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つるぎの舞

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 ヨザックが報告がてらのご機嫌伺いに執務室を訪れると、正面の魔王の席はからで、彼の直属の上司である宰相閣下が事務官相手にやり取りしていた。
 宰相の右側には書類がちょっとした山をなしている。それをひと綴りずつ取り上げては指示を出して、左側に積んでいくのだが。それを立て板に水の勢いでこなしていくものだから、果たして受けている方の事務官はそれを理解しきれているものか。
 ヨザックなどは不審を感じてしまうが、右側の書類がすっかりなくなって、何か質問は、との問いに二、三返していたので、どうやらきちんとわかっているらしい。
 いかにも文官な風情の事務官の退出を見送って。
「はぁ、さすが前に座ってるだけありますねぇ」
 ひょこひょこ寄っていったら、ちらっと目だけあげて「適材適所だ」と手も止めずに返された。
 魔王執務室前室に席を与えられているということは、トップクラスの事務屋だということだ。適材適所という返事は、与えられた場所ではお前もそれなりの仕事をこなすだろう、という意味で、確かにヨザックもそれに異存はない。
「陛下なら中庭だ」
「…球投げですか」
 魔王陛下の趣味は護衛とするキャッチボール――昔ならともかく、朝から晩まできっちり予定が詰まっている昨今では、なかなかそういうのどかな風景にはお目にかかれない。中庭など人目につくところで手空きなことをアピールしていると、すぐに呼び戻されるからだ。
 グウェンダルを見る限り、暇である様子もないのに珍しい、と思っていると、随分渋い顔で返事が返ってきた。
「球投げではない。剣術の稽古をなっさておいでだ」
「剣術…あの派手な…」
 剣を振るうユーリの姿を思い出し、語尾が笑いで震える。グウェンダルの眉間の皺が、更に深くなる。
「まったく、あれを許すコンラートもコンラートだ」
「あいつは陛下がなさることならなんでもオッケーでしょ」
「だがあのような見かけ倒しにばかり」
「いいじゃないですかぁ。そこが陛下の妥協点なんでしょうし――華麗で見栄えするし、陛下らしいっちゃらしいじゃないですか」
 慰めにもならないヨザックのセリフにグウェンダルは諦め混じりのため息をついた。



 教えられたとおり、魔王陛下は中庭にいた。護衛相手に立ち会い中だ。
 コンラートが繰り出す攻撃を受け、払い、返す。
 見守るヨザックの口の端が可笑しみをこらえて引き攣る。
「おぉっ 飛んだ」
 ユーリの剣技に危なっかしいところはない。ただ、先ほど執務室でも交わされていたように、必要以上に派手なのだ。それこそまるで剣舞のように。
 ヨザックのような剣一本で生きてきたような者から見たら失笑を禁じえないが、大抵の者はかなりの使い手なのだと騙されるだろう。
 人を傷つけることを前提とした剣術を、この魔王はどうしても受け入れることができなかった。だが、ついつい最前線に飛び込んでしまうユーリは、好む好まざるにかかわらず、それを掻い潜る羽目になるわけで。もちろん優秀な護衛が身を呈してお守りはするが、更に魔王様はそれも嫌だと申される。
 以前コンラートが深刻な怪我と引き換えにユーリを庇って、それ以来、思うところがあったらしく剣術の稽古に励むようになったのだが。
 その剣法が。
 国でも一、二の使い手だと評判のコンラートがつきっきりで、必要以上に懇切丁寧に教えているにもかかわらず。実用性をいま一つ無視した剣舞もどきときている。
 いや、さすがはコンラート直伝と言うべきか、確かにその辺の相手なら問題ない。
 が、普通はより強くなる方へ向けるべき情熱が、色気を出す方へ廻っているのだ。ひとえにそれが『見かけ倒し』剣法であるが故に。
 相手の気持ちを削いで敵わないと思わせることに特化した剣術を、魔王は優秀な剣士である護衛と共に編み出してしまったのだった。
 以前、その見かけ倒しに騙されない位の敵に遭遇したらどうするのかと訊ねてみたら、そんな相手には魔力で、と身も蓋もない答えが返ってきた。取り敢えず、ある程度身を守れたらいい、ほどの気持ちらしい。
 剣の腕が即自分の値打ちに直結するヨザックにしたら、なんとも勿体ない話だと思うのだが。



 それからひと月ばかりしたころ、また魔王の執務室を訪ねる機会があったヨザックは、そこでいつかのように一人で業務をこなす宰相を見た。
 いや、宰相の前で書類を受け取る事務官が3人に増えている。
 いっそ殺気立ちながら引き継ぎを受けた事務官たちが退室しても、全身で繁忙とそれに付随する苛立ちを示しているグウェンダルは近づきがたい。が、さっさと要件を済ませろとばかりに声もなく睨まれるのも怖い。
 取り敢えず持ってきた報告が八つ当たりを向けられるような悪いもので無かったことを心のうちで感謝して、そそくさと執務室を後にした。



 あの場にいなかったユーリは、他所で懇談中だとか、他に用があるのだろうと自然と思っていたので、中庭に面した回廊を渡っていてパシンと乾いた音を耳にした時は不審を覚えた。
 高く革を打つ音がゆっくりした間合いで聞こえてくる。キャッチボールの音だ。
 歩みを進めて視界を遮っていた植栽が途切れると、案の定、魔王陛下が護衛相手に球投げに興じられていた。
「おやよろしいんですか、こんなところでサボっていて。怖い閣下が鬼の形相でしたよ?」
 怒られますよーと声を掛けたら、だけどユーリはにんまり笑って手を振った。
「いいのいいの。これは勝ち取った権利だから」
 相手を務めるコンラートはにっこり微笑んでいる。腐れ縁の幼馴染的には百年経っても慣れない、慣れたくない背中が痒くなる表情だ。
「勝ち取ったって、あの閣下からですか」
 そうそう、とユーリは得意げにミットをパシパシ叩いた。
「グウェンがおれの剣にいちゃもんばっかつけるからさ。必勝の最終奥義で這いつくばらせてやったんだ。で、この自由時間はその報償」
 えらく威勢のいい発言だが。
「親分相手に? 陛下が? あの見かけ倒しの剣術で?」
 随分と不敬な感想を漏らしたのに、なんだヨザックまで馬鹿にして!と怒ってもない口調が返ってくる。
「いえ、だって」
 すっかり文官の長が馴染んでいるが、グウェンダルは武人としてもそこそこの使い手であるのだ。
「信じてないな」
「ええ。まぁ。――可愛いモノのふりで惑乱させたとか、怖ーい微笑みで威嚇したとか…そういう卑怯な手で勝ったんじゃないかなーと思ってます」
「なんだよそれ」
「得意技でしょ?」
 ユーリが子供っぽく口を尖らせる。ほら、そういうのとか。

「じゃあヨザックが自分で確かめればいい」
 ついにユーリが言いだした。
 コンラートが近くの衛兵を呼び寄せて、練習用の剣を二振り持って来させる。
「ふふん。甘く見てるとヤケドするんだぜ」
 ユーリは届いた剣で、腕を慣らすように基本の型をなぞっている。教師が教師なだけに、確かにこれだけ見ればいい線いっているのだが。
 立会人のコンラートが二人の間に立つ。ユーリが正眼に構えるのを見てヨザックも倣った。ふうっと意識して息を吐いて、剣先に集中する。
 二人の緊張を掬いあげるように、コンラートが合図の手を挙げた。
 一瞬だった。
 馬鹿正直に真ん中から斬り込んできたユーリの剣を払おうと、手首を返したら。予想外の方向へ力がかかった。
 何を、と思った時には、手の中の剣が弾かれていた。低く弧を描いて飛んでいく。
 呆然とするところに剣先が突きつけられる。
「……は」
 まさか、だ。
 油断していたつもりはない、が。初めっから剣を取り上げるためだけに突っ込んでこられるとは。
 理不尽なもので一杯になりながらも両手をあげるしかない。
「…参りました…」
 戦わせることを目的に立ち会う場で、染み付いた身体はこんな手は端から考えもしない。普通なら「ナメんなっ」と場外乱闘の展開だ。
 実戦だったら確かに有効かもしれないが――何しろ相手の闘志を削ぐのは確実だから。
「はー、しっかし…剣士にあるまじき作戦ですね」
 一本取られたことよりも呆れる方で脱力する。
「だっろー。ちゃんとした剣術積んだ人ほど、まさかって思うんだよねー」
 どうだ、見たか! とユーリは屈託なくご満悦だ。コンラートは黙って、だが表情は語っている。やっぱりうちの陛下は素晴らしい。いや、うちの陛下じゃない、俺の、か…どっちでもいいけど。
 だがこれでグウェンダルもやられたのかと思えば…不憫でしょうがない。
 どんな卑怯もアリな実戦がメインの自分でさえこんなに悔しいのだ。一流の教師を付けて習得した上等の剣が、こんなコスイ技の餌食に…憐れ過ぎる。
「ま、でもあんまり披露されない方がいいかとは思いますが。魔王陛下的にはそういうのはどうかと…」
「そっかー?ギュンターとかすっげー褒めてくれたぞ?」
 王佐閣下はそれが敬愛する魔王陛下だというだけで、もうどうでもいいんだな。
「何しろ、おれらこの技編み出すのに半年もかけたんだからな!」
 自慢げに仰る後ろでは、すっかり骨抜きの剣豪が誇らしげだ。孫を自慢にする年寄りのカオで…。
 はぁ。なんかやっぱり。イロイロ勿体ないと…思う。


End


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