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血盟城の結婚事情

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 血盟城勤めの者には早婚の傾向がある。兵士から侍従侍女、事務官、各種職人や下働きにまで。特に奥宮で働く者たちにそれは著しかった。
 抜擢され、地方から出てきた近衛が、気付けば奥勤めの侍女と入籍していたりする。
「え、何、結婚? 前から知り合いだったの?――の訳ないか。それってすごいスピード婚…できちゃった婚だから?――おい、ちょっとまて、ウラル卿が血盟城に来たのって先々月じゃなかったっけ? うわー、純朴そうに見せかけてやるなぁ!」



 事務官見習いの一人が血盟城の廊下を歩いていた。彼が配属された主計部は、この先の渡り廊下を伝った別棟にある。
 上司に頼まれた資料を取りに行った帰りで、両手は埃臭い書籍でふさがっていた。と、行く手を近衛兵が遮った。
「ここは現在通行止めです。迂回してください」
「へ?」
 見習いは戸惑った。
「いえ、しかし。この先の主計部に行きたいのです」
 つい半時間ほど前、行きには問題なく通れたのだ。
 近衛が居るということは陛下の警護に関することだと見当はつく。なるほど廊下の先、柱の間の窪みにしつらえられたベンチに禁色をお召しになった姿が拝見できた。
 だが我らが陛下はとても気さくな方で、貴人がいらっしゃるからと廊下を通行止めにされるようなタイプではないはずだ。
「『事由いち』により通行できません」
 近衛兵は重ねて言った。
 クライスト領から出てきてまだ日が浅い彼には『事由いち』が何を意味するのか判らなかったが、引き下がる他はなかった。
 来た道を返し、一旦外に出て戻るしかない。痺れはじめた両手で書籍を抱えなおすと、埃が舞ってくしゃみが出た。

「遅かったな。道に迷っていたか」
 やっと主計部に辿りつくと、上司が戻りの遅い新人を心配していた。
「すいません。そこの渡り廊下の前で通行止めに合いまして」
「なんだそれは。赤い悪魔の破壊行為か何かか?」
 まだ見習いは遭遇したことがないが、そういうのも多々あるらしい。 「いえ、近衛が『事由いち』だと。なんですか『事由いち』って」
 ああ、と上司は眉を下げて、最近後退し始めてきた額を掻いた。
「あー、まぁ。それはおまえを守る近衛隊のありがたい心遣いだ」
「近衛が護るのは陛下であって一介の事務官見習いではないのでは?」
 上司はもっともだと頷いて、どこか遠い目になった。
「『事由いち』は血盟城に上がって一年未満の若者に適応される」
「じゃあ、次長なら通されたのですか」
「ああ。まぁそこそこ免疫もあるし。とうの昔に結婚してるしな」
「結婚? 我々の結婚と陛下の警護に何の関係が? それに免疫って」
「そう、陛下だ。陛下がいらしたのを見たのか」
「え、ええ。遠目に。あそこの窪みのベンチに座っていらしたのをちらっと」
「ちらっと?」
「はい。なにしろ柱の陰になってますから」
 上司は良かったなぁ、と安堵したが、なんのことやらさっぱりだ。
「ウェラー卿もいらしただろう」
「さぁ…いらしたんでしょうが、気付きませんでした。黒いおみ足が見えたので陛下かと思っただけで」
「いや、いらしたんだよ。だから『事由いち』が発動した」
「だから何なんです、それは」
 まどろっこしい上司の説明は要領を得ない。
「さっくり言えば、陛下とウェラー卿に当てられた若いのが、うっかりその勢いで結婚しちまうのを防ぐ措置だ。お二人が良い雰囲気を醸しておられるところに無防備な若いのが近づくと、な。さっきおまえさんが適応されたみたいに――その場を追っ払われる。目の毒以外の何物でもないからな」
 見習いは唖然とした。
「私はそんなことで、あの埃っぽい紙の束を抱えてわざわざ遠回りさせられたのですか?」
 言葉にこそしなかった、子供じゃあるまいし、の部分を察して上司はそうじゃないぞ、と嗜める。
「中央の官吏目指して今まで勉強しかしてこなかったような、おまえさんみたいのが一番危ない。何の耐性も無い状態で、あのお二人の中睦まじいのを見せつけられたら、どうにも自分も恋人を作っていちゃいちゃしたくなるんだろうなぁ。どっか頭のネジが弛むんだろう。そのままふらふらっと知り合った相手とうかうか恋仲になってさっさと結婚しちまって後悔する例を、俺は指の数より多く知ってるぞ」
 後悔しない例も同じくらい知ってるがな、との付け足しは、見習いにはどうでもいいことだった。
 ふらふらうかうかさっさと結婚するなどまっぴら御免。せっかく血盟城の事務官見習いになったのだ。どうせなら高官に認められて、是非ウチの入り婿に、そしてゆくゆくは後を継いで、などと――彼にも夢があった。
「――…近衛の方々も大変ですね」
「あの方々はお二人の近くに侍る分、一番の被害者だから。深い後悔に基づいた、自分達の二の舞を生むまいという、実に英雄的な行動だな」


End


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