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愛があれば年の差なんて!

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 夕方に降った雨が涼風を運んできた。ここしばらく寝苦しい夜が続いていたので、ほっとするような晩だ。雨に洗われた月は飛んでいく雲の間から白い光で地上を照らす。開け放った窓からも侵入し、長椅子の端でグラスを傾けるコンラッドの顔も。
 昔は――そう、本当に昔だ、百年ほども昔――これくらいの男といったら問答無用で『オヤジ』だったけど。
 青年の危うさがなくなった。くらいだと、出会ったころの姿と比べつつ考える。その代りに彼が手に入れたのは、立ち昇る艶だとか色気だとか。もっと強烈で性質の悪いものだと感じている。
 彼は、一流の剣士の無駄のない動きに、洗礼された立ち振る舞い。武人ながら理知的な雰囲気で禁欲的に見えてしまうだけに、時折零れるそういったものは意外性もあってひどく鮮やかだ。
 向けられる視線に、何か? と問いかけてくるのに、
「子供のころは四十代って――二百歳って、いいオヤジだったのになぁって思ってたんだよ」
答えてやる。
「いいオヤジですよ」
 相手は笑いながら肯定するけど。そんな顔で笑うオヤジがいるもんか。
「ユーリも相応に年を取ったから、そう思うだけじゃないですか?」
 そう言われて他の二百歳を思い浮かべてみるが。まぁ、多少の個人差はあれど、やっぱりこいつは別格だ。
 首を振ったら、「惚れた欲目」なんて言ってくるから、自惚れるなと爪先で蹴った。
 まぁ。そういうことなのかもしれないけれど。

 持ち上げた酒瓶の口をこちらに向けるのに、肘掛けに凭れ掛かっていた身体を起こして、グラスに受ける。それから手酌で自分の杯も満たそうとしているのを取り上げた。だけど注いでやるんじゃない。コンラッドの手の届かない反対側に置いて。
「あんたはもう終わり」
 どうして、と不服げな目を向けてくる。
「立たなくなると困る。オヤジなんだろ?」
 左手の指をいっぱいに開いて、親指が上を、小指が下を向くように立てる。
 親指を動かして「百歳まで」、人差し指を動かして「百五十歳まで」、中指「二百歳まで」、薬指「二百五十歳まで」。
「ここだぞ、ここ」
 彼の所有物であるしるしを嵌めた指を、目の前に突き付けてやる。
 コンラッドは反論するより呆れた顔で指先を眺める。
「どこで覚えてくるんですかそんなの」
「あんたの部下らが言ってたぞ」
 休憩中の近衛兵の雑談に混ぜてもらうのは、魔王陛下の楽しみのひとつである。近衛の選考基準を忠義と能力にしてしまったためか、あまり貴族的でない話題が大半を占めてしまうのだが、庶出の魔王陛下的には結構居心地が良かったりする。初めは陛下のご臨席に緊張感が支配した待機所も、本当に庶民だった陛下のお人なりにじきに慣れてしまって、ここでは単なる猥談仲間に成り下がって久しい。
 指揮官は天を仰いでしまっている。配下の監督について思いを馳せている模様。
「叱っちゃだめだぞ。休憩時間のことなんだから。大目に見てやれ」
「いえ。そういう問題じゃないんです――」
 何か言いたげに、だが、諦めたのか溜息をついた。
「おれはまだここだけどな」
 くいくい、と人差し指を動かすと、わかりましたから、とその手を下げさせられた。
「あなたとそんな話ができる彼らに、ある種感心しますよ」
 それは――上官が上官だから、だろ。だけどこれは声には出さずに。手の中の酒を舐める。
 手持無沙汰になったコンラッドは、足を組みかえ背凭れに片肘ついて、ぼんやりこっちを見ている。
 ちょっと可哀想になってグラスを渡した。それにそろそろ。ほろ酔いのいい気分で、月は綺麗で、手を伸ばせば届く位置の恋人も――目を合わしたら、銀の光彩の瞳が甘く緩んで了解してくれる。
 急に羞恥を感じて、慌てて立ち上がった。
 禁欲的に見えてしまうだけに、時折零れる…えっと――。

 振り返りもせずに寝室に移動して、さっさと服を脱ぎ始める。しかしすぐ追いかけてきた男に後ろから抱きすくめられて。ボタンにかけた手を押さえられた。
「たまには脱がさせて下さい」
 実は、恥ずかしくなるので結構苦手だ。
 ボタンを二つ三つはずしたシャツの襟を肌蹴て、首筋に食いつかれる。飢えを感じさせる愛撫は、求められている気にさせられる。
 うなじを耳の後ろまで辿られたり、服に隠れる深いところを吸い上げられたり。緩く拘束する手は、シャツの裾から忍び込んで肌を滑る。
 待っていた愛撫だけれども。一方的に享受するだけなのは。
 胸の飾りをゆるりと撫でられたら、それだけで、そこが敏感に張り詰めるのを感じる。首筋にかかる息にすら震えを覚え。
 耳元でくすっと笑う気配。
「もしかして緊張しています?」
 わかってやっているくせに。
 尖らせた舌だとか唇が喉の薄い皮膚を辿る。視線を下げると手探りで下衣を緩められているのが目に入って、沸き起こる期待を持て余した。
 潜り込んだ右手が下着の上からそれをなぞる。形を確かめるみたいに。
 下着を汚す前にさっさと脱がせて欲しいのだけど。口にしなかったのは、たまにはこんなシチュエーションも楽しいかな、なんて。
 淑女ごっこだ。淑女は脱がせろなんて言わない。
 布を食い込ませるように先を弄られて腰が引ける。けれどその時に、後ろの男のものも既に熱を帯びていることに気がついて。腰を擦りつけたら、あの時のように押し付けられる。――あぁ。早く…。
 着衣のままで胸と性器に施される愛撫に、だんだん立っているのが嫌になってくる。寝台の上でもっと全部を味わいたい。ねだるように後ろに体重をかけたら、心得て、身体を返して腰に腕を。
 ゆっくりと寝台に押し倒されて――慣れない扱いに、猛烈に恥ずかしくなる。いやいや、淑女淑女…。
「優しくして…」
 だから精一杯儚げにそう言ったら。コンラッドはびっくりしたみたいに俺の顔を見て。それで、噴き出した。
 なんだよ。失礼だろうが。こっちだって気持ち悪いことを承知で言ったけど。でもすぐに笑いを引っ込めて。
「御意」
 目を伏せてわざと低くした声で返答する。――反則だ…。
 そうっと掬いとるようにキスをして。物足りないくらいのそれを繰り返しながら、脱がされる。ゆっくり、すべてのボタンを外したなら、肩から落として。そのまま二の腕の方を辿っていく手に、自ら邪魔な袖を抜いた。
 自由になった腕を背中に回したら、シャツの手触り。奴は襟元すら乱していない。おれは――腰を浮かせて、下も脱がされている最中。
 自分だけ、一糸まとわぬ姿を晒して。下肢を弄る手に息を乱して。羞恥に――更に高ぶる。
 明るすぎる月は、部屋の中までも青く染める。この身を暴き立てている男の澄ました顔だとか。それを裏切るように、熱っぽく潤む瞳も。綺麗だと言ってもらえるおれの身体も、きっと青に染まっている。
 背筋を甘く支配する痺れに委ねて、もどかしい手足で彼に縋って。服地越しにも熱い身体を感じて。直接触れ合う肌を思えば、その熱に喉が鳴る。
 コンラッドの手に擦りつけるように身体が揺れる。
 尖らせた舌が顎を辿り、喉仏の上にキスを落とし、胸の中心をなぞってゆっくり下がっていく。
 ざらっとした舌の感触以上のざわめきを引き摺って。唾液で引かれた線が空気に触れてひんやりするのも、肌を粟立てる。迷いなくまっすぐ。臍を抉り、更に先へと。
 待ち焦がれる、その場所へと。
 溜息が洩れる。
 熱を孕んでいるために、ひんやり感じる口内。内股をくすぐる髪。舌を添わせたままに抜き差しされて、唇で締め付けられる。時折当たる歯だとか。先に差し込まれる舌先だとか。鋭い刺激を与えられるたび、身体は震えて、そこはより熱を増す。何より、一方的に暴かれている心もとなさに、いつもより性急に身体を高ぶらされる。
 自分だけこんなにも息を乱して。追い詰められて――吸い付かれて、射精感が高まる。息を殺して堪えるも、緩く歯を立てられて――ダメっ…。
 反射的に逃げてしまって、しまったと思った時にはもう止めることなんてできなかった。熱が、弾ける。
「ご、ごめんっ」
 さすがに焦って荒れる息も整えないままコンラッドを覗き込んだら――本当にごめん…けど…正視に堪えないくらい…卑猥なことになっています…。
 けど本人は焦るおれを笑って…――口元から右頬、顎、首のあたりまで点々と汚した、そんな顔で…笑わないでください…――雫を拭って、その指をおれの口に差し入れた。青い匂いを舌に擦りつけて。
 身をかがめて、コンラッドの顔に散るのを舐めとる。僅かに苦い味は――極力意識しない方向で。
 髪を引かれてキスをする。舐めとったそれを唾液に混ぜて彼へと贈る。淑女はこんなこと、しないか。いや、それ以前に射精しないし。

 それから、淑女じゃないので勝手に濡れません。いつものように手をかけて、受け入れられるように弛めてもらって。
 コンラッドは荒々しい動作で服を脱ぎ捨てる。視線をこちらに当てたままで。期待に息を呑んだのも見透かされているんだろう。
 自分が下になって待つ、のは恥ずかしいんだ――空いた手で顔を覆った。
「ユーリ?」
 もちろん見逃されるはずもない。声が嬉しそうだぞ、コンラッド。
「顔、見せて下さい」
「厭だ」
 無駄な抵抗なんだろうと思ってみたけれど、でもそれ以上何も言わないで、彼は腰を入れた。重なる熱い身体。
「んっ…」
 敏感な入口を擦る感触にびくりと抱えられた足が震えた。息だけで笑うのが伝わる。文句を言うより、この身体を裂かれる感覚を、全てを拾い集めたくて。覆い隠した目をさらに固く瞑った。
 奥まで開かれる。苦しさに混じる甘さ。確かな存在感に、詰めそうになる息をゆるりと吐き出す。脈打つ熱を感じると、それだけで腰が甘く痺れる。
 研ぎ澄まされて鋭くなったところへ、ぐるりと回すように動かれてよがり声が上がった。自分のものとは思えない――思いたくない甘い悲鳴。
 いつの間にか目を覆うための手は口を押さえていて、声を殺そうと指に歯を立てていた。だけど切ない痛みも官能を高める要素にしかならない。
「駄目…です…」
 手を外させられて、代わりに口づけをくれる。熱い、狂おしい口づけ。きつくなった身体と相まって、意識を浚われる。溶ける。落ちる。たゆたう。
 揺すぶられるのに縋りついて。与えられる全てを余すことなく受け止めようと。もっと――もっと――あんたを全て。荒々しい本能のままに欲される悦び。もっと――。
 ぞろりぞろりと腰の奥で身じろぐ感覚。絶頂が近いのを感じて、努めて息を吐く。まだ。もっと――。
 なのに。あぁ。飲み込まれる。白い闇に。収縮する肢体。触れられてもいない自分の雄がダラダラと精を零す。むき出しになった神経を更に侵されて。息が詰まる。息の根が止まる。あぁ。

 冷えてくる肌が意識を手繰り寄せる。重い瞼を上げたら、目前の男がふわりとほほ笑んだ。
「大丈夫ですか?」
 低く落とした声はまだ掠れを含んでいる。
 倦怠に首を振った。彼はまだおれの上に乗ったままで。水を含んだように感じる身体で身じろげば、まだ繋がったままであるのも知る。
 けれど奴のこざっぱりした顔を見れば――終わったんだろう。知らないうちに。ほっとするような、勿体ないことをしたような。
 いつもと勝手の違うセックスは深い陶酔をもたらしたけれど、居心地の悪い羞恥も置いて行った。
 いつまでもこんな甘い顔で見つめられているのがこそばゆくって、コンラッドの肩を押しやって下から抜け出す。リアルな感覚を努めて無視して。それでも注意して寝台から出るが。ふらつくこともなく、普通に動けることに逆に戸惑う。
「いつもはあなたの負担が大きいですから――それに比べたら」
 当然のように返されて、確かに享受して付いて行くだけだったことを思い出す。そうか。受け身というのはこんな楽なものだったんだな。と感想を抱いて、でもひどく消耗したように感じる神経はくたびれている。
 やっぱり女にはなれないようだと、今更なことを思いながら、ぺたぺたと裸足のまま浴室に向かった。
 愛欲と情熱に塗られた身体を洗い流しながら思い出したのは、衛兵たちに聞いた下ネタ。じっと広げた手のひらを見つめて、やっぱり別格なのかもしれない――いや個人差なのか――それともこの話自体が単なる戯言なのか。指の向きが年齢別に勃起の角度を示してるなんて。少なくとも彼はその括りに該当していないことは確かだった。
 だけど。乾いた布で水気を拭き取りながら考える。例えこの先小指になってとも――ピクリともしなくなろうとも。それはそれで楽しくやってそうだ。という呆れ半分、面映ゆさ半分の予想。
 …おれがジジイのコンラッドをどうにかしたり…――うわぁマニアック…。
 もとより無理のある同性同士の交歓だが、性差に縛られない分とってもフレキシブルだ。
 どっちが上になろうが下になろうが、挿れようが受けようが――寄り添って眠るだけだって楽しいことに変わりはない。唯一無二の相手に巡り合えて、今もこうして共に居られる幸福を味わいながら、その相手に浴室を明け渡す。
「コンラッド、ずっと一緒だからな」
 すれ違いざまそう伝えると、急な言葉に面食らったようだがそこはそれ。ぬかりなく端正な笑みで「はい」と返す。
 まさか自分のモノが役にたたなくなった時のことを指して言われてるだなんて――思いもよってない。もちろんこんな将来設計は、奴には内緒だ。


End


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