『気持ちの行き先』




「また見合いを断ったんだって?」
 廊下を歩きながらふと思い出した風を装ってかけた声は、不自然ではなかっただろうか。
「耳が早いですね」
 背中越しに反応を伺ったユーリだったが、後ろを歩く男から返された声は笑み混じりののんびりとしたもので、肩透かしをくらっただけだった。
「ぜんぜん早くない」
 専属護衛であるウェラー卿の何度目か分からない縁談についてユーリが知ったのは、彼が既に断りを入れた後だった。いつもそうだ。ユーリの耳に入ってくるのはすべてが終わったあと。前魔王陛下の息子で現魔王陛下の信頼も厚いとなれば縁談の申し込みもひっきりなしだ。もしかしたら、耳に入ってきてさえいない話もあるのかもしれない。
 そして、断ったと聞いても落ち着かない気持ちをユーリが持て余すのもいつものこと。
 もう何年も前にユーリの恋は、終わっているというのに。
「おっと。あぶない」
 むかむかとした気持ちのまま急に足を止めたユーリに従って、すぐ後ろでコンラートも足を止めた。ちっとも危なくなさそうな声が腹立たしい。
 絶対に、ぶつかったりなんてしないくせに。
 人の気もしらないで。
 くるりと振り向いて睨むように見上げた先には、爽やかな笑顔。
「どうかしましたか?」
 まっすぐに自分だけを見つめる視線の柔らかさに、ユーリの心臓がおおきく跳ねた。



 ユーリが、護衛であり名付け親でもある男に告白したのはもう何年も前のことだ。その日のことを、ユーリはいまだ忘れられずにいる。
 男同士だとか関係が気まずくなるかもしれないとか、自分なりに散々に悩んで、はっきりフラれる覚悟を決めて挑んだ告白への返事は、予想とはちょっと違うものだった。
『もう少しよく考えて、あなたが大人になったらまた聞かせてください』
 喜ぶどころか、驚くことも困ることもしなかった男は、まるで子供に言い聞かせるようにそう言った。
 よく考えたからこその告白だったし、大人っていつだと反発もした。そして、それ以上に落ち込んだ。
 一世一代のユーリの告白は肩透かしに終わり、何ごともなかったかのように変わらないコンラートの態度に、ユーリは否応なしに振られたのだと自覚させられてしまった。
 うまくいく可能性が低かったとはいえ、きっぱり振られて新しい恋でも探そう、なんて自虐的な気持ちで挑んだバチがあたったのかもしれない。
 何も変わらない関係は、そのままユーリの気持ちを変えてくれることはなく、いまだ不毛な片思いが続いている。



「あんたがそんなんだから、いつまでたってもおれに恋人ができないんだ」
 恋人どころか女の噂さえない。どんな縁談もすべて断る。疑おうにも、四六時中一緒にいてはそんな隙もない。
 何よりも、護衛であり名付け親でもある男は、自らの立場を最大限に活用してユーリの傍に常にいたがる。
 これで勘違いするなという方がおかしいのだ。かといって、決して彼に結婚をして欲しいわけではないのだけれど。
「いつまでも子離れできない親みたいなことしてんなよ」
「子離れする気はないですからね」
 どうしたって彼へと気持ちが向いてしまうユーリだ。自分から離れることなんてできない。だったら、せめてもう少し距離をくれないだろうかと告げてみれば、あっさりと却下されて咄嗟に頭に血が上る。
「あのさ……あんたはもう忘れたかもしれないけど、おれはあんたにフラれたんだよ。わかってる?」
 人の気もしらないで。
 彼にとっては過去のことかもしれないが、ユーリの中ではいまだ現在進行形の想いだ。四六時中一緒にいて、気づいていないとは言わせない。
 睨むユーリの視線を受け止めたコンラートの目が驚きで丸くなる。いつもの悠然とした微笑を崩せたことに少しだけ溜飲を下げたユーリは、直後に告げられた言葉に再び怒り狂うこととなった。
「確かに、あなたから告白を受けましたけど、振ったつもりはないですよ」
「ふざけるなよ。百歳を超えたからって、そんな見た目でもうボケましたっていうのはやめてくれ。あんたが言ったんだからな。子供は相手にしないって」
「言ってませんって。もう少しあなたが大人になってから、とは言いましたが」
「それって、遠まわしな断りだろ?」
 振られたことに落ち込んで、何事もなかったかのような彼の態度を「なかったことにしたい」からだと理解して更に落ち込んで、これまで通りでいられることを喜びながら、同じぐらいこれまで通りにされてしまったことを嘆いた自分のこの数年間はなんだったというのか。
 いっそ何かの冗談であってくれと眉間に皺を寄せたユーリの気持ちなど露知らず。
「断るだなんてとんでもない。そんなつもりはありませんよ」
 何一つユーリの思い通りにならない男は、やはりユーリが一番欲しくない言葉を口にした。
「あなたは若いから、もう少し考えてほしかっただけです。言いませんでしたか? また聞かせてくださいって。俺はずっとあなたが結論を出すのを待っていましたよ」
 足から力が抜け落ちて、がっくりとその場でしゃがみ込んだ。抱えた膝に額を押し付けて、はぁ、と聞こえるように大きくため息をつくユーリの頭上では少しだけ戸惑う気配。
「大丈夫ですか、ユーリ」
「ぜんぜん、大丈夫じゃない」
 こんな馬鹿げた話があるか。
 彼は気づいているのだろうか。先ほどからコンラートが気にしているのはユーリのことだけだ。彼自身の気持ちについては何一つ触れていない。
「あんた、待ってる間におれの気がかわったらどうするつもりだったんだよ」
 まるで最初から結論が出ているみたいなそれに、泣きたいような笑いたいような気持ちになって、抱えた膝にますます額を押し付けた。
「どうもしませんよ。あなたの気持ちがどこを向いていても、俺の気持ちは変わりませんから」
 自信たっぷりに言い放たれた言葉は、玉砕したと思い込んだあの日に聞きたかった。
 急激に膨れ上がる怒りは、抱え続けたどうにもならない片想いが終わることへの安堵ゆえだろうか。
「信じらんねえ」
「それで、聞かせてくれる気になったんですか?」
 傍らの男の腰が屈んで、いつまでも廊下の真ん中でしゃがみこむ魔王陛下の腕を取った。
 もう何を言えばいいのか分からない。
 引き上げられたユーリは言葉にならない気持ちを代弁するかのように、目の前の整った男の顔を思い切り引っぱたいたのだった。


ユメウツツ


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