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お父さんは心配症

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突然だが、眞魔国宰相閣下には御令嬢がひとりいる。
御年六十歳。母親譲りの燃えるような赤い髪と、父親と同じ冴えた青い瞳の、この二人からならさもありなん、と皆も納得の才媛である。
 もっとも、血盟城で生まれ育った彼女をずっと近くで見てきた――何しろ一時期、執務室には赤ん坊の彼女を背負った宰相が…あー、いや…――魔王に言わせると。
「アニシナさん仕込みの思い切りの良さで、グウェンよかずっと容赦ないからなー。――え?何それ。騙されてる! エリスに騙されているよ! 純真無垢なーんも知らない深窓の令嬢とか、それ、あいつの化けの皮だから! 知らねーだろっ、男は馬鹿な女が好きでしょう?って笑うんだぞっ。こえぇぞぉ。マジでチビりそうになるぞ」
 そのフォンヴォルテール卿エリス嬢がこの度社交界へデビューされることになった。

 フォンヴォルテール卿が、娘に舞踏会に出してくれと頼まれた、と言うのを聞いたとき。へぇ意外っていうか…そっかエリスもやっぱ女の子だったんだなぁ。ユーリはホッとしたような嬉しいような…とても感慨深いものを覚えた。
「そろそろ中央とのパイプも作りたいと言い出してな」
 続くその理由ですぐに潰されてしまったけれど。
 ちなみにエリス嬢はここ十年ほどは当主の代理としてヴォルテール城に居て辣腕を奮っている。ヴォルテール領から上ってくる国税は近年増え続けていて、解り易く彼女の遣り手ぶりを示していた。
「…あははは…あくまで人脈作りなわけね…」
 あぁそれでこそエリスだよと妙に納得してしまう反面、涙が出そうになるのは――だって男の子なんだもん。女の子に対しての砂糖菓子みたいな幻想がまだ捨てきれていない。
「まだ早過ぎると言ったのだが。なにぶん、あれも言い出したら聞かぬ性分ゆえ。まだ六十になったばかりなのだし、そんなに急かずとも――いっそずっとウチに居てくれたってよいのだし…」
 『パイプ作り』と自分の口でら言っておきながら、宰相はすっかりフツーの娘を心配する父親になってしまっている。
 パパが心配するようなことは何もないから。残念ながら。だめだこりゃ、と首を振って。ユーリは自分の仕事に戻った。
 可愛がりすぎて目の中に入れてしまったせいで、彼にはエリスの本性が良く見えていないらしい。あんたも夢見すぎだよ、フォンヴォルテール卿。

 近頃の貴族たちは、フォンヴォルテール卿令嬢の社交界デビューのエスコートをするのは誰か、という噂でもちきりだ。
 魔王の信任厚い宰相の一人娘。娘婿の座を射止めてその後継者に――上級貴族なら意識せずにはいられない、そうでなくとも自分に自信のある者なら、夢見ずにはいられないチャンスではないか。
 そして貴族だけでなく、全く関係のない庶民の間ですら、寄ると触るとこの話。なぜならかけ金が動いているからなのだが――ユーリ陛下の御寵愛トトが成立しなくなって久しい昨今、近年まれに見る大勝負だと随分盛り上がっている。
 美男子だと評判の貴族の子弟の名前が飛び交い、十貴族のそれが上がる。乙女心をくすぐるハンサムが一番だとか、やはり宰相閣下の娘婿になるのだから相応しいを家柄を。いや、能力だ――だいたいずっと血盟城でお暮らしだったというじゃないか。コンラート閣下とヴォルフラム閣下を叔父上に持たれて、今更そんじょそこらの色男を持ってきたところで――。
「それを言うなら魔王陛下は?」
 町の居酒屋で一日の疲れを労う酒をあおりながら男が言った。連れが馬鹿かお前はと鼻で笑う。
「魔王陛下はウェラー卿とデキていらっしゃるって噂じゃねーか」
 おまえこそわかってないなぁ、と男は。
「だが陛下はご結婚はなさっていない――頼りになさっている宰相の娘を娶って信頼関係をより強固なものに、と思われるかもしれない」
 高貴な方々の結婚ってのは好いた腫れたとは別のもんなんだよと、尤もらしく頷いて。
「へぇ。そんなもんかね――だとしたら顔が良くって家柄が良くって…なんてったって魔王陛下だからな…誰もがひれ伏す賢王だ――じゃあひとつ俺もダークホース魔王陛下に懸けてみっかな」

 ここのところ宰相閣下はピリピリされている。
 ご令嬢の後見は是非当家の息子が。わたくしが。実家は地方の貴族なのだが才気あふれる優秀な若者が知り合いにいて。エリス本人が王都ではなくヴォルテールに居るせいもあって、オファーがすべて彼の元にやってくる。
 持ち込まれた貨物用の木箱に溢れんばかりになっている推薦書、自薦書。血盟城の中を移動する度に待ちかまえていた貴族たちに呼び止められ、本来の業務も滞りがちだ。
 ただでさえ、可愛い愛娘を盗られるのかもしれない相手の選出という、不愉快極まりない事案。宰相の苛立ちはそろそろ限界に――同じ部屋で執務を取っている魔王陛下のストレスもピークに来ていた。
「だったらもーヴォルフでいいじゃん。ヴォルフにエスコートさせりゃいいだろー。叔父さんだったらあんたも余計な心配しなくていいしさ、ちょっと年離れすぎてるかもだけどカッコいいしさ。あいつ御婦人方に大人気じゃないかー」
 いまだ独り身の宰相の末弟は、『ツェリ様の息子』っぷりを発揮しまくって、我が世の春を絶賛謳歌中だ。
 きつく寄せた眉間が更に増えて、苦渋に満ちた声が返ってきた。
「だがエスコートが叔父というのも、相手が居ないようで不憫だ」
 ユーリが机に突っ伏す。
「相手なら居るじゃん、そこにいくらでもーっ」
 木箱の中に手を突っ込んで、一枚引いてそれに決めろ!
 どうせなら国中の少女たちが羨むような完璧な相手を用意してやって。さすがはお父様!と言われてみたい――。が。
 ばんっ、と分厚い執務机の天板を叩き割りそうな勢いで宰相が立ち上がった。
「やらんっやらんっやらんっ!エリスは誰にもやらんっ 嫁になど出さんっ 婿もとらせんぞっ」
 びしっと上座の魔王を指さして。
「おい小僧!お前がエスコートしろ!」
「えっ、おれ?」
 突然お鉢がまわってきてユーリは目をぱちくりさせた。久しぶりに聞くグウェンダルの怒鳴り声は、身体の芯に沁みついてしまっているせいで、自分は何も悪いことをしていなくてもつい謝りそうになる。
「お前がエスコートすれば、さすがに魔王に楯つこうなど、そんな不遜な者はおらんだろうっ」
 虫除けにもなるし一石二鳥。
 お前呼ばわりで魔王にそんなことを命じるあんたが一番不遜だと――だが怖くて口に出せない。

 そんなわけで宰相の一声で『ご令嬢のお相手トト』は大波乱の結末。驚異の高配当の結果に終わったわけだが。
 それでもその前に、舞踏会のために登城してきたエリスに、気になってユーリは聞いてみた。
「ってグウェンが勝手に言ってるけどさぁ本当におれでいいのー? ――そのぉもしエリスに意中の人がいるならさぁ。おれが出ると面倒なことになるでしょ」
 人脈作りが目的の社交界デビューだと聞いているけれども。それでも女の子に夢を捨てきれなかったユーリ。だが。
「ええ。わたくしも自分を一番高く売りたいですもの。ここで陛下が牽制して、更に箔なんてつけてくださるのは。それこそ願ったり叶ったりですわ」
 そう美少女は政治家の顔で微笑んで。男の幻想を粉々に踏みにじってくれたのだった。



 それから数十年後。
 婚姻は最大級の政治手段だと言ってはばからなかったエリスが。あっさりぽんと恋に落ちた。相手はとある人間の国の第二王子だという。
 ユーリは「ほんとぉぉぉに、恋か? 策謀の匂いがぷんぷんするぞ」と疑心暗鬼に駆られていたが。
 が、種族を越えて愛し合う若い二人に、相手の家が黙っていなかった。随分友好と相互理解が進んだとはいえ、何しろ魔族だ。
 だが面と向かってそれを言うのは外交上大いにはばかられ。こうしておく方がまだマシかなぁというすり替えで言ってきたのが。
『大層古いお家柄であられるそうだが。しかしそれでもこちらは王家である。他国の臣の娘御を正妻に迎えるわけにはいかぬ』
 聞かされた宰相閣下は激昂した。
「たかが人間風情にここまで我がヴォルテール家が愚弄される謂われはないわっ」
 ずっと嫁になどやらんと言い続けていたくせに、娘が断られたというショックでそれも吹っ飛んだらしい。
「こんなの『さすがに魔族はねー』ってのの言い訳に決まってんだろー」
 休憩中の魔王はお茶を啜りながら呆れた口調で意見したが。まるで聞いてはいない。
 うちの自慢の娘がうちの自慢の娘がうちの自慢の娘がっ!
「エリスがどうこうじゃなくて魔族がってってのがネックなんだし」
 魔王の護衛もお茶うけをサーブしながら宥めるが。
「まぁおれはエリスがって方がずっと危機だと思うけどなー――第二王子か…きっとクーデター起こるぞ」
「政変後の方がずっと強大な国になりそうですね」
 護衛と魔王が他国のことだと思って好き勝手言っていると。
「ヴォルテール家は第七代魔王フォルジア陛下を出した家ぞ!」
 宰相が吠えた。
「…まだ言ってる…つか、エリス自身、先代魔王の孫じゃん」
「はい陛下、崩れやすいのでこのままどうぞ」
「んー」
 ぽろぽろ落ちる脆い焼き菓子を護衛の手から食べさせて貰って。あ、ウマいー、あんたも食ってみろよ、とかやってると。
「おいっ小僧!」
 突然、宰相の怒りの矛先が魔王に向いた。
「お前がエリスの婿になれっ」
 脆く甘い焼き菓子が、喉の奥で刺客に変わる。
「う〜〜っ う〜〜っ」
「あぁっ、ほら、ユーリお茶をっ」
 魔王の息の根を止めようとしている菓子と戦う二人に背を向けて。
「たかだか二百年かそこらの、ぽっと出の人間の王家になどエリスはやらんぞっ」
 こぶしを握り締めそう誓う宰相。そしてだんだんそれがいい考えだと思えてきた。
 ――小僧と結婚させれば、ずっと傍で暮らせるではないか!
 魔王妃と宰相。各種式典でのユーリと自分の立ち位置を思い出してみる。小僧の隣にエリス。一段下がって、自分。おぉっエリスが何か困った時に、すぐに私が助けを出してやれる!
 宰相執務机の隣のスペースを見た。まつりごとに興味があるなら、ここにエリスの机をおいてやってもいい。そういえば幼いころのエリスはここでよく法案の裏にお絵かきをして官吏たちを感心させていたな…。
 感心させてじゃないよ…その度に作り直しさせられて泣いていただろっ――つか、ここにエリス置いてみろ。あんた間違いなく宰相の座奪われるぞ? ヴォルテールに幽閉されるぞ? 知られたらユーリに速攻でそんな風に突っ込まれそうな夢想に浸って。よし、と宰相は決めた。

 魔王陛下は意に染まぬ結婚を臣下から勧められ。
 失意のあまり恋人と駆け落ちなさってしまわれた。
 七泊八日でね。


End


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