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坩堝 −るつぼ−

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 宿直の兵以外は、皆眠りについている深夜。血盟城は夜の闇に沈み、その中心部に近いこの部屋も静かな眠りだけがあるはずだった。
 それを破ったのは、唐突に現れた人の気配。
 目を開ける前に枕の下の短剣を握り、逆手で薙ぎ払って侵入者を確認する。常夜の仄かな明かりの下で、のけぞって刃をかわしている人物を目にして。来るはずの攻撃を見極めようとする意識が乱れた。起き抜けでぼんやりした頭が――ここまでの動きは反射行動だ――更に混乱する。
「どうしてあなたがここにいらっしゃる…」
 綺麗に気配を殺して近づいて、寝込みを襲ってきた人物は。
 当代魔王。ただし、御年…たしか百三十…幾つか。百二十年かけてたいそう美しくお育ち遊ばされたユーリ陛下が、どうしてか、深夜のコンラッドの部屋に居た。
 アニシナがらみで未来を覗き見てきたのは数か月前のことだ。だがあれは事故だと説明されたものの。その後も、どうもこの未来の魔王陛下の都合のいいように、未来と現在を行き来している節がある。
 これもまた、百二十年の貫禄を纏わせたユーリが『遊びに来た』と考えるのが妥当のような気がする。全く何の前触れもなく突然寝所に現れたことからも。進入路は扉でも窓からでもなく、『時間隧道』だ。
「いきなりそんな物騒なもの振り回すなよ――びっくりした」
 台詞の割には余裕を感じさせる声音で、ユーリはこめかみの髪をひと房摘まんだ。肩辺りまで垂らした髪がそこだけ不自然に断ち切られている。
「あ…あ、すいません」
 突然何の気配も掴まさせないままに現れた侵入者に、手加減をする余裕などなくて。刃物を向けたことを思い出して慌てるが――
「かわしました…?」
「でなきゃ死んでる」
 確かにそうだが。
「来るかもぉってちょっぴり予想してたから避けられたんだよ。それでもコレだけど――あぁ、それに俺の護身術の師匠はモチロンあんただし」
 髪を引っ張りつつユーリは妙な慰めをしてくれる。
 いや違う。避けられたのはショックに思うところではない。
「いえ――かわして頂いて助かりました」
 でなければ取り返しのつかないことになっている。
 今更ながらに嫌な汗が噴き出すのを感じながら、まだ握ったままだった剣を枕の下に戻した。
「それでどういうご用件で?」
 こんなにもつっけんどんになってしまうのは自分でも不思議だ。百二十年隔てていようがユーリなのに。
 だが相手はそれを咎めることも気にする様子もなく。コンラッドが半身を起こす寝台に腰掛けて。
「さぁ、なんだろ」
 相変わらずのからかう口調で返してくる。もしかしたらこの年上の人物は、ついこんな態度を取ってしまうコンラッドの理由まで、判っているのかもしれない。
「こちらとそちらの時間の流れ方が同じならば――そろそろあなたの護衛は戻っているのでは?」
 コンラッドが数か月前に未来に行った時、未来のコンラッドは任務で国外に出ていて不在だった。それでこの陛下は随分寂しい思いをしていたらしく――なにかと気晴らしでからかってくれたわけだが。
 だがこの質問は触れてはイケナイところだったらしい。
 あきらかに面白くない表情に顔がゆがむ。だが、しかめた眉も皮肉に吊り上がる唇も、またたいそう悩ましく美しいのだ。
「帰って来たよ。無事にね」
 なのにこの様子。ひょっとして。
「痴話喧嘩?」
「――あんたが言うな…痴話喧嘩って」
 まあ、当事者の片方だが。では。喧嘩して出てきたってことなのか。しかもその当事者の過去の許へ。――なんだかヤヤコシイことをする人だと思いつつも、だからと言って、今でもすっかり親友のポジションを確保している弟や、日頃の政務で絶大な信頼を寄せられている兄の許へ行かれるのは内心複雑なので…――ここは押し掛けられて喜ぶべきところなのか、な?
「それで、喧嘩の理由は何なのでしょう?」
 では憂さ晴らしの相手に自分を選んでくれたことに報いて、謹んで愚痴を拝聴しようと腹を括ったら。
「喧嘩の理由?」
 ますます不機嫌の度合いが酷くなる。――ああ、この人は怒る表情がまた絶品なのだった、と思い出す。
「とるに足らない理由だよ。痴話喧嘩なんだから。そんなことよりさ、ねぇ」
 膝の上に乗り上げるようにして顔を近づける。それはそれは綺麗な顔だ。今だってユーリはたいそう整った顔容で、そこに東洋人特有の肌のきめ細かさや、神秘的な色彩が相まって、はっとするほどの美人だが。この人は。更に本能に訴えかける、恐怖にも似た何かを持っている、と思う。
 今も、見えない触手で絡め取られたかのように身体が強張る。見慣れたのよりも大人の男の指がこの唇を辿ったって。
「気晴らしに付き合って?」
 黒い双眸が当てられる。現在にしろ百二十年後にしろ、この瞳に捕らわれて逃げることなど叶わないのだ。吸い込まれそうな闇の色。
 それが、不意に緩んでいつも彼の朗らかさが現れる。
「コンラッド」
 少し低めの声で紡がれて、口唇が笑みを刻む。
 目を逸らせることも許されない美貌に、馴染みの強い愛しい人の面影が混じる。
 徐々に近付いてくる、うっとり微笑むユーリをぼんやり待っていた。
 大体、百二十年後といえども同じ相手だ。嫌なわけがない。
 そうして。そんなふうに思っている相手の誘いを拒み続けることも、ひどく、困難だ。
 重ねられる唇はよく知るもの。それがいつにない仕草で愛撫を仕掛ける。
 唇で包み込むようにしたかと思えば、軽く吸い上げながら舌先で舐める。何度か誘われたのちに緩めると、舌を潜り込ませて唇の内側をぐるっとなぞられる。慎ましく誘い掛ける仕草に、堪らなくなってきつく絡め合わせた。
 合わせた口から洩れる息が、軽く笑ったのを伝える。そんな風に誘われて、何ともないわけがないって。あなたはよくご存じでしょう。
 互いに主導権を奪いあいながら深いキスを続ける。
 喉の近くで絡み合う舌が息苦しさを生むも、それが切ない愛おしさを呼び覚まして抱き込む相手をまさぐった。ユーリと同じ手触りの髪がいつもより重く指に絡む。

 夜着の裾を捲られて、そこから忍び込んだひんやりした手に理性を引き戻された。
「止めましょう。駄目ですよ、これ以上は」
 この状況でこの言葉。煽ることはあってもそれ以外にはならないと、よく知っている筈なのに。口にしてから気がついて舌打ちしたくなったが、それはユーリも同じだったらしく。呆れたように眉を上げる。
「なんだその陳腐な台詞は」
「ですが――あなたの大切な人は俺じゃないでしょう?」
「あんたの大切な人がおれじゃないみたいに?」
 辛辣なことを言っているようで――単に惚気合っているだけのような。またそれが微妙に当の本人であるが故に――。
「なぁ、これって浮気?」
「さ、さあ?」
 寝台の上で折り重なった状態で今更な疑問を呈し合っている。
 だが魔王陛下は、相変わらず深くは考えない性質なのか、それともそんなことはどうでも良いと思っているのか。手指にきゅっと自分の指をからめて寝台に縫いとめながら、再び唇を寄せる。
「いいんだ。浮気じゃなくて嫌がらせだから」
 はあ?――どちらでもない不穏な答えに虚をつかれた。
「…当てつけですか」
 喧嘩の当てつけに浮気。本人と。
 やはり微妙だと思っていたコンラッドの耳に、とろりと流し込まれる。低く優しい声で。
「ちがう。イ・ヤ・ガ・ラ・セ。あんたを凌辱するんだから」
 逆らえないキスで塞がれて。
「同意なんてとらない…あんたは被害者。あんたは大切な人を裏切るわけじゃあ、ない」
 ……良くわからない理屈だが。だが。この人は自分の過去に大層甘い。そして過去のコンラッドには大層辛い。
 当てつけというより。報復行為? この人は、どうやら仕返しするためにここへ来たらしい。
 だが、ならば。
「そっちの俺を凌辱なり何なりすればいいでしょう?」
 どうしてわざわざ関係のない過去の俺がとばっちりを受けるんだと。
「今更あいつを犯ったところで目新しくも何ともないの」
 え。そ、そうなんですか…。聞かされた将来に戸惑っていると、ユーリの瞳が不穏に輝きを増す。
「喧嘩の理由、教えてやるよ。――自分が居ない間に、おれがあんたとヤったって思ってんだよ。あいつは。ちょっとはおれと自分の過去を信じろって…」
 そう悪態をつきながら、気がついたようだ。今から自分がしようとしていることに。
「それって、未来の俺の遠征中のことじゃなくって、コレのことなんなんじゃないですか」
 いつも余裕綽綽な彼の、呆然とする顔。
 半端なく整っているだけに余計におかしい。下から眺めつつクツクツ笑っていたら。
「こんな可愛いあんたを目の前にして手ぶらで帰れるかっ」
 開き直られる前に逃げ出さなければならなかったのだ。


 心臓の上を舐めあげられ、鎖骨を食まれながら、後ろにユーリの指先を感じる。撫で、爪の先で引っ掻きつつ、ぬめりを馴染ませていく。ずいぶん時間をかけて、やっと指の先を少し潜り込ませて。
 体中にキスを受けながら、そうやってことさらゆっくり慎重に開いていかれると、羞恥より、もしかしてユーリはいつも性急だと不満を持っているのでは? などと不安になってしまう。それ以上もどかしい感覚のなかで思い悩むのに耐えられなくなって、ユーリの腕を押さえた。
 笑みを隠した秀麗な顔で、何?と白々しく尋ねられると、強請る言葉は舌の上でわだかまる。代わりに口に上ったのは。
「やはりここは手っ取り早くあなたが受けて下さる方が――」
 きりきりと魔王の秀麗な眉が持ち上がる。
「はぁ? 何ソレ。おれのがユルんでるとでも言いたげだな」
 ……え。ユルんで?――一瞬よぎったのが顔に出てしまったのかもしれない。
「馬鹿言え、いくらアンタのをずっと咥えてるからってなぁ!――大体、いっつもキツイとか、そんなにシメたらイクとか言ってんのはあんただろっ」
 剣幕に圧されて、再び寝台に沈む。――いや、それ、俺じゃないですから…。
 丁寧に緩められ、香油を塗り込められると、その頃にはすっかり身も心も受け入れる気になっていて、この人の侵入を待つ心持ちになっていた。了解のしるしに背を引き寄せようと手を伸ばすと、かぶりを振って。
「後ろから」
 正常位で繋がる方が互いの表情も熱も分かち合えて、充足が得られやすい。てっきりこのまま抱きしめ合いながら及ぶと思っていたので意外だった。
 それでも望まれるままに背を向ける。ユーリの体温が覆いかぶさってくる。肩にキスされて。首筋にさらりと滑る髪の感触。腰に当たるひときわの熱が高ぶりを伝える。耳元で囁く声が。
「男はこうやって乗られる方がイイんだよ」
 言葉の意を考えているうちに、開かれたそこに熱が押し当てられた。努めて息を吐く。
 勝手に背が反り返る。徐々にこの身に沈められていく。ひきつれ擦れながら押し入ってくる肉体。
 シーツについた手の上にユーリの手が重ねられる。熱い吐息の混じる声が耳に流れ込む。
「男が男に抱かれるにはね。征服されるっていう屈辱感が大事なんだよ」
 絡められる指は、拘束。
 ゆるり、と腰を揺らされて圧迫感に喘いだ。
「抵抗できない力を見せつけられて、屈服させられる――その敗北感が官能を生むんだ」
 なるほど雄だなと思う。そしてユーリの雄に支配される。
 大人の男の力で抑え込まれて、それは戦慄を呼び覚ます。震えはそのまま背筋を駆け上り延髄で散る。肌が泡立つ。皮膚の下の神経がざわめく。
 腰を引かれ、また突き立てられる。ひりつく痛みの中に痺れる感覚。それを手放すまいと集中すれば、たやすく身体はそれを拾い集める。徐々に強くなる感覚。
 一番奥まで突き入れて、そこで思い知らしめるように腰を揺すられる。急速に馴染んで快感を捕えるようになっているそこが、乱暴な仕草にも打ち震える。
 圧し掛かられて、拡散し始める思考がつい及ぶのはこんな風に乱れる日頃のユーリのこと。
 官能が高じて理性が手薄になると、揺さぶるままに高く甘い声で啼いて見せる。自分が与える律動に我を忘れて答える様子とか、もっと欲しいとねだる調子とか。男前な彼がそんな不本意な声を上げるのを聞くと、ぞくぞくと劣情が背筋を駆け上がって、ぶわっと神経が逆立つ。目の前の身体をもっともっと乱れさせて、二人で熱くドロドロに溶けてしまいたいと溢れる興奮に酩酊しながら、それしか考えられなくなるのだ。
 犯されながら、自分がユーリを愛しているかのような錯覚をする。与えられる快感はユーリが感じているもの。聞こえる淫らなよがり声は、感極まったユーリのもの――。
 律動に合わせて腰を揺する。えもいわれぬ快感が浸みわたり、駆け上がる。焼き切れそうになる神経。
 自分がユーリを抱いて、この快楽に声を上げているのはユーリなのか。抱かれて与えられているのは自分なのか。溺れ、意識すら溶け出す中でそれすらあやふやになっていく。
 未来のユーリと、自分と、今のユーリと。交じり合い、溶け合う。身体の境目も意識すらはっきりしない。
 ただただ、熱い――。

 喘ぎ続けた喉が干からびている。
 重い身体を横たえたまま、ぼんやり視界に入る自分の指すら持ち上げるのが困難に感じる。
 そんな自分が酷く滑稽で、それでもまだこんな事後のユーリを思い出している自分も居る。
 こうやってぼんやり熱が引くのを待っているユーリの表情は、気だるげな中に名残の色を刷いて、そして元がまだ少年なだけに――
「壮絶だ。その色っぽさは罪悪だよ」
 そう。って。え?
 自分の思考を口に出したのは、たった今自分を抱いたユーリ。黒い絹糸のような髪が目の前に垂れてきて、目の下や頬に口づけられる。
 僅かに離れるとその顔が目に入る。あやうい少年の線の細さが消えたけれど、確かにユーリが、うっとり熱の残る眼で見つめていた。
 きっと、いつも、自分もこんな顔をしている。重くて重くてならない腕を伸ばす。愛しくってしょうがない、と書いてある顔を引き寄せた。
 いつもユーリがするように。


 半覚醒のままゆるゆると手足を伸ばす。ひんやりしたシーツに滑らせる心地よさに、そこにあるはずのぬくもりを思い出した。
 はっと目を開けると、早朝の白っぽい光の中に彼の人の姿はなく。ひとりで寝台に寝ていた。目を落とすときちんと夜着も身につけている。
 胸のボタンをはずして覗きこむも、見慣れた古傷があるばかりで情交の名残など一つもない。もっとも。過去の自分に余計な詮索をさせないように、元より付けなかった可能性の方が高いが。
 だが、たとえあれが現実のなのだとしても。夢を見たのだと、そう思うより他にしようのないことではある。
 百二十年後の魔王陛下が忍んできて情を交わしたなど――誰に説明するというのだ。
 そう胸の中に落ちつけて、寝台から抜け出して。足元の床に散らばるものに気がついてつまみあげる。
 断ち切られたひと房の髪。夜を閉じ込めた色が艶やかに朝日を弾いていた。


End


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