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倦む(あぐむ)

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 おれがこの世界へやって来て六…じゅう…四年――自分が王位についた年を引いて出した。それが十五歳の時だったわけだから…六十四を足す。七十九歳になったわけだ。
 遠い故郷の感覚で言ったらおれくらいの孫が居る年だ。
 大人も大人。“いい大人”になってからの年月の方が長くって、“迷う”ことを若いっていいねー、なんて達観した台詞で片付けてしまえる年の筈なのに。
 なのにおれは六十四年経ってもほとんど変わらない見た目のままに迷ってばかりだ。
 ひとの精神というのは年月とか経験値なんかよりも肉体に引き摺られるものなのだと、人間と違う年の取り方をするようになって理解した。
 じゃあ、おれが迷うことも思い惑うこともなくなって、心安らかに過ごせるようになるにはあと何百年要るんだろう?

 コンラッドと別れたと言ったら、村田は理解できない言葉を聞いたとでもいうように曖昧な表情を浮かべた。
 こいつほど頭が良くたってそんなこともあるんだ――いや、話題が低俗過ぎてわかんなかっただけか。
 あぁ駄目だ。なんだか手当たり次第に卑屈になっていると、目を閉じた。
「なんでまた?」
 気を取り直した村田の声に押されるように、目の前で湯気を立てるカップを取り上げた。
「んー…何だろうなぁ。別にコンラッドとは友達でいいんじゃないかって気がついたのかな」
「何を今更」
「だよな。今更だよな」
 生垣の向こうの黄色い花をつける低木に視線を飛ばして答える。
 今更だけど積もり積もった重さに耐えることが嫌になったというか。別に我慢している必要などないんだと気がついたというか。
「君ら、ちょっと疲れてんじゃない? ここんところ忙しかったみたいだし」
 諸手を挙げて賛成とまではいかなくても「あ、そう」と流すだけだと思っていた親友が妙に食い下がってくる。
「休み貰って旅行にでも行ってきたら?」
 らしくなさすぎる提案に思わず笑いがこぼれた。
「何だそれ。倦怠期の夫婦みたいだな。思い出の新婚旅行の地を再訪したりすんのか」
「そういえば君たちの新婚旅行って」
「結婚してねーから」
 もしかして要ったのはそういう面倒だったのかもしれないけれど。
「じゃあいっそ結婚しちゃえば? 目新しい立ち位置になったらまた気分も変わんじゃないの」
「だから別れたって話してんだってえの」
 聞いてない…いや、信じてないだろ。
「おれは、ただあいつが傍に居てくれたらそれで充分なんだよ」
 きっと。ずっと昔、おれがこっちに来てまだ間もないころ。おれはあいつの一番近くに行きたくて――一番近くって何処だろうって考えた時に至ったのが、それがあのポジションだっただけだ。
 ふーん、と村田は胡散臭げに相槌を打った。
「じゃあ君はウェラー卿が他に恋人作っちゃっても構わないんだ。友達なんだしねぇ。一緒に喜んであげるんだ?」
「まあな」
 疑念も嫉妬も捨ててしまえばずっと気持ちは軽くなる。

「君の護衛がお迎えに来たよ」
 おれの斜め後ろを顎でしゃくって村田が休憩時間の終わりを告げた。
 じゃあ、と席を立ったら、癇症な仕草でテーブルを指で叩いて村田が投げかけた。おれに対する物とは違う口調で。
「ここぞって時にわざわざ退いて見せるのは慎み深いんでも何でもないね。そのわざとらしい態度には反吐がでるよ」
 横目で伺ったコンラッドは少し困った顔で黙って頭を下げた。
「そんなんじゃねえよ」  肩越しに親友に訂正したけれどどこまで通じたかはわからない。
 背中を叩いて戻ろうと促した。
 別にこいつがどうだというんじゃない。ただおれが。楽になりたかっただけで。
 キスをしない間柄だって、コンラッドはいつだって一番近くに居る。


End


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