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あなたのとりこ
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いつもどおり何の先触れもなく入ってきた魔王陛下は、帰ってきたばかりでまだ旅装のままのコンラートに抱きついた。
帰城の挨拶をやりとりするでもなく、低く唸って肩口に顔を擦りつける。
こんな時間からその背を抱きしめてしまうわけにもいかずに、二度ばかり叩くと、ますます肩にかかる指が強くなるから、コンラートはそっと背中に手を置いた。
業務の繁忙によるストレスを攻撃によって晴らすのも、甘えかかることで宥めるのも――それが最愛の相手なら、何をされたって可愛いばかりだ。
この国の最高権力者がだけど無防備にわがままをぶつけてくるのは自分に対してだけだと知っているから、精一杯当たられてやりたいし、甘やかしてあげたくなる。
ただ、覚えたままに行動に移してしまえないことも、残念ながらわかっていた。
兄や師から小言を食らうのはまぁいい。意見することも出来ず、じっと恨みがましい視線を向けてくる事務官たち――この時期、彼らの疲労もピークに達していて、げっそり面やつれした幽鬼のような顔で睨まれるのは…さすがに恐ろしい。
執務室と会議室を往復するだけのユーリが、外出していたコンラートの帰りをこんなにも早く把握するには、誰かに見張らせていたのだろうが。その報告が執務室前に陣取る事務官たちに握りつぶされることもなく王に届けられ、さらに部屋を出して貰えたという事実がユーリの限界を示していた。この様子だと二十…いや三十分は休憩を貰えたんだろうか。
「娑婆のニオイがする――」
「埃っぽいだけでしょう」
「外の匂いだよ」
禁固刑に服役中の受刑者のごとき発言だが、ユーリの中では同じかもしれない。
「あとでいい匂いのする果実のお茶をお持ちします――うんと蜂蜜で甘くしたのを。ね?」
「…あんたに蜂蜜垂らして喰いたい…」
そんな気力をまるで感じられない虚ろな声で訴えられても。聞き入れられるわけがない。ただ宥めるように背を撫で続ける。
本人ももちろんわかっているので、ただ、ふうと肩の力を抜いて、その身をコンラートに預け切る。じゃれつくことで妥協しようとしている、というより、むしろ言ってみただけなのだろう。この時期にそんな体力が残っているはずもない。
男の生理で、生存の危機を感じるとサカるというのがないでもないが。妙な言質は与えないに限る。
今自分に課せられている任務は、この魔王を宥めすかして気力を回復させ、速やかに執務室へと送り帰すことだ。
「これ終わったらどっか遠くいきたいなぁ。仕事じゃなくってさ。二人で――警備も無しで」
「そうですね。何処がいいですか?」
「どっか…あったかいとこがいいな。リゾート…碧い海と白い砂浜の。なーんもしないで日がな一日ぼーっとすんの。一歩もベッドから出ないで」
ならばわざわざ海辺のリゾートなどまで繰り出さなくても、休暇さえ確保すれば血盟城でいいではないか。とは口にはしない。
所詮は現実逃避の夢に過ぎないことは、ユーリも解っている。
この山場が過ぎたとしても、じきにまた十貴族会議での審議が始まるし、この期間に滞った通常業務は部屋の隅で雪崩を起こしかけている。
ユーリは思いっきり目を瞑って夢想を続ける。
泣いても笑っても、眞魔国国家予算案提出期限まであと一日半だ。
コンラートが朝食を乗せたトレーを提げて魔王の寝室へ入ると、その気配で目が覚めたらしいあるじが身じろぎをした。
「おはようございます。陛下」
わざと二人の時は使わない尊称で呼べば、顔を埋めたままのくぐもった声が返す。だけど語尾が楽しそうに弾んで、何かと伺えば。
「終わったな」
と、ここしばらくかかりきりだった予算編成作業からの解放感に浸っているようだった。
昨夜は遅くまで詰めていて、終わったという実感もないままに倒れ込むように床についたので、今改めて噛みしめているらしい。
「お疲れ様でした」
「うん…頑張ったなぁおれ」
「はい」
敷布の白に負けない象牙色の腕がぐうっと突き出て、のびをする。身体の隅々に酸素を行き渡らせた反動で、またぱたりと沈んで、再び寝具の中へと潜り込もうとする。
「朝食をお持ちしましたよ」
引きとめたら、ごそごそ動いて、やがてうつぶせの頭が出た。腕を立てて起き上がって、ぺたりと座りこんで。
上掛けが滑らかな肩から落ちて、ユーリが小さく身震いする。寝乱れた黒髪の間から覗く目はまだぼうっと焦点を定めなくって、その無垢ともいえる表情が逆に強烈ないかがわしさを放っていた。
双黒が一番映えるのは自然光下での裸身だと、コンラートは常から思っている。もちろん誰にも見せるつもりも、教えるつもりすらないけれど。
宗教画というにはなまめかしさが勝ちするぎる、と考えていた目の前の造形が、妙に俗っぽい動きで背中を掻いて。違和に気がついたらしい。
「あれ。おれはなんで裸?」
艶っぽいことをする気力も体力も残っていなくて、気を失う様に眠りについたのに、とユーリが事情を知っていそうなコンラートに目を向けた。
「それに別にベッドに持ってきてくれなくても」
朝食が乗った足付きのトレーを覗き込む。起き抜けだって健全に空腹を感じるらしい。温い匂いが漏れるスープの器の中身を推し量っている顔で。
言ったもののそれでも準備されたものを断る気もないらしい。トレーを手にしたまま寄ると、向き直って枕を背中へ突っ込んで落ち着いた。
「ねぇ羽織るのとってよ」
いつもならば手の届くところに用意されてりる部屋着を探すユーリに、これくらいは残しておいてもよかったかとコンラートは思った。起きぬけの上がらない体温では寒いのかも知れない。
「服はぜんぶ片付けてしまいました」
「は?」
だからおれは裸なのか、とユーリが自分のなりを確かめる。脱がされても気づかないほど眠りこけていたのが改めて驚きだったらしい。
「一日裸でお過ごしいただくために、部屋から全部運び出しました」
告げた内容はそれ以上のようで、呆然としたあと、今度は薄気味悪そうな目を向けられた。心外だとコンラートは首を振る。
「おっしゃってたじゃないですか。一日ベッドから下りずに過ごしたいって。碧い海と白い砂浜を用意するのはちょっと無理だったんですけど」
「誰もヌーディストビーチとは言ってないしっ」
「おや、そうだったんですか。温泉では裸なのに海はダメなんですか?」
わかっていてからかうと口を尖らせてそっぽを向く。
「馬鹿なこと言ってないで服持ってきてよ――今日だって休みじゃねーぞ」
「休みにしてもらいましたよ」
当人に無断で休暇をねじ込んできたことを告げると、きっと柳眉を逆立てて振り返った。
「なわけないじゃんっ休めっこないだろ!」
確かに予算審議が始まるまでの間に溜まった通常業務を捌いておかねばならないのは事実だ。だがそれだって無理を押してやったところできりがないのも事実。
ここで一旦精神を休めておいた方が効率だってあがると思うのだが、必死にこなしている本人にはなかなか緩め所が見えないらしい。
「了承させましたよ?」
「…したじゃなくて、させた、んだな」
冷めてしまうから召し上がって、と勧めたら、上着を貸せと、手を伸ばされた。
実はクローゼットの中身はそのままだ。ユーリもちらりとそっちを見ていたから、恐らくはったりだとわかっていると思う。
だけど、そうやって不可抗力だと追い込まれなければ休む踏ん切りがつかない自分を知っているから、甘んじることにしたのだろう。
服を取り上げられて逃げられなかったのだという言い訳まで用意してとは、大概甘やかしているようだが、しかしコンラートにしても随分楽しい。
脱いだ軍服の上着を肩にかけてやると、裸身にそれはちょっとどころでなくいやらしくなった。ユーリ自身は見えていない分、気にも留めずに食事に取り掛かっているけれど。
「一日ベッドから出ないって、あんたは脱がないの?」
ちぎったパンにジャムを塗りたくりながら問うから御希望ならばと答えたら、あとでいいけど、とあっさりいなされた。まずは朝食らしい。食べなければ食べないで心配だが、そう冷静に順番を決められるとそれも面白くない。
口の端についた赤いジャムが朝日にてらりと光って、自分の口元を指さすことで示したら、ユーリがついと顔を上げた。舐めて、と。
微妙な機嫌の変化も感じ取るのは長い付き合いの良い点であり悪い点だ。
「先に食事を済ましてしまいなさい」
指先で拭えばその指を素早く舐めて、しぐさとはアンバランスな明るい声が笑う。
「そんな目で見られてると食べづらいよ」
言いつつも粗方終わっている。軍隊生活が長いと食事は早くなるが、魔王もそれは同じ。でなければ食事を共にしながらの会見などやってられない。
急いている風もなく残りを片付けてごちそうさまと脇机にトレーを預けると、さて、とユーリは一日過ごすベッドの上に座りなおした。
「どうすんの? 寝直す?」
まさかそんなはずはないだろうと目が笑って、ルビーみたいなジャムの残りに止まった。
手を伸ばす拍子に羽織っていた上着が落ちたので、汚される前にと回収に行ったら、行儀悪く指で掬ったジャムを口の中に突っ込まれる。続くユーリのキス。
煮溶け切ってない果実を互いの舌で押しつぶして、痺れる位に甘いくちづけをする。
「美味しい?」
「とても」
ユーリの髪を梳きながら甘い甘いキスを堪能する。飲み下す唾液までもが甘くて喉が焼ける。
しなだれかかって引き寄せられるままに身体を重ねて、絡み合わせて奥を探る。
ん、と満足げな声が抜けるのに解いて顔を覗くと、熟れたように唇を赤く濡らしていて、その様にじわりと熱が上がった。
見慣れない陽光の下でのそういう顔は、いつもよりも背徳的で官能的だ。
黒い髪と、黒い瞳と、赤い唇。白い肌との対比はストイックなまでにきっぱりしているのに心がざわめく妖しさも感じる。淡い色で尖る胸の突起も、いっそ。
コンラートも手を伸ばすとその指にジャムを掬った。
平らな胸の頂きに飾ったら、何をするつもりかと見ていたユーリが笑う。
「なんかあんたがやると強烈にエロ臭いよ」
それでも怒るでもなしそのまま差し出しているから、血の色に光るそこを舐めた。
舌にまとわりつく果肉と甘味でいつもの柔さがわからない。見ている分には楽しいが、口にするのはあんまりだ。
だが舐められているユーリの方は良いようだった。
いつもよりも顕著な反応を返して、掛布越しの腰を揺らす。すっかり熱の籠った目で、もう片方の胸の先に乗ったままだったのを掬うと、二の腕の内側、掛布をはぐって脇腹から腰骨へ、へその際へと擦り付けていく。
膝とふくらはぎまできたところですっかり指先のジャムは費えてしまって、さあ、どうぞ、とユーリは横たわった。
別に改めて印をつけられなくともよく知る、むしろコンラートが開発したともいえるユーリのいいところだ。だが、これはこれで楽しい趣向だった。
薄っすら汗の味の中に甘い道筋がある。それを辿っていくと、耐え切れなくなったユーリの身体がびくりと跳ねる。時折焦らして他所を這えば、もどかしげにくねらせて、不満げに唸るのも可愛いので知らんぷりを続けると、ぎゅっと髪を引かれる。
唯一つ、最後のふくらはぎというのは知らなかったので念入りに舐め上げていたら、ああと良さそうな声をあげて全身を震わせた。
もう知らないところなどないはずがこういうこともあるから飽きないのだと思ったけれど、何より結局は単に相手がユーリだからだ。
すっかり立ち上がってしまっているのに指を絡めたら、荒い息をこぼしながら押しとどめられる。
「あんたも脱いで」
ユーリの手がベルトを外し、長靴を放り投げる。
コンラートだって興奮を示しているのを見てとって、ユーリは残っていたジャムを全部かすり取ってしまう。期待を見透かす目。苦笑で答えるとユーリはコンラートの性器に塗りつけていく。
さっきの体中の性感を舐めていってもらうのも楽しそうだったが、たぶん大人しく横たわっているなんて出来そうにないので、これでいいんだろう。
コンラートの足を跨ぐ格好で男のものを両手で撫でまわす様子は、それだけで頭に血がのぼる眺めだ。
ましてや午前の明るい日差しの中で、本来食物を、だ。意識すれば甘い香りが更に後ろめたさを煽る。
塗り拡げられて乾き始めるそれがひきつれて、むず痒さを訴える前に、暖かく湿ったものに宥められた。
つつと舐めて顔を上げて。
「美味しい」
満足げに呟くから。
おそらくこれは無意識なのだろう。本当に甘くて美味しかったんだろうと、懸命に自分に言い聞かせる。
ただ、長い付き合い故の問題は、気まずげに視線を逸らしたことで全てを察してしまうことだ。
濡れた目で艶笑を浮かべて「美味しいよ。コンラッドの」と、わざわざ言い直すのだから。
「早く全部舐めとって――攣れて痛いから」
誤魔化すように喉の下をくすぐって促したら、その手に猫のように顔を擦りつけて再び顔を埋める。
酒飲みのくせに甘いものも好きな人だから、本当に楽しいんだろう。ただしされている方は心拍数が上がり過ぎて身体に悪い。垂れてくる髪を掻きあげる仕草だとか、ちらりとこちらを伺って笑むのだとか。
指の先でももて遊びながらつるりつるりと出し入れするユーリの唇と口内に、着実に追い上げられる。時折はぐらかすかのように垂れた唾液を啜るようなキスを混ぜながら、きつく柔らかく締め付けられて、喉の奥で洩らされる声の甘さに腰が痺れる。煽られた熱が出口を目指すかと思ったタイミングで、ユーリが顔を上げた。
もう少しで極められそうだったところを突き放されて、心の中の雄の部分が暴走しそうになる。
これでユーリが悪辣な笑みでも浮かべていれば、望みどおりに容赦なく組み伏して思う様突き立てているところだろうが。だけど、ぼんやりと潤んだ目を物欲しげに縋らせるから。
ぐっと下腹に力を入れて、頼りないユーリの身体を抱きとめる。
「ここに欲しい?」
奥の窄まりに指を這わせると息を詰めて頷く。自分と同じ程に切羽詰まった様子だが、今日はまだ何もしていないそこに無理矢理押し入るわけにもいかない。
背中を撫でて宥めて横たえて、起きあがったら腕を掴んで止められた。
焦れたように眉を潜めて堪える風情は堪らないものがある。だけど。
ユーリは手を伸ばすと傍らに置きっぱなしのトレーの上、ジャムと共に添えられていたバターを摘み上げた。
まさかと思ったら、「一緒だろ」と片膝立ててさっさと奥へ差し入れた。
その瞬間の息を呑んで背筋を震わせるユーリの姿に焼き切れそうになる。
褥の上へと引きずり倒したら、大丈夫だからと掠れた声がそう請け負って。その真偽を確かめる余裕など何処にもなくて、足を抱えた。
ユーリの口から愉悦とも苦痛とも取れる声が迸る。
その抵抗の大きさに、全く大丈夫などではなかったことも判ったけれど、もう今更止まらなった。
引き攣るような息で喘がす胸を撫でて宥めながらも自分の悦楽を追求するのを止められない。
体温で溶けだすバターが濡らすが、多忙故に暫く交渉のなかったそこはすっかり閉じてしまっていた。無理に暴いた代償は双方に痛みをもたらして、だけどそれすら快感にすり替わる。
固いそこをごりごりと擦ると堪らないと声が上がる。
「痛い?」
尋ねると頭をふって。
「すごくいい」
うっとり溶けた表情で笑うから。ますます止まらなくなるのだ。
結局ユーリは予定通り一日をベッドの中で過ごした。
といっても丸一日ふけっていたわけでもなく。普通に惰眠をむさぼり、目が覚めればじゃれ合いもしたが、コンラートが運んだ食事をし、コンラートが運んだ書類も捌いた。
今日一日は休暇を確保したはずが、どうしてもと部屋の前で泣き付かれて、いいよとユーリが受けてしまったのだ。
いっそ寝室に招き入れて針のむしろに座らせてやればと悪趣味な嫌がらせも過りはしたが、コンラートに対しては大胆でも案外まともな感覚を持っているユーリが絶対許さないと諦めた。そして何よりもコンラートも他には見せたくなどないし。
だがそれで、やはり衣服を奪っておいて正解だったと思ったのは、この調子ではちょっと片付けてくると執務室へ行ったっきり帰ってこなくなることも、まんざら冗談ではないからだ。
「王様の休日がこんな擬似リゾートだとは誰も思んないよなー。安あがりー…」
出るのは文句でもそこそこ満足げな口調。
「一段落したらちゃんと休みを確保して行きましょう、ね」
「んー」
ユーリは髪を梳き撫でられながらあくびを噛み殺している。さっきから手を伸ばしてコンラートのシャツのボタンを弄っていたが、だけどもう脱がす気もないようだった。
そしてやっぱりまた眠るらしくって、寝返りをうつと枕に吸わせて何事かもごもご呟いた。
あんたと一緒だったら何処でもいーよとかなんとか、そんな風に聞こえることを。
End
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