----------------------------------------

側近の憂慮

----------------------------------------

 ユーリの御世百二十二年の新緑の頃。眞魔国宰相フォンヴォルテール卿グウェンダルは、王の帰城を知らされて執務室を訪れた。
「ずいぶん早かったのだな」
 両手に抱えた書類を二つに分けて机に置く。
「グランツ領の特別予算修正案の方は、まだ見てないぞ」
 それを聞いて机の前でではなく、窓際のソファでお茶を飲んでいた魔王陛下は眉をしかめた。
 半ば寝そべるようなだらしのない恰好だ。ただ当人が凄艶な美貌の持ち主なので、この場合はアンニュイ、だとか、もっと退廃的な美しい言葉が似合ってしまう。
 ユーリが死んだら送り名は『魅惑王』だ。
 順当にいけば自分の方に先にお迎えが来てしまうのだが、こっそり考えた宰相閣下。
「そっちの方をやって欲しかった」
 そんなグウェンダルの思惑には幸い気づかずに、ユーリは小声で文句をつける。
「陛下が注文をつけてやり直させたのだろう。お前が自分で見る方が早い」
「なんか色々変更させたからなぁ…いっぺんあんたの目でチェックして欲しかったんだよ」
「…面倒なだけなのだろう?」
 細かい数字が並ぶ見るからに面倒臭そうな案件を押し付けあって。結局自分で見るしかないか、とユーリはあきらめた。
「そっか、老眼進んで見にくいんだったよね――おかわり」
 と空のカップを宰相に差し出すのは軽い腹いせ。
 気になってしまうから、と執務室には秘書も小間使いも置いていない。扉一枚隔てた手前の部屋には事務官たちが控えているのだが、お茶くみはもっぱら魔王の護衛の仕事だ。そして今のように彼が留守の間は、運悪くその場にいる誰か。
 扉の外に代りを持ってくるように言いつけて、グウェンダルは自分の席に着く。
「あれはずいぶん早く帰ったのだな」
 この早く帰ったあれとは、ちょっとした超常現象によってやって来た百二十年前のユーリの護衛のことだ。
 これまでの例から、丸一日位は滞在するのではないかと思われていたのだが。どうやら宵のうちに帰ったらしいと、魔王を護って共に城下へ降りていた兵から報告を受けている。
 ユーリはまた眉をしかめた。
「なぁ、あの時間隧道だけどさ。おれも一枚噛んでんのかな?」
 昨日の報告書を捌きながら目だけ向ける。
「おれが帰れって怒鳴ったら、ホントに帰っちまったんだよなぁ」
 ――ユーリの未だ底の知れない潜在魔力を考えたら、そんなこともないとは言い切れない。
 だが。そんなことより。
 時空を超えて現れた相手にまで痴話喧嘩…何をやってるんだかと、こっそりついた溜息を見とがめられた。
「過去のコンラートだろうがなんだろうが、それで少しでも陛下の気持ちが晴れるんなら、有難いことだと思っていたら。
 それがとっとと追い返した上に二日酔――」
 さっきカップを受け取る時に、ユーリから甘いアルコールの匂いがした。
「だけど昨夜はぐっすり眠れたぞ」
「酔いつぶれた、だろう」
 切り捨てるとユーリは拗ねたように口をとがらす。
 私相手にそんな顔をするなっ!
「あんたの弟、馬鹿すぎなんだもん。――なんにも解っちゃない」
「それはお前がまた無理して好い格好をしすぎるからだろう。さっさと弱音を吐いて甘やかされておけばよかったのだ」
「だってコンラッド、まだ百歳だぞ? あんな可愛らしいの前にそんなことできるか?」
「中身はたいしてかわっとらん」
 子供の頃から知っている実の兄の言葉には遠慮がない。
 侍女が新しいお茶を運んできた。今度は二日酔いに効果のある薬草茶だ。
 少し苦いそれを飲み干して、億劫そうにソファを立ち上がった。それでも仕事は始めるつもりらしい。
「晩餐会までには抜いておけ」
 グウェンダルの忠告に不敵に笑って答えた。
「どうせまた飲むんだから。迎え酒で復活するよ」
 魔王陛下はこういうときも無駄に麗しいので、発言が馬鹿でも尻の座りを悪くする。
 ちなみに「無駄に麗しい」は、過去のコンラートも抱いた感想。もっとも、魔王の人となりをよく知る側近達は、多かれ少なかれ皆抱くものなのだが。
「そう言えばギュンターが見えないな」
 ここに居ると思っていたのだが。
「あぁ、ウルサイから遠慮してもらった」
 確かに二日酔いの時にはきつかろう。


 昼食をはさんで再び執務を続ける。
 二日酔いのわりにユーリの食も進んでいたようでひと安心だ、と宰相は自分の職務の範囲を超えた事柄に心を砕いていた。
 どうもあの護衛が居ないとユーリは日常生活をおろそかにしがちになる。昔のように、目に見えてげっそりやつれることはなくなったものの。それも周囲に悟られまいと腐心してこそらしい。
 そんなになるならば手放さねばよいのに。側近達も本音はそう思っている。公と私をきちんと分けられることを美点だと考える半面で。
 ユーリが窓の外を見やったので、そこに鳩が来てウロウロしていることに気がついた。
 通信課にではなく執務室に直接来る鳩は、王への直通便だ。差出人はごく一部に限られる。
 ユーリが窓辺へ行って隙間をあけてやると、鳩は差し出された手に止まって喉を鳴らした。足に結えられた紙筒を慎重に外して。
 みるみる強張る表情に、悪い知らせなのだと、グウェンダルは腰を浮かせた。
 ばんっ、と読み終えた小片をグウェンダルの机に叩きつける。驚いた鳩が室内をばさばさ飛び回った。
 手に取ると、そこには細かくて読みにくいが確かにコンラートの筆跡。
 派兵をひと月延長してくれるようにと――。
 何はともあれ無事そうなのにはホッとして椅子に戻った。
 顔をあげると、きりきり眉を引き上げた魔王陛下と目が合った。
 とっさに最悪の事態を様々思い描いてしまっただけに、安堵が先立ったのだが。
 グウェンダルはあわてて眉間にしわを呼び戻して、しかめっつらしく進言する。
「西の大国の横槍だろう」
 コンラートが赴いている紛争地域で、陰で糸を引いていると噂の国だ。戦闘はとうに終結しているはずが、最近また水面下の動きを激しくしていると情報が入っていた。
「あんのくたばりそこないの爺ぃがっ」
 西の大国の国王のことだ――以前は欲まみれのエロ親父、もっと前はいけすかないニヤけ野郎、と呼んでいた。
「あの爺ぃがちょっかい止めない限り、いくらコンラッドががんばったところで、いつまでたっても終わんねぇだろ」
「かといって武装解除半ばで撤退するわけにもいくまい」
「わかってるよ!」
 言い放って、差し入れた指でぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す。そんな姿まで艶っぽいのだから、無駄だ、というのだ。
 グウェンダルはいい加減部屋が羽毛だらけになる前に、ばさばさ飛び回る鳩を呼び戻した。任をねぎらってから窓から放す。
「外交部と情報部の担当官、呼んで。それと西の大国の大使、出頭するように使いを出して」
 地を這うような不機嫌な声が指示を出す。
「お前は今夜は晩餐会だぞ」
「わかってるよ。それが終わってから会うから」
 深夜まで待たせておけっ、と。不快感のアピールを兼ねているらしい。
 深夜まで待たされた挙句、この鬼気迫った魔王陛下に捻じ込まれたら。利害を反する相手ながら同情しなくもない。
 だが、自国の利益のためだけに他国に争いをひき起こすなど言語道断。派兵が長引くのも、コンラートの不在が延びるのも、こちらとしては大した迷惑なのだ。
 それに。しばらく不機嫌な魔王陛下の八ツ当たりにさらされるのかと思うと、げんなりする。
 侍女や兵士にまで優しく細やかな心配りを見せるユーリだが、半面、側近達には容赦ない。それだけ甘えられているのだと嬉しくもあるのだが、実際問題としては迷惑極まりない。
 グウェンダルは思い至って提案してみた。
「陛下、時間隧道に影響を与えているのではないかと、おっしゃってたな」
「なんだよ、改まって」
「あの過去のコンラートと喧嘩して追い返したと言っていただろう?
 どうだろう、ここは呼び戻して仲直りしてみては――ちょうど現在のコンラートの留守も延びそうではあるし」
 あまりに見え見えで、さすがのユーリも鼻白む。
「なんだよ、それ。過去のコンラッドあてがっとけば、こっちにとばっちり来ないなぁとか思ってない?」
「まさか。陛下も、過去のコンラートも、喧嘩別れでは後味が悪かろうと浅慮しているだけだ」
 しらっと言い切るが、これっぽっちもそんな浅慮などしていないことがわかる。
「ちょっと俺が、もう小さくも可愛くもないからって、冷たいぞ、グウェン」
 庇護欲はそそられないが、時折恐怖は刺激される。黒に近いといわれ続けてきた髪の色が褪せてきたのも、年のせいばかりではないと思うグウェンダルだった。
 だがそう言ったものの、ユーリもこのアイディアには心惹かれるようで、
「だけど実際、どうやったら呼べるんだろう…」
などとブツブツ言っている。
 陛下の思案を邪魔しないようにグウェンダルはそっと安堵のため息を吐いた。油断するには少し、早かったのだけれど。
「あ、グウェン。おれ、西の大国の対策で今日はもういっぱいいっぱいだから。
 グランツの予算案、頼むな」


End


ブラウザバックでお戻りください

inserted by FC2 system