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収穫祭

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「え、十日も?」
 怖い人が十日間ばかり居ないと聞いてユーリの表情が輝く。
「だそうですよ。収穫祭に合わせて領地に帰るそうです。ここに詰めっぱなしで、ほとんど領主らしいことしてないですからね。それにヴォルテール地方は農業が盛んだから、収穫祭は盛大なんですよ」
「へー。お祭りかぁ」
 あるじの興味は宰相の留守から祭りに移っている。
「トマトぶつけ合ったり、巨大カボチャを抱えて競争したりすんのかなぁ」
「トマトはぶつけませんが、巨大カボチャの品評会はあるらしいですよ。外に大きなテーブルを作って村人みんなで食事をするんだそうです。その時に食べる料理というのが地域ごとにいろいろあるらしくって――」
 なんて教えると、もう行ってみたくてしょうがない。
 腕にユーリの腕が絡まる。
「いっぺん見てみたいなぁ。そういうの。国民の皆さんがそうやって楽しんでいる姿を見ると、おれのモチベーションもあがるし?」
 思わねぇ? と身体を押しつけてくる。
「そんな楽しそうな話を教えるのが悪い。責任取れ」
 連れて行ってもいいかなと思ったからそんな話をしたのだ。だけど。
「そういうおねだりの仕方は他にはしないで下さいね。俺に甘えてくれるのはいいですけど」
 釘を刺したら、どうやら無意識だったらしくて真っ赤になって飛びずさった。


 日頃王宮で供される料理からすれば、単なる田舎料理。だがその土地でとれたものをその地で食するのは、ある意味何よりの贅沢ともいえる。それが秋晴れの空の下、たくさんの笑顔と共にする食事ならばなおさら。
 一年の豊作を祝い、実りに感謝するこの地方の祭りは、農作業の共同体である村の人々全員で同じ食卓を囲み、作物の出来栄えを確かめあう青空の下の昼食会がメインである。
 昼食といっても料理の準備は一週間も前から始まり、この時のために早飲みのワインも仕込まれる。
 食事の前後には農作物や家畜の品評会や競馬が行われ、程よく酔いも回ったころには音楽が奏でられ踊りの輪ができ始める。
 目新しい料理ですっかり満腹したユーリも、賑やかな演奏が始まった方を見て頬を緩めていた。
 髪を染め、瞳の色を隠して村長の客だと潜り込ませて貰っている。長自身もゆかりの地方貴族からことづかっているだけで、単なる王都からの身なりのいい客だと思っていて。とりわけ特別待遇されるわけでもなく、すっかり馴染んで祭りを楽しんでいた。
「どうりでさっきから綺麗なドレスの女の子が目につきだしたと思った」
 この日のために用意したのであろう衣装の裾をひらひらさせながら、少女たちが回り始める。
 一人で踊る者、友人同士で群舞する者、恋人らしい甘さを振りまきながら踊る二人。振り付けは厳密に決められているわけではないようで、その時の気分で自由にアレンジがされるらしい。伴奏の音楽もその場のノリでどんどんテンポを変えていく。
 すると二人連れの少女の内の一人が、踊りながら輪を外れて寄ってくる。
「旅のお客様。どうぞ、一緒に踊りませんか」
 王宮の夜会と違って女性から誘うのもアリのようだ。
「ええっ? おれ? コンラッドじゃないの?」
 ユーリは間違える余地もなく目の前に手を差し出してくる少女を前に、焦りまくる。
 年は八十歳といったところか。愛らしい顔立ちに、臆さないきっぱりしたもの言い。なんとなく、ユーリの好みのタイプだと思った。しかもドレスの色は青、だ。
 観客に徹するつもりだったらしいユーリはこちらに答えを求めてくる。
 知らんぷりでにっこり微笑んでやったら、一瞬眉の端に苛立ちを浮かべて、でも目の前の少女にすまなそうに笑みを見せた。
「ありがとう、だけどおれ、こういうの苦手で。ここで見せてもらってるだけじゃダメかな?」
「あら、そんなの気にしなくったっていいのに。見てるだけより参加した方がずっと楽しいわよ」
 ユーリの笑み、なんてものを正面から受けて少女は頬を赤らめる。
「残念ね。じゃぁまた気が向いたら踊って下さいね」
 そう言ってまた踊りの輪の中に入っていく。きっとこういうあっさりした引き際の良さもユーリの好感を得るはずだ。
 現にほら。
「なぁ、コンラッド、あの子可愛かったなぁ」
 くるくる回りながら、友人の許へ戻って行き、舌を出す少女を目で追って。
「だったら踊ってらしたら良かったのに」
「あんた、おれがダンスからきしダメだって知ってんじゃん。舞踏会のときだってあんだけ特訓しといてアレだったんだぞ。初めて見るこれが踊れるわけないだろ」
「じゃあ、練習します?」
 ユーリの腕を取って立ち上がる。そのまま流れの端の方へ引っ張って行って。
「右、右、左、回って…――ほら、これが基本のステップみたいですよ」
 いささか強引にリードしていく。こういうのは説明するより実際に慣れる方が早い。それに宮廷舞踏のような洗練とか優美さよりも踊ること自体を楽しむものだから。
 それでも、周りの人たちのステップを盗み見ながら必死に合わせようとしているユーリの表情は引きつり気味だ。
「ユーリ」
 顔を上げたところへ笑いかけると、ぱっと頬に朱が散る。
「笑って下さい。さっきあの少女に見せたみたいに。俺にも笑って下さい」
 ユーリはまじまじとこちらを見て。それから瞳に棘を覗かせて、甘く甘く微笑みかけた。
「嫉妬深い男は嫌いですか」
「まさか」
 ステップを間違えて足がぶつかるのもじゃれ合いにしかならなくて。加速していく音楽に委ねてくるくる回る。遠心力にまけないように繋いだ手に力を込める。踊り手たちが踏みならす靴音に、酔ったかのように脳が痺れる。
 上気したユーリの表情は扇情的。引き寄せた時に立ち昇った汗とユーリの匂いに酩酊は深くなる。
 伴奏は限界まで早くなったあと、高い一音を残して、再びゆったりとした曲に戻る。人々も高まりすぎた興奮を冷ますかのようにその調べに乗る。
 ユーリはどこか後ろめたそうに視線を逸らした。
 舞踏と何かの共通点に気がついたようで、それが気恥かしくてならないらしい。
 小さく笑ったのを聞き咎めて睨みつけてくるが、目尻を染めてそんなことをされたって。


 それでも緩急つけて続く演奏に乗せられて踊り続けて。さすがの野球少年も足元がおぼつかなくなり始めたので、輪を外れてテーブルに戻った。
「なんかすげー楽しかった! 踊る阿呆に見る阿呆…ってのはホントだな」
 息を切らしながら、満面で笑って。
「なんですか、その踊る阿呆に見る阿呆って」
「あー、同じ阿呆なら踊らにゃ損々って続くの」
 心から祭りを楽しいでいる風な客の少年に、隣の席の村人が大ぶりなグラスを渡してくれる。
「ありがとうっ、喉からっからだよー」
 匂いを嗅いで、ぶどうジュース?
「あ、それは…」
 止める間もなく。
 先ほどまで口にしていた食べ物であるし、毒物の混入を疑ってのことではない。ユーリが匂いだけで判断したそれが、彼が身長を伸ばす為に忌避していたアルコールだったからに他ならない。
 なみなみ注がれていたのを一息に飲み干すと、その飲みっぷりに周囲から喝さいが起きる。
 まさかこの少年がこの国の王であるなんて誰も思わなくても、愛嬌があって見目麗しいユーリは、なにかと注目され、構われるのだ。
 そんな周囲の反応にやっと気がついたらしく。
「え、これ、ジュースじゃなかったの?…だって、どう見たってぶどうジュースじゃん」
「匂いはそうかもしれませんが、味はワインだったでしょう?」
「味なんてわかんなかったよ」
 でしょうね…あの飲みっぷりじゃ。
「祭りなんだし、いいじゃないですか、飲んでしまったものは。それにこれは今年獲れたばかりの葡萄で作ったワインですよ。どうでした? 今年の出来栄えは」
 ――と、味なんてわからなかったんでしたっけ。
 頑なに飲酒を拒むユーリが酔うところなんて見たことがなかったので、興味が湧く。しかし、大ぶりのグラスで一気飲みといえども、ワインの一杯や二杯ですぐにどうこうなるわけでもないらしい。
 飲みっぷりにさらに周りから次を勧められるのをなんとか断ってまわってる姿に変わりは見られない。
 と思ったが。
 耳が赤い。うっすら首筋も。あと、茶色いガラス片が入った目も潤んでいる。
 そんなユーリの様子に気がついた人々もどぎまぎと視線を逸らしたり、逆に目を離せなくなっていたり。
 このまま放っておくには危なっかしくて、何よりも自分が面白くないので慌てて引き寄せて、そろそろお暇しましょう、と告げた。
「え、もう?」
 そう見上げてくる表情は無防備に艶めいて、酔うとどうなるのかを思い知らされた。
「あまり目立ってあの人の耳に入るとコトでしょう? なんていったって御膝元なんですから」
 何で目立つのかとか、解っていない様子だったが、それでも脅しはよく効いたらしい。
 そ、そうだな…といそいそと村の祭り輪に入れてくれた人々に礼を言ってその場を辞した。
 その間も、行動は普通だが、やたらと色気を振り撒いてまわるユーリの傍で気が気ではなかった。
 それでこの人が禁酒を標榜してくれているのはありがたいことなのだと思ったり、かといってこの先ずっと飲まないで済ませられるかと言えばそれも難しいだろうに、その時はどうしたらいいんだろうかと悩んだり。
 護衛の強化だけでいいんだろうか。他にもっと根本的なことから変えないと無理なのでは…垂れ流さないようにしてください――はたしてそんな願い入れは可能だろうか。

 それで王都からヴォルテール領まで、かかった旅程にしたら勿体ないくらいの短い間、収穫祭を楽しんで。再び馬を駆けさせて血盟城へ戻ってくると、留守中の分を取り戻すべく精力的に――それこそ必死に仕事を片付けて、何事もなかったかのように宰相の帰城を迎えた。
 尤も。ヴォルテール領での宿泊先は領主の城で。祭りに参加するために手頃な村に話をつけて紹介してくれたのは、領主の命を受けた地方貴族なのだが。
 そんなことはもちろん、魔王陛下の預かり知らないことで。
 陛下は国民の皆さんの素朴だが根本的な幸せに触れて、仕事に対するモチベーションが多少上がり。
 夜会への苦手意識がちょっぴり薄らいで。
 護衛は近い将来発生するであろう、新たな懸念事項に大層頭を悩ませることとなった。


End


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