ベッドでうつぶせになり視線だけ向ける

 寝返りをうって腹這いになったら、掛布の上に散らばった書類がカサリと乾いた音を立てた。寝台の端に腰かけて、そのうちのひと束に目を落としていたコンラッドが、空いた方の手でおれの髪を撫でる。身体の熱は引いたので、もうそれでどうってこともないけれど、くすっぐったくて首をすくめる。それを口の端で笑って、コンラッドの視線はまた書類に戻る。
 急ぎの仕事を抱えていたのにうっかりなだれ込んでしまったがために、甘ったるい倦怠に身を委ねて眠りに落ちるわけにはいかず、勤勉な臣下は無粋な真似をしている。
 隣室の書き物机でなくこんなところで不自由するくらい、この時間をかけがえなく感じてくれて、それがどういう感情に由来するのか――解るから。もちろん怒れないし、さっき気がついてしまったアレについても文句を言い辛くなってしまう。
 ふと思い返して、その居たたまれなさに枕に顔を埋めた。叫びだしたくなるのを枕に吸わせて小さく呻くと、コンラッドの指が半ば無意識のふうにまた髪を梳く。



 ・異世界に流される。
 ・魔王に就任する。
 ・彼氏ができる。
 前の二つに比べたら、まだ、はるかに日常の延長にひっかかることだと思えるけれど。でも、ほぼ不可抗力の二つと違って、最後のは。あくまで自分自身が望み焦がれてこうなった分、逃げがない。
 まさか、男に、恋するなんて。そのうち可愛い彼女を作って――至って平均的な嗜好で、それになんの疑いも抱かないまま生きてきたってのに。

 これは夢じゃないか――今だってそんな疑いが拭い去れないくらいに非常識な展開で非常識な世界に放り込まれ。自分の正気まであやふやだと思い詰めそうな状況でおれの常識を肯定してくれる存在は――彼はおれがいた世界を知っていた――男とか女とか以前に精神の拠り所になっていたのだと思う。
 客観的にみたならば、おれがコンラッドに持った感情は純然たる恋愛ではなかったのかもしれない。だけどそんなラベリングなんてどうでもいいと思うくらいに、自分はコンラッドに執着していた。そしてその執着はやがて、彼に自分と同じ程の熱量を持って欲しいと願うようになり。
 解り易く恋愛関係を当てはめただけなのだとしても、コンラッドを欲し、彼に欲されたいと願う気持ちは切実だった。
 女の子のように彼の下で身体を開いて、受け入れることだって厭わないほどに。

 彼の特別になれるなら、おれは女の子の代わりだって良かった。だけどおれの恋情を受け入れて、あまつさえ同じ気持ちだと返してくれた彼は、決して代わりなんかじゃないと、それこそ男とか女とかじゃなくっておれが好きなんだと言ってくれて。
 おれはもうすっかり、本当にコンラッドなしでは立ってさえ居られなくなるようにされた。

 異郷での施政者としての慣れない毎日を、護衛という最も近い位置で支えられ、恋人として気持ちを委ねた。精神だけでなくもっと即物的で本能に支配される情の交わし方をするようになっても、コンラッドは大事に大事におれを愛してくれた。
 例え願ったとしても女の子には成り得ない身体を、心を、そうっと慈しむように。けっして傷つけないように。
 いつだって申し訳なくなるほどの忍耐をもって、そのままでは受け入れられない身体を柔らげて。おれが苦痛を感じてはいまいかと、臆病なまでに心配されるから。
 コンラッドとこうしたくって。彼の特別になるんだったら、苦痛すら甘美なのに。それに感じているのは痛みばかりではないのだと、溢れだしそうな気持をわかって欲しくて。



 視線の先でよれたシャツに包まれた背中が、わずかに波打つ。小さなサイドテーブルの上で書き物をする、ペン先が紙を引っ掻く音が立つ。
 枕を抱えてぼうっとそれを眺めながら、どんなに腹が立っても、結局許してしまうんだと思った。それでコンラッドが喜ぶなら、もういいか、だとか。そして確かに――認めたくはないが――それに身を震わせた自分も居る。
 唇をかんで羞恥をやり過ごす。やっぱり、好きだから、怒り切れない。



 何度となくつなげた身体は、すっかり覚えてしまって。もう欲しくてもどかしくってどうにかなりそうなのに、それでも過保護なくらいに丁寧な前戯を施される。だからといって浅ましい望みを口にすることもできずに息を切らして、のたうちそうになる身体を必死に抑えて。
 涙の滲む目で懇願してようやく埋めて貰えた時には、安堵の混じった嬌声が零れた。
 待ちわびたように中がざわめくのがわかる。彼に絡みつき、震えるのが。自分では堪え様のない不随意の動きが恥ずかしくって堪らないのに、それ以上に正直な身体の反応に引きずられて渇望のままにコンラッドの背を抱きしめた。
「痛くない?」
 なのに掠れた声が心配そうに聞いてくるから。
 おれの身体は居たたまれなくなるほどに彼の侵入を喜んでいるのに。なのに、まだ、そんなことを言うのか。コンラッドが思うほど、おれはヤワでも清らかでもない。彼に与えられるものに煽られて乱れる、恋に狂うただの動物なのに。
 切ないまでの身体と気持ちが届かない悔しさと、この期に及んでまだ気遣われる甘さに心が痺れる。
 こんなに愛されて、こんなによくされて――泣きたくなるほどの思いを少しでも伝えたくて。
「気持ちいい――すごく、気持ちいいよ」
 目尻を滑っていく涙のしずくを散らすように瞬いたら、いつもの穏やかさを捨て去ったコンラッドが、目を眇めるのが見えた。
 ぞくぞくするほど怖くて息を詰めたら、腹の奥のが膨れるのを如実に感じてしまう。ひゃあ、と声を上げてしまって、だけどそれは決して苦痛を感じてのことではない。
「いいから…気持ちいいから…」
 乱れる息の合間に告げて――堪えるコンラッドの表情に引っかかりを覚えたのか、それとも耳から入る自分の発言に我に返ってしまったのか。きっかけはわからないけれど、その時。気がついてしまった。
 コンラッドがしつこいくらいに「痛くないか」と問いかける訳に。
 無意識とはいえ、とんでもないことを口走っていた自分に気が遠くなりかけ、このド助平がぁ!という怒りと共に正気付き、でもって耳にこびりついた自分の言葉を思い返せば――ぶるっと寒くもないのに身体が震えた。奥を擦られる刺激に、それをキモチイイと口にしたのだと思った。身がすくむような羞恥に煽られて発熱する。焼き切れそうな神経がびりびりする。急速に膨れ上がる官能に息が詰まる――。



 書類の角を揃えるリズミカルな音に、うとうとしていた意識を引き戻された。
 どうしようもない恥ずかしさが薄れさえすれば。気遣いと労わりだけで持たれていた行為ではないと、思い知らされるようなアレは――奇妙な満足感を連れてきた。与えられる一方ではなく、喜ばせているんだという自信みたいなものを感じて。
 だからまぁ。もう今更そのことについて蒸し返すのはやめておく。説明するのも恥ずかしいものがあるし…。
 だけど今夜新たにした認識は、きっともう変えられないと思うけれど。
 一見爽やかな好青年なのにド助平だって。


End


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