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誓いのしるし

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 第二十七代ユーリ陛下の御世百年とちょっとの年、吉日。
 血盟城の最も由緒正しい間のうちのひとつにて、結婚式が執り行われていた。
「なぁ、あんた指輪の意味、誰かに言ったか?」
 主賓の一人がすぐ後ろに控える護衛に声だけを向ける。
「いえ。陛下は?」
「言うわけないだろ」
「ですよね――」
 では目の前で行われているこの儀式は一体何なのか。
 介添え役が捧げ持つ指輪を、新郎が恭しく新婦の指にはめる。それから新婦が新郎に――地球の結婚式ではお馴染みの指輪の交換。
 ユーリは今度は、もう一人の地球通、隣に座る大賢者に小声で尋ねる。
「村田、お前か?」
「前を向いたまま睨まないでよ。みんな怖がるから」
 まさか本当に前方を睨んでいるわけではない。周囲からは双黒二人がにこやか――いや、今日も麗しく主賓席から見守っているようにしか見えない。
「僕は何も言ってないよ。あれが所有物のしるし、だとか」
 村田が笑いを忍ばせて続ける。
「何を今更。皆してるじゃないか。左薬指に。まさか気づいてなかったわけじゃないだろ」
 もちろん知っている。
 初めは侍女や衛兵…魔王陛下に直にまみえる者達の間で広まり、あっという間に城下にまで伝わった。だけどそれはいつものこと――国民の敬愛を集める美貌の魔王陛下の影響力は、今に始まったことではない。
 気まぐれに髪を伸ばした時もそうだ。国中で長い髪が大流行して、客が遠のいた理容師組合から嘆願書が届いた。
 だから、四六時中つけている指輪を、単に皆がまねているだけだと思っていた。
 それが、なんでこんなに正確に意味を理解されているのか。
「だから言わなくたってバレバレだって。君とウェラー卿、揃って同じリングつけてたら。意味なんてソレしかないじゃないか」
 本当にわかってなかったんだね。と。前を向いたまま呆れた視線を投げかけてくる。
 確かに二人の仲は公然の秘密だが。秘密は、秘密だろう――。
「もっとも、君とウェラー卿発祥ってのは、流行に乗っている大部分の人たちは知らないだろうね。単に永久の愛のしるしだと思ってるよ。
で、きっと後のものの本にはフォンウィンコット卿が結婚式で指輪を交換したことが起源で――って書かれるんだろうね」
 第二十七代ユーリ陛下とウェラー卿が――と書かれなくて本当にヨカッタ。
 目の前の二人を心の底から祝福してやりたくなった魔王陛下だった。



「人生の墓場だなんて言う人もあるけれど――でもそんなのは嘘。だから一度陛下もなさってみたらいいのよ。どんなに素晴らしいものかわかるから。陛下だったら国中はおろか、世界中から祝福されるわ!」
 …だからそれがメンドウだというのだ。少年期までをシャイな国民性の中で過ごしたユーリにしてみれば、同性の恋人との仲なんて、世界中からそっとしておいてほしい。
 それに二人の仲など、城に上がる者なら誰もが知っている。改めて公表しなくても何の不自由もないまま、百年あまり。今更、なのだ。今更。
「たしかに母親のツェリ様には申し訳ないけれど――」
 当代陛下は上王陛下の手を引き寄せる。
「だけどあなたの息子と結婚しちゃったら――こうやってあなたを口説くことも、出来なくなってしまうだろ」
 シワもシミも寄り付く気配のないしなやかな指に口づける。
「もう。陛下ったら。誤魔化すのがお上手になって」
 なんて睨んでみても、怖いくらいに見目好い魔王に言われて悪い気はしない。むしろもっと言って、だ。
「だってこんな美しい人が義理の母だなんて、不幸以外何物でもないでしょ?」
 一向に輝きを失わない黄金の髪を梳く。
 軽い咳ばらいがして、二人でそちらを見ると、当の息子が立っていた。
「お二人は必要以上にくっついて座らないでくださいね。悪い噂が立ちますから」
 人当たりの良さそうな穏やかな表情と、時折覗くそれを裏切るような艶。
 今や彼が『穏やか』だなんて誰も信じてはいない。忠誠を誓う魔王陛下の為ならばどんな無茶も涼しい顔でやってのける、と恐怖を以て語られる人物である。
「あら、もうちょっとゆっくりしてくればいいのに」
 …二人の結婚を急かしていた当初の目的はきっと忘れている。
 というより。ツェツィーリエがこの話題を持ち出すのは、天気の話をするぐらい日常的な挨拶みたいなものだ。別に切羽詰まって言っているわけではない。
 十貴族会議で、魔王陛下がいつまでも内縁関係では国民に示しがつかない、と持ち上がるのと同じくらい、平和な証拠。
 会議の場でそれが出た場合は、そうか、そんなに暇か、よし、抜き打ち監査でもするか…――そういえば最近は言われなくなった。
「陛下、ご報告をさせていただきたいので執務室の方へ」
「グウェンとギュンターは?」
「揃ってます」
「じゃぁ、ツェリ様、お茶をごちそうさま」
 何かオソロシイものと契約しているのではないか――相変わらず美しい上王陛下の頬にキスしてユーリは腰を上げた。

「妬くなよ」
 すぐ後ろをついてくる護衛に声だけを投げる。
「妬いてませんよ。後悔しているだけです。育て方を間違った、と」
「いいじゃないか。息子を心配する母親を傷つけることなく丸く収めるいい方法だろ――」
 振り返る。
「――だいたい、あんたが王配殿下は嫌だっていうからだぞ」
 コンラートはそっぽを向く。
 わかっている。彼が嫌がっているのが称号ではないことを。コンラートが本当に忌避しているのは、ユーリの護衛でいられなくなることだ。
 未だに復帰を望む声があるのに頑なにまで軍籍に戻らないのも。戻ってしまえば国家の為の軍人にならざるをえないから。
 たとえ国益に反しても自分はユーリの為にしか生きないのだという、それはコンラートの無言の主張でもある。
 ユーリは肩をすくめて前を向き直った。
 その割に国軍内でやたら大きな発言権を持っていたりする。血盟城の警備責任者めいたこともしているし。ただしそれは建前『相談役』のポジションで――正式には実際はコンラートの副官だと思われている人物が責任者、ということにして、だ。
 軍隊の階級制度を端から無視した乱暴が許されるのも、ウェラー卿コンラートだからこそ、だ。
 たとえば、先代魔王の次男。父親は人間だがいにしえの王家の直系。兄は現宰相。
 血筋は言うに及ばずで――本人とても、若年にてすでに救国の英雄と呼ばれていた。眞魔国屈指の剣豪。国内外の事情に精通し、抜群のバランス感覚と実行力。
 そして当代魔王の名付け親にして――非公式のそれ以上の関係。
 第一、軍隊内において抜群の人気を博す人物だけに、そんな横紙破りもまかり通っている。
「あなただって嫌がってたじゃないですか」
「税金の減額措置があるわけでも、家族向け国営住宅に申し込むわけでもないのに。必要ないだろう」
 確かに王様は非課税だし住む所には困らない。…あるのか国営住宅。
 冗談めかした言い訳に、コンラートが笑い声で応じる。そして、何気ない風に続ける。
「したいですか?結婚」
 前を行く魔王陛下の歩みが止まる。
「――別に」
 恥ずかしい。面倒くさい。国費の無駄。世襲制でない眞魔国の国王に後継ぎは要らない――いや、まて、出来ないし。
「ファーストレディ外交の席にあんたを放り込むなんて…おれの心臓が持たない」
 たらしこんで凄い成果を上げそうだけど。
「そうですね。俺がいない間にあなたが何かやらかすんじゃないかと、気が気じゃなくなりますね。やっぱりお側に控えている方が安心です――枕外交なんてされた日には…」
「ま…っ――するかそんなもんっ」
 思わず振り返って噛みつくと、どうだか、とコンラートは片眉をあげている。
「俺の母親にあんな技術を使うくらいですから」
 …やっぱり妬いてんじゃねーか。
 コンラートの腕をとって最寄りの掃き出し窓からバルコニーに出た。中庭を眺めているふりで小声で告げる。
「おれはあんたのもんだ。あんたは――おれのもんだろ。誰に認められなくたって、おれとあんたは知っている。おれはそれで十分だ」
 眩しい夏の空。強い光と、時折吹き込む乾いた空気。
 隣がとろけるような笑みを浮かべていることは見なくてもわかった。見てはいけないってことも。
「俺も、それで十分です。けど――」
 けど?
「キスしていいですか?」
「ダメ。城の風紀が乱れるってまた怒られる」



 誕生日ってのはいいものだ。みんなからおめでとうを言ってもらって、プレゼント貰って。誰憚ることなく自分が主役の素敵な一日――ただしそれが国家をあげての行事でない場合。
 一日三回、バルコニーに立って国民から祝福を受ける。昔、ニュースで見たやんごとなき人のアレ、だ。
 テレビではわからなかったこと。一日三回、の合間はお茶飲んでスタンバってるだけではないっていうこと。
 国内外の人々から祝辞を受け、祝辞を受け、祝辞を受ける。夜には誕生日パーティー、もとい夜会。
 王様になった最初のうちは、慣れないことを気遣ってそれなりにゆったりしたスケジュールが組まれていたが――それにしても当時は這う這うの体だったが――今は遠慮容赦なくびっちり埋められている。メシ食う暇も…食欲もなくって――誕生日のメニューがおかゆってどうよ。
 とうに日付も変わった深夜、本日…昨日の主役は朝食以来の食事にありついている。
 未熟なプラムの実を塩漬けにしたもの――梅干しだ――で、もそもそおかゆを口にするユーリの顔からはすっかり表情が抜け落ちている。
「予定を詰めすぎですよ」
 横で甲斐甲斐しく給仕しながら護衛が進言する。
 侍女も下がらせて王の私室には二人だけだ。
「グウェンに言ってくれ」
「祝賀についでの用事を盛り込みすぎです」
「…せっかく会うんだから。いい機会なんだから勿体ないだろう――それにそんなあからさまに仕事の話してないぞ」
 確かに祝いの席で、がつがつ政治ばかりをしているわけではない。
「ですから数を絞りなさい」
 聞こえないふりで食事を続ける。
「だけどあんた、ずーっと俺の横に立ってたのに元気だよなぁ――」
 しかも人の出入りが半端でない城内の警備責任者ではなかったろうか。
 それを言うと「指揮系統がしっかりしていれば当日にトップの仕事なんてないんですよ」と澄ましている。なんだそれ。
「――あ、鍛え方が違うか」
 背丈はほぼ一緒なのに、並べば華奢に見えてしまうことを、ユーリは気にしている。根深いコンプレックスを軽く笑って否定した。
「年季の差ですよ」
 魔王の次男に生まれて上級貴族歴二百年。魔王といっても百年のユーリとはキャリアが違うらしい。
「主役でもないですし、ずっと笑っているわけでもないですから」
 ユーリの頬をつまむ。一日中笑みを浮かべていたせいで顔の筋肉は疲弊しきっている。
「ちゃんと合間に食事もとりましたし」
「それが信じられない」
「慣れ、です」
 食後のお茶を渡してくれる。その年の最初に摘んだ茶葉を、ごく浅く発酵させて作られたお茶は、魔王陛下のお気に入りだ。
 日本茶のような淡い緑の香りと色を楽しんで。ゆったりため息なんてついている。
 何はともあれ、一日無事に終わってよかったよかった。有意義な交渉も根回しも…山ほど…できたし。なんて感想を抱きつつ。ああ、そう、あの件の返事が着次第、十貴族会議招集だな。いやまて、ならついでにあの話も詰めておきたいし…だったら…そうだグウェンに。
 カップを戻すと立ち上がった。
「どちらへ?」
「ちょっとグウェンに」
 手首を掴んで引き止められる。
「ユ、ウ、リ、」
 強く呼ばれて顔をあげた。
「仕事はおしまいです」
 コンラートが苦い顔で見ている。
「あ、あぁ悪い」
 未だ醒めない脳の興奮に引きずられていた。見ればいつの間にか食器は片付けられていたし――ビロード張りの小箱が代わりにそこに置かれている。
「そろそろ休まないと。また知恵熱を出しますよ。それにこんな時間に行ってどうするんです」
「えっと…朝まで生打ち合わせ…?」
 仕事中毒の気のある二人なら全くあり得る話だ。
 わざとらしくため息をついて。
「あなたはもうしばらく俺に付き合って、それから寝てください。睡眠不足でせっかくの美貌がくすんだら大変でしょう」
 これはグウェンダルのところへ行く、と言ったから臍を曲げている。無意識だったとはいえしくじった。椅子に戻ると、コンラートはもう一度気を取り直すように息をついて箱を手にする。
 やっぱりプレゼントなんだろうな…このタイミングであれはやっぱり拙いよなぁ…こいつもいい年して結構大人げないからな――。
「どうぞ」
 座すユーリの高さにあわせるように片膝ついて、小箱を手渡す。
「ありがとう――いくつになっても嬉しいもんだな。あんたにプレゼント貰うって」
 ちょっと機嫌をとってみたり――いや、本当だし。
 蓋をあけると何の装飾もない銀の指輪が入っていた。一級盛装の折に王冠を被ることはあっても、めったに宝飾品を身につけないので。こういったものを贈られるのは初めてだった。
 それにこれは…。
「ありがとう」
 指輪から目をあげて礼を言う。コンラートは窺わせない表情でじっと見ている。
 やっぱりそういう意味なんだろう。
 照れくさい。
 地球ではスタンダードな記号だけれど。この世界でこの意味を知る者は二人だけ――いや、大賢者と三人か…。
 誰も知らなくても、二人の関係を誇示する存在は照れくさくて、だけどどこか誇らしい。
 華奢な指輪を取って、たがわず左の薬指にはめてみる。
 だが。
「…大きいよ」
 こういうことに抜かりない男がする過ちとは思えない。
 ひょっとして意味が違ったのか? 血の気が引いて、倍になって戻ってくる。――フ、フライング?…なんか、えらく恥ずかしいことをシテしまった…?
 慌てて抜いて、親指に。
 ――ぴったり。やっちまった。恥ずかしくて顔が上げられない。
 押し殺した笑い声にそうっと恨みがましい目を向けると、すいません、とコンラートが親指の指輪を抜き去った。それをユーリの手に載せて、自分の左手を差し出す。
「俺にしてください――もちろん薬指に」
 はぁ? おれへのプレゼントじゃないのか?
 戸惑いつつもコンラートの指にはめる。当たり前だがぴったりだ。
「俺はあなたのものですから――これは枷です」
 見上げてくるコンラートの目は真摯なのにそれだけではなくって。
 おれがいくら年を重ねて大人になって、それなりに王様業がこなせるようになっても……勝てないなぁ。
 にしても。ひょっとしてもしかしてこれは――く、首輪、みたいなものなのデスカ…?!

 翌日、真っ先に魔王陛下がしたことは、宰相との打ち合わせでもなく、十貴族会議の召集でもなかった。
 宝飾職人を呼んで指輪を作らせること。
「これとまったく同じ意匠で。おれの左薬指のサイズで。え?これ銀じゃないの?プラチナ?」
 庶出の魔王陛下は、いまだ宝飾品には詳しくない。


End


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