『かえるの王さま』
一人で眠る日は、つい枕に手が伸びる。
あたたかい布団の中、抱き込んだ枕に顔を埋めながら眠っていたおれは、頬や髪にくすぐったいような感覚を覚えて、寝返りを打った。
「……ん?」
どうしたことか。
さっきまで腕の中にあった枕が一瞬のうちに消え去り、目を閉じたままでパタパタと動かし行方を探った手が捕らえたのは、柔らかな羽毛の枕ではなく固く節くれ立った誰かの手で。
再び眠りの縁に落ちようとするおれを邪魔していたくすぐったい感覚が、いよいよ鼻先を掠めてから唇にたどり着いた時点で、おれはゆっくりと目を開いた。
「おはようございます、ユーリ」
寝起きで乱れた前髪を自らかき上げるよりも先に、伸びてきた指先によってクリアになった視界には、朝とは思えぬほどにまぶしい笑顔。
「……おはよ」
まだぼやけた頭のまま習慣として挨拶を返すと、また唇に羽のような感触が与えられた。
「……朝からなにしてんの、あんた」
「お姫様は、王子様のキスで目覚めるものでしょう?」
もう王子様って年でもないだろう、元プリ。
っていうか。
「おれがお姫様なわけ?」
生憎そんな可愛らしいものにはなれそうにないし、なりたいと思ったこともない。
「おや、気に入りませんでしたか?」
「当たり前だろ」
なんたって、泣く子も黙る魔王様だ。
「では、あなたが王子様でもいいですよ。ありましたよね、お姫様が王子様にキスをする童話が」
どこかズレた会話につきあってしまうのは、きっとまだ寝ぼけているせい。
ちゅ、ちゅ、と軽やかな音をBGMにしながら、なんだっけと遠い記憶を辿る。
「あんたが姫ならおれはカエル?」
もうずっと昔に、読んでもらった絵本の中に、そんなものがあった気がする。もちろん、選んだのは少女趣味なお袋だ。
あの話に出てきたカエルは、王子様ではなく王様だったか?
どうしてカエルにキスをする気になったのか、お姫様の動機までは思い出せそうになかった。
「ところで、いま何時?」
外がいつもより明るい。朝方に聞こえる縁起の悪い鳴き声もいまはない。
「九時ですよ」
「ええ? なんでもっと早く起こしてくれないんだよ」
「大丈夫ですよ。今日はスケジュールが変わって、午前中の会議の予定がなくなりました」
あわてて起きあがろうとした身体は、ベッドへと押しとどめられた。どうやら、大きな失敗をしでかしたわけではないらしい。そもそも、おれが寝坊をするとしたら、それはすべて護衛である彼の責任であるのだけれど。
安堵と共に身体の力が抜ければ、代わりに別の疑問が湧き上がる。
「だったら昼まで寝かせておいてくれてもいいだろ」
昨日も遅くまで机に張り付いていた。忙しい日々が続いている。寝貯めはできなくても、少しでも休みたい。
昼食の時間まで、まだだいぶある。空腹よりも睡眠を選び「おやすみ」と布団の中に潜り込もうとした肩を掴まれた。
「なに?」
「いつもよりゆっくり眠ったでしょう?」
そりゃあ、いつもよりたっぷり眠れた。
本来ならば朝食も終えて執務室にいる時間だ。おかげさまで、今朝は目覚めがいつもより爽やかだった。
「だから」
だけど、「だから」なんだというのか。
にっこりと笑う護衛が、不敬なことにベッドへと膝をかけた。おれの予感を裏付けるように、二人分の重みを受けたベッドが軋んだ音を立てる。
「おれ、寝不足なんだけど」
「奇遇ですね。俺はユーリ不足です」
なにが「奇遇」なのか。
ツッコミを入れようとした唇が塞がれた瞬間、眠るという希望が叶わないまま、昼までベッド住人であることが決定付けられた。
仕方ない。
お姫様のキスを受けたカエルの王様は、お姫様と幸せに暮らすのだから。
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