----------------------------------------
キスと×× + ラブ甘なキス5題
----------------------------------------
01 キスとタイミング――膝に乗っかって
執務室じゃ、もちろん。そんな行儀のわるいことはしない。
椅子から立ち上がって手を伸ばすか、「それ、とって」と近くに居る者に頼んだりするだろう。
だいたい、長椅子の上に裸足を引き上げた恰好からして。公務中とは違うゆるい時間だと知らしめていた。
明日の会議資料を読み込んでいて、別冊の報告書の数字を確認したくなった。
物はテーブルの反対側に積み重なっていたものだから。わざわざ靴をつっかけるよりも。すぐ隣で活字を目で追っている男に頼むよりも――だけど彼が膝に開いてた本を押しのける必要があって、結局邪魔することに変わりはない。
身体を伸ばしたら、固まっていた背中がポキポキ気持ちのいい音をたてた。コンラートの膝に手をついて、なんとか届く指先で紙の端を繰った。
そうやって目当ての書類を引きぬこうとしたけれど、上のが崩れそうになって。
こういう時はすかさず伸びてくるはずの手は、ユーリの上体が邪魔していた。
馬鹿馬鹿しい膠着状態に、いい加減集中が切れていたのを認めることにした。
あっさり紙束の中から指を抜いて身体を起こす。間近に覗いたコンラートの目は笑っていたから、飽きてきたっていう事情もばれている。
独特の光彩に影を落とす髪を梳いて、そのまま耳たぶをいじったら。わずかに口の端が動いて。引き込まれるように顔を寄せる。
なのに触れるすんででコンラートはかわした。
「お茶でも用意させましょうか」
しれっとそんな意地悪を言う。
「いいよ。わざわざ。時間も遅いし」
鼻の上に皺が寄る。
更にコンラートが喉の奥で笑うのが癪で。
「手近なので我慢しとく」
今度は逃げられない様に両手で顔を固定した。
したいようにさせてやろう、という態度だったのを、散々煽ってやって。コンラートの手がうなじに回ったから「ごちそうさま」と膝から降りた。
「そこのギレンホールから上がってきたやつ、取って」
当初の目的の紙束を受け取って、元の位置に戻るとほったらかしになっていた資料を再び手にした。今夜中にひととおり目を通しとかないといけないのだけれど…一時、もういいかな、という気分になって…けど結局、やっぱりちゃんと最後まで読むことにした物だ。
コンラートが肘で背中をつついてきたけれど。最後まで読むんだから邪魔するな。
02 キスの快楽――うなじに
より熱の上がる行為は、もっと直截に触れたり。あるいは身体を繋げたりすることだとか。あるわけだけど。
時にはそんなあからさまなのよりも、たった一つの慎ましいキスの方が効果的だったりもする。
もっとも。これはコップに水がなみなみ注がれた状態だっただけなのかもしれない。表面張力の均衡を破って溢れさせたのは、掬いあげるように落とされた、くちづけひとつ。
ふうっといやらしい溜息を背中で聞いて、まだがくがくする手足をゆっくり折った。
全力疾走の後の身体を横たえれば、安堵の息が漏れる。
一緒に倒れ込んだ相手の、まだ食んだままなののせいで吐く息に色が乗るのは止むを得ない。だけど少し癪なので、重みをかけてくるのにクレームをつける。
かえってぐったり乗りかかってこられたけれど。
ぎゅうぎゅう抱きしめてくるのに唸って、でも、嫌ではない。
擦り合わせた汗がぬめるのも今更だ。好きにさせて息を整えていたら、またうなじにキスされる。
さっききつく吸い上げられたところを舐められて。これは跡を残されたのだと理解した。
そういう目に付く場所が良くないことなど、当人も判っていて滅多にあることではないが――そんなのも失念する程度は夢中だったと知らされるようで。気分は悪くない。
03 キスと思考力――離れてから照れるふたり
交代要員が設定されていない専属護衛とは、だいたいずーっと一緒に居る。
執務室で書類を捌いているときは、扉とユーリの中間あたりが定位置。会議の内容や会談の相手によっては部屋の外で待機することもあるけれど、大抵ユーリの斜め後ろに控えている。
護衛だけれどユーリの中で身内のカテゴリーに入っているせいで、食事のテーブルは同じ。
そんな護衛とは実はもっと親密な仲で、眠るときまで一緒だったりする。
四六時中一緒だけど、だからこそか。仕事中はあくまでコンラートは臣下だ。おおやけの場ではコンラートもユーリを陛下としか呼んでくれないし。
宰相も王佐も席を外していて、執務室はユーリとコンラートの二人だけだった。
そしたら午後の休憩に時間を取るより前倒しで片付けた方がいいと――夕食後にのんびりすることを目論んで。報告書に目を通しながら茶菓子を摘まむなんて無作法をしていた。もちろん重要書類に油染みなんてつけないように細心の注意を払ってだ。
「そんな一口にほおばるから」
頼んでいた整理を終えたコンラートが、紙束を差し出しながら笑った。自分の口元を指差して。
ユーリの手が行くより早く、身を乗り出したコンラートにおとがいを掬われた。執務机を挟んで。
目の前で濃い茶の髪が揺れた。
あと、もう少し。隔てられた距離がもどかしい。
引っ掛けているだけの指先にそそのかされる。
距離を縮めたら、コンラートの唇が掬い取る。間で菓子屑がざりっとした。
手で取れ、手で――そんな心内でついた悪態は、用が済んだら去っていくものと、少し寂しく感じたから。
なのに案外長く留まっているから、なぜか胸がつきんとした。
そんな淡い望みまで伝わったかと、夢見がちな考えがよぎって。だけどこいつなら汲み取ってくれるかもしれないと、なんだか急に相手のかけがえなさが迫ってきたのだ。
しがみつくように首に手を回したら、不安定な身体をしっかりと支えられる。その揺るぎなさに、言い知れぬ安堵を覚える自分がいる。こんなにも何かに全部を預けてしまって大丈夫なのかという不安も、心地よさの前にぐずぐず崩れていく。
しっかり足りて、ほうっとついた息はどっちのものだったか判らない。少し照れたように目を伏せる表情にも、心に満ちる物は同じなのだと知った。
とても幸せ。心臓を冷たい手でぎゅっと掴まれるような心地を覚えるくらい。
肩に置いたままだった指先に力を込めた。目の前の存在を確かめるみたいに。コンラート無しの日常など、もう考えられないから。
あいしてる。
唇の動きだけで伝えた告白に、溶けるみたいな笑みで頷いてくれて。
「ユーリ」
と呼ぶ声はどんな言葉よりも甘かった。
名前を囁かれるだけで背骨が震えるくらい。今まで何万回も何百万回も呼ばれてきたのにやっぱり嬉しい、――と、何かが引っかかる。
違和感の元を探って視線を彷徨わせて。ユーリは今の状況に気がついた。
二人以外、誰の目もないといえども、真っ昼間の魔王執務室。
いつもと視界が違って見えるのは、ユーリが机に膝を乗りあげているからだ。向かい合うコンラートは腰をひっかけた状態で。執務机の上でひしと抱き合っていた。
思わずホールドアップで離れて、ついで気まずく机から降りた。なんとなく空咳なんてして。
コンラートも話の継ぎ穂を探す様に手元の書類を揃えていた。掻き集める手を見るともなしに追って。二人の視線が釘付けになる。
「あ…」
「ああっ」
さっきサインを入れたばかりの書類がくしゃくしゃになっていた。ユーリが乗り上がった時によれたのだ。
「わあぁ大丈夫かな、いや、けど、これっくらい平気…」
慌てて皺を伸ばして、だけど取り乱していたものだから。ユーリの手の下でぱりっと乾いた音を立てて、文書の作り直しが決定した。
魔王の執務机を挟んで向き合う二人は暫く固まっていたが。それが重要書類を駄目にしたせいばかりでないのは。
真っ赤に染まった耳で知れることだ。
04 キスと愛情――口うつし
護衛とマルタイって関係のせいで四六時中一緒にいる恋人とかでも。こんな間近で見る機会なんてそう無いよなー。と、両手で挟んだ顔にしみじみした。
睫毛もこげ茶色で、震えてそれが持ち上がった。下から現れたのは常夜灯の下でも光っているように浮かぶ虹彩。
他には知らない色彩に、精巧な作り物のようにも感じる。そこに映っている影がユーリ自身だと気がついて、これはガラス玉なんかじゃなくてきちんとコンラートに自分の姿を伝えている器官なのだと思い出した。
「吸い込まれてしまいそう」
満更でもないと呟きは、しかしユーリが発したものではなかった。
まったく同じ気持ちでいたのでびっくりしたが、黒い方を見ての感想なのだと理解した。
間近に瞳を覗きこむ状況は同じなのだから。
ただ口と口を合わせるだけなのに、こんなにも大切に思うのは。この距離のせいもあるだろう。
いつまでも見ていたい…見られていたい瞳にまずは落として閉じさせた。コンラートはくすぐったそうに瞼を下ろす。
すべてを見てとれる距離。薄く笑む頬も。それが隠す憔悴も。
百年も玉座に着いてれば、取り返しのつかないような判断ミスだってないわけじゃない。死にたくなるような後悔だって。
意識したら押しつぶされてしまいそうな重圧は今もきっちり背負っていて、それが具現する夢に魘されることもある。
寝汗に冷えた額にもひとつした。
たとえ悪夢から覚めたって。心が受けたダメージまで無かったことにはならないのだと。だからユーリも知っている。
凄惨な現場の、最前線に立つこともあった彼なら尚更だろう。
だから、今度は安らかな眠りを、と。願いを込めて。
想う気持ちの暖かく柔らかな部分を全部差し出して与えるような行為を、とてもかけがえ無く感じる。
05 キスの一部始終――気持ちよくてぼんやり
鼻の頭を擦り寄せて、一度上唇を食まれた。
了承のしるしに腕をまわして引き寄せる。
吸い上げられる感覚は、混沌とした心の中から甘酸っぱい部分を引きずり出す。
「何を笑ってるんです?」
頬をなぞられて、知らずニヤニヤしていたことを指摘された。
「…わかんない」
指先で悪戯を仕掛けるコンラートだって、頬が緩んでるから、きっと似たようなもんだろうに。
「なんか、色々どうでも良くなるっていうか…世界は薔薇色って気分になる」
あんたとキスしてると。
唇に囁きかけるように告げたら、頷いてくれるから――コンラートがくれる肯定には、とても力づけられるのだ。
もう一度、おまけでちゅっと吸われたのは、おまじないみたいなもの。
それを受け取って、視界を遮るコンラートの向こうにひょいと顔を出した。
行儀よく目を逸らしている執務室付きの文官達が、だけど全神経をとがらせてこっちを伺っていた。
こほんと咳払いで、感情的になった事を謝罪する。再開を合図すると、執務室の中に安堵の溜息が満ちた。
精神安定剤代わりの男は静かにユーリのそばを離れる。
かわりに、さっきユーリの癇癪を引きずり出した官吏がおずおず進み出て、話を再開した。
護衛はいつもの定位置に。
早々あることではないけれど、緊急避難措置として極たまにそういう使われ方をすることもある。
魔王を護ることが仕事なのだから大きく違っちゃいないだろう、というのが、合理主義者が多い文官達の、いささか乱暴な認識だった。
End
ブラウザバックでお戻りください