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山月記
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とある魔族の国にシブヤユーリという王がいた。美人で名君と評判の王だった。あるとき、長い間立派に国を治めている褒美にと、王は休暇を貰った。褒美を授けたのは宰相である。王の臣下のくせに宰相の方が偉そうなのだが、それはまた別の話なので今はおく。
休暇を貰った王は護衛のヨザックを連れて旅に出た。隣の国までやってきて、今日は辺境の山を越えようという時。泊まっていた宿の主人が忠告した。
「この山には人食い獅子が出るんですよ。悪いことは言いません、遠回りになっても山裾を行きなさい」
だが王は聞かなかった。
「だってこう見えてもグリ江ちゃんてば最強なんだぜ」
無駄に露出の多い女用心棒の出で立ちの護衛は、王の後ろでばつんと音が立ちそうなウインクをした。
確かにその上腕では人食い獅子の上あごと下あごを持って引き裂くことも可能であろう。宿の主人は重ねて言うのを止めた。
なるほど山の中腹まで来た時、突如岩陰から王と護衛の前に大きな獅子が躍り出た。が、護衛が剣を抜き放つより早く、身を翻すと再び岩肌の向こうへ姿を消す。油断なく様子を伺う護衛が砂利を踏みしめる音と、高くで鳶の鳴くのが聞こえるばかり。やがてその静寂に小さな声が混じり始めた。
「危ないところだ。危ないところだった」
王と護衛は他にも人が居たのかと訝しんだ。それとも何か法術の罠なのかと。耳をそばだてて王は驚愕した。
「コンラッドっ、この声はコンラッドだろっ?!」
コンラッドとは、ヨザックの前に王の護衛だった男である。王の信頼を得てずっと傍にあったものが、ある日突然姿をくらませ、それっきりになっていたのだ。
「あぁ、ユーリ…」
血を吐くような嘆きは確かに懐かしい者のそれ。
「なんでこんなところに…どうしたんだよ、出てこいよコンラッド!」
「駄目です、ユーリ。今の俺はとてもあなたの前に出られる姿じゃない。今の俺は…俺はおぞましい人喰い獅子なんです」
なんと先程の獅子こそが、かつての王の護衛だというのだ。そんな不思議なことが本当にあるというのか。問いただす王に声は嘆いた。
「これはあなたに浅ましい思いを抱いてしまったことに対する罰なのです。最初はあなたはただ忠信を捧げるのみの対象でした。素晴らしい王を戴いて、ただあなたの成長を見守っていられれば良かった。なのにいつしかそこに薄汚い劣情が混じり始め。俺は忠誠を誓ったあなたに、獣のような感情を持つようになってしまいました」
「だから急に姿を消したっていうのか」
「ええ。耐えられなかった。護るべきあなたの傍で、そんな心を押し殺してお仕えすることが耐えられなくなったのです。あなたから距離を置けばこのような苦しみはなくなるだろうと思っていた。なんと浅はかな。あなたの姿がない、あなたの声が聞こえない、その苦痛を甘くみていた。あなたが居ないことに悶え苦しみました。あなたを思い、後悔の念に駆られ、嘆き悲しんでいるうち――ふと気がつくと、俺はこのような獅子の姿に変わり果てていたのです。もちろん初めは驚きました。とうとう自分は気が触れてしまったのかと思いました。ですが徐々に事実だと受け入れざるを得なかった。俺の姿を見ると、人は人喰い獅子だと一目散に逃げ出す。水に映るのは間違いも無く獣の姿。きっと、持て余し、抑えきれない獣性がこのような恐ろしい姿を取らせることになったのでしょう」
長い元護衛の告白を欠伸混じりに聞いていた王は、現護衛に顎をしゃくって合図した。
「はぁい、よ」
いま一つ気の入らない返答とは裏腹に、現護衛は勢いよく岩陰に飛び込んだ。暫く向こうではどたばたと騒がしい音が響いていたが、やがて傷だらけになりながらも現護衛が姿を現す。背には手足をぐるぐる巻きに縛った獅子を担いでいた。
「くそうっ…下ろせヨザックっ」
「そんなナリでグダグダ嘆き悲しんでばっかいるうちに、アンタ、鈍ったんじゃないか?」
現護衛はそんな減らず口を叩いていたが、皮膚のあちこちを爪に裂かれて全身からだりだり血を流していた。だがそんなヨザックのことは後廻しで、王は地べたに投げ出された獅子の前に屈みこんだ。
「ひどーい。グリ江、がんばったのにー。いーたーいー」
そんな主張もスルー。
「見ないでください、このような忌まわしい姿を」
かつて護衛であった獅子はそう言って哀しげに耳を伏せたが、王はかまわず手を伸ばした。そっと背を撫でてみて、おお、と小さく声を上げた。ついで首の後ろをわしわしと掻く。
「わぁ…ホントに獅子だ…」
思わずといったふうに感嘆の声を上げながら、王は獅子を撫でる。王の目はきらきら輝いている。喉の下をくすぐられて獅子はついにごろごろと喉を鳴らした。
旅先でペットの獅子を手に入れて、王は国へと戻った。それはずいぶんと利口な獅子で、王の護衛も務めるという。今日も獅子は王の足元に伏せて主を護る。王は時折手を伸ばし、獅子の耳のあたりを掻いてやる。獅子はうっとり満足そうに目を細める。まるで大きな猫のようだが、王に害なさんとする者あらば、ひと飛びに掛かって鋭い爪で引き裂き、凶暴な顎の餌食にされるのだと、もっぱらの噂である。王はたいそうその忠実なしもべを可愛がって、寝床へ入ってくることをも許すのだそう。
「ま、めったに挿入までさせないけどな。だって、知ってるか? あいつの、棘みたいな返しがついてるんだぜ? 痛いっつうの」
End
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