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願わくば花の下にて

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 郊外の視察を終えて、ユーリは乗ってきた馬車を空で帰した。遠乗りよろしくコンラートと二人、騎馬で帰ることにしたのだ。
 明るい陽射しと暖かな風。春の陽気を満喫しながら馬首を並べていると、季節外れの雪がひとひら、視界を掠めた。
 ユーリが速度を緩めたのに、コンラートも習って彼方に視線をやった。首を巡らせれば、木々の合間に薄紅色の花木を見つける。
「ああ、――少しあそこで休憩していきますか」
 春に一斉に花をつけるバラ科のこの木を、ユーリの郷里では特別の感慨を持って眺めるのだと、コンラートが聞かされたのはもう随分と昔のことだ。まだ少年だったユーリはこの花木の種類をサクラ、と呼んだ。
 近くまで寄ると、それは大きな古い木だった。新芽をつける広葉樹の中で一本だけ、煙るような花を一杯につけていた。その見事さにコンラートですら息を呑む。
 花の下でチーズを挟んだパンとワインで軽食を取ると、ユーリは草の上に寝転がった。散り敷いた花弁がふわりと舞う。
 ユーリの黒い瞳がおびただしい数の花を辿る。風が枝を揺らすと、そのたびにはらはらと花弁を零すのを、目を眇めて追う。
 やがて呼吸がひどくゆっくりになって、まつ毛がその瞳を隠した。
 朝からの乗馬で草臥れたのだろう。そうでなくても麗らかな日で、腹がくちくなれば眠気が寄る。
 静かだった。時折聞こえる鳥のさえずりが、より静寂を際立たせた。
 ひっきりなしに散り落ちても膨大な花々は数を減らしたように見えず、まるで時を止めたように感じさせた。
 だが実際はとても短い日数で花を終えてしまう木だ。その儚さが、この花の美しさに凄みを与えているのかもしれない。
 もっとも、とコンラートは老成したその幹に目をやった。あっというまに散ってしまっても、また次の春には花をつけるのだ。この木が百年単位で繰り返してきたように。 ユーリの口元に落ちた花を何の気なしにつまみ落とすと、ユーリが目を開けた。
「起こしてしまいましたか」
「いや。初めっから寝てない」
 そう言う割にはぼうっとした様子で花を見上げている。
「もう少し寝ててもいいですよ。起こして差し上げます」
「昔さぁ。死ぬ時は満開の桜の下が良いって言った坊さんが居たらしいんだけど。こんな綺麗なの見ながら死ぬってロマンチックだよなぁ」
 平坦な口調はやはり寝起きのそれに聞こえる。
 コンラートも同じように花を見上げた。空恐ろしくなるくらいに美しい。
 確かに最後に目するに値するだろう。自らの血溜まりや、或は寒々しい部屋の天井を眺めての最後などより余程良い。
「だけど残された者は次の年から心穏やかに花見が出来ませんね」
 黒い瞳がはっきりとコンラートに向けられた。
 眞魔国の至宝とも喩えられるユーリの瞳もその美しい深淵に引き込まれそうになるのは花と同じだった。
「桜を見るたびに思い出して悲しくなる?」
「ええ。きっと」
 コンラートの答えにユーリはどこか楽しげにうなずいた。
「それは困るな」
 かすかな風が、また花弁を雪のように散らしていった。
 よいしょ、と勢いをつけてユーリが体を起こすと、名残を惜しむように周囲の花弁が舞い上がる。
「そろそろ行こうか」
「ええ」
 満開の花の下で送ったとして、自分はもう花を愛でることなど出来ないだろう。不埒な確信を持ってコンラートは、これからも繰り返し花をつけるであろう木を今一度振り仰いだ。


End


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