わるように背中を撫でてしまうのは、すでに癖だ。
「――これはお互いを許し合う行為なんですから」
 相手を本能のままに貪るのを、欲望のままに乱れるのを、許し合う。
 それに、と言を継いだ。
「俺はあなたを愛していて、あなたも俺を愛してくれているのでしょう?」
 覗き込むと恥ずかしそうに、でもはっきりと頷いた。
「どちらが女役をしようが、肌を重ねて嬉しくないはずがないじゃないですか」
 おとがいを捕らえてくちづける。身を起こしたために繋がったところが擦れて苦しい。
 喉の奥で声を殺して舌を絡め合わせる。
 ため息でくちづけをほどいて「動いていい?」と、ユーリが掠れた声で訊ねてきた。
 微笑で頷いて寝台に身を預けた。
 傷だらけの、明らかに男のものなのに、ユーリはこの身体に欲情してくれている。熱っぽい瞳でうっとりと胸にくちづけて舌を這わせてくる。
 目を閉じていた方がいいのかとも思ったが、硬く瞼を閉じて快感を追求するユーリの姿が甘くて目が離せない。気付いていないからいいか――。でも自分が抱いているときにこんな風に眺められているとしたら……結構、かなりイヤかも。
 擦りあげられる、奥を犯される苦しさ、痛みはまだあるものの、やたらと甘い気持ちで胸をいっぱいにしていたら。ふいにユーリが顔を上げて焦った。
「…ごめっ…いきそう――」
「どうぞいって下さい」
 愛おしさに声がかすれる。
 けれどユーリはいささか申し訳なさそうに。
「コンラッドがまだ――」
 確かに後ろで感じて…というのは――無理だな。やはり。
 では、とユーリの手を俺に導く。
 ユーリの手越しにそれを弄る。
 一生懸命なユーリの姿も、その気遣いも、ユーリが自分の中で果てようとしているこの状況も。熱くなるには充分だった。
 ユーリが極めて身の内が震える。ユーリを感じ取ると、それは快感に直結して、止めようもなく二人の間に吐精した。
 脱力したユーリの身体が落ちてくる。二人の荒い息だけが響く。汗に濡れた背を抱きしめるとユーリの腕も廻された。

 『女役ばっかり』でなくなったユーリは、まぁ色々と思うところもあったらしくて。
 今までは何より恥じらいがまさって、施す愛撫に応えるだけで精一杯だったのが。
 以来、積極的になった。あれっきりユーリに抱かれることはなかったが、それでも。ユーリからキスを仕掛けてくる。既に身体中あらゆるところにくちづけ、舌を這わせ、歯を立てられた。
「んー。自分もイロイロした方が、盛り上って気持ちイイことに気が付いた」
 それでも羞恥がなくなったわけではないらしく、耳まで赤くしながらそうぽしょぽしょと教えてくれた。だけどユーリは言わなかったけれど、それだけではないはずで。
 愛しい人にもっと良くなって欲しいと思うからこそ――。口には出さないそんなユーリの気持ちが透けて見えて、嬉しくないわけがない。
 でももっと言わせてみたくて。
「大した成長ぶりですね」
 言ったならば。
 案の定焦ってうろたえて「だっていっつも俺ばっかすっごくコンラッドに気持ち良くしてもらってて……」恥ずかしいことを捲くし立てていることに気がついていない。
「それに、気持ちよくなってもらうのも大変だって、判ったし…」
「俺はユーリに気持ち良くなって貰いたくてやっているんですよ。大変だなんて思った事もないですし義務でやっているわけでもありません」
 ユーリの言ってくれていることは良くわかっていた。だからこの台詞はイジワルだ。
「そっ、そう! 俺もコンラッドにしたくて、コンラッドが良くなってくれたら嬉しいなって堪らなくなって――」
 最後まで言わせずに抱きしめた。ほてったユーリの頬に頬をくっつける。たまらない。苦しいくらいの幸福感。
 誰よりも誰よりも大切な人が、こんなにも自分を想っていてくれていることに有頂天になる。
「愛しています、ユーリ…」
 万感を込めた囁きの返答に、ユーリは誓いのようなキスをくれた。



「それで? 坊ちゃんの悩みはうやむやにされ…あ、いえっ! ナンデモナイです!」


End


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