『ロートの果実』




 眩暈がした。
 手早くシャワーを済ませて寝室に戻ると、白いシーツを敷いたベッドの上で恋人が待っていた。予想外の姿で。
 日に焼けた肌に纏う布は何故か脱ぎ捨てられ、部屋の端に畳んで置いてある。これもジェニファー母上の教育の賜物かと感心すると同時に、王が服を畳まなくてもいいのにと歯がゆくもあった。ベッドの隅に縮まって困り果てた顔を上げた際に見えたのは、主の首に緩く巻かれた細くて真っ赤な―――リボン。
 自分でも気付かぬうちに疲れが溜まっていたのだろうかと、ぎゅっと目頭を押さえてもう一度愛しいひとに目をやる。姿は変わらぬまま。そうして冒頭に戻る。
 眩暈がした。

 この眩暈が、恋人から発せられる色香のせいかまた別のものかと聞かれれば両方だが、当人はひどく照れ屋で自らそのようなことをするひととは思い至らず動揺したのだ。だから努めて冷静を装ってベッドに近付き、片足を乗り上げれば困惑した彼の視線と合う。ベッドが二人分の重さで深く沈んだ。
 逸らされぬよう子供の面影を残すふくよかな頬を指で撫ぜ、声を落として理由を聞く。
「なにかあったんですか」
「あ…、いや。ごめん、そういうんじゃないんだ。ええっと……」
「ユーリ、正直に言って」
 誤魔化そうと目が泳いだので逃げ道を奪うと、呼吸さえ飲み込んで言葉を探している。はぐらかすことなど出来ないとわかっていながら口唇に触れ、閉じることを忘れたオニキスの瞳を覗き込む。羞恥に目元を赤らめている恋人と見つめ合い、言葉をただ待つことにした。
 沈黙は、相手を追いつめるのに絶好の道具になる。
「わ、わかった。言うから……っ、だからあんた、ちょっと近いっ」
 耐えられなくなったユーリが震える声を抑え、離れようと肩を押されてしまう。酷いことをしているつもりはないのに、虐めているような錯覚を覚えるのは何故だろうか。
 ごくりと喉を鳴らして、まっすぐに見据えられた。
「呆れたり嫌ったりしないでくれよな」
「当然です」
 何があっても嫌ったりするはずがない。即答すれば、安心したのか主の緊張が僅かに解れたのがわかった。
「あんたへのプレゼント、用意しそびれたんだ。それでグリ江ちゃんに相談してみたら、『坊ちゃん自身を贈れば喜びますよ』って。だけど、冷静に考えたらこういうことじゃないよな。可愛い女の子なら嬉しいだろうけどおれ男だし」
 ヨザックには陛下に妙なことを教えるなと忠告しなければならないが、今は目の前で途方に暮れて項垂れてしまった人が最優先だ。こんなにも自分のことを考えてくれていたなんてと、有頂天になりそうなのを必死で耐える。
「その気持ちが、十分すぎるくらい嬉しいのに」
「そういうと思ったからいっつもプレゼント困るんじゃん」
 ユーリが健やかでいてくれることが何よりの贈り物ですと告げたのに、不服そうに黙り込んでしまう。それを取りなすように彼の滑らかな肩に触れ、ラインをなぞるように首筋まで指を這わせた。
「でも、今年はあなたがプレゼントなんですよね?」
 念を押して、赤いリボンに指を絡める。意図がわからず戸惑った視線を向けられて、それさえ劣情を煽っていることに彼は気付いているのだろうか。
 恋人の剥き出しの肢体が己のベッドにあって、手を出さずにいられるほど涸れてはいない。
「え、でも」
「グリエの提案というのは癪に障りますが、ユーリがしてくれることで嬉しくないことなんてありません」
 ゆっくりとその身体を押し倒すと白いシーツが波紋を作り、赤いリボンとの色の対比が酷く扇状的だ。焦らすようにリボンの端を引き、戒めを解く。見つめ合う瞳が困惑に揺れ、今はその仕草さえ美味しそ―――否、愛おしい。
「だから、遠慮なく」
「コ、コンラッド……?」
「嫌ですか?」
 情を交わすのは初めてではない。ユーリが肯定出来ないことを知りながら、既に先を想像して赤くなった頬に口唇で触れる。見た目はまだ未熟だというのに、熟れた果実のように甘い。
「嫌だったら、こんなことしてない」
「それはよかった」
 まるで捕食者に見つかったかのようにこわばっているから、安心させるために微笑んだ。
 愛しいひとの瞳に映る男は、ぎらぎらと肉食動物のような顔をしているけれど気のせいだろう。
「大丈夫、あなたの嫌がることはしないから」



 いただきます。
 その合図と共に彼の隅々まで言葉通り、頂いた。




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