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時は金なり

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 今日みたいな日はこれも暑いな、と用意された上着に袖を通しつつ。ユーリは一足早い夏の日差しがきらきらしている外を見遣った。
 もっと薄い生地の物はもう10日しないと適わないらしい。それが約束事だと、教えられてはいるけれど季節の変わり目には何かと不具合だ。
 ただ、これから対面するのはそういうことにも煩いので、ここは我慢しておくに越したことはない。
 十貴族からは外れているが下手なそれよりも影響力を持つ、政界の長老が相手だ。かれこれ百年も前、ユーリが魔王に就いた当初からお爺ちゃんだったが、今も元気に 貴族たちを影から牛耳っていらっしゃる。
 ありがたいことにユーリを孫のように――と諸手を挙げてしまうには些か隔たりがあるが、まぁそこそこ可愛がってくれているのだが。それでもなかなか。油断のならない相手ではある。
 大層厄介で怖い人だけれど、それでもユーリは嫌いではない。死ぬほど深読みを要求されるが、彼とのやりとりや上品な物腰が好きだ。会うのが楽しみ、よりは億劫が勝ってしまうけれど。

 使いが来たのはその身支度をしている時だった。なので差し出された書状に、腰を悪くして動けないので、恐れ多いながら今日は参じること叶わず、と記されているのを見て、まずはほっとしてしまったのが正直なところだ。
 卿も年が年なので、その日の体調で予定が左右されるのはままあることだ。でもってそれが本当なのか詐称なのかを考えてみる。今日、急に自分と会うことを取りやめるような何かが起こったのか、否か。大詰めを迎えている新法案のことやら、某件の予算折衝のことやら――ひととおり思いめぐらせても、これかと至るものがなく判断がつきかねない。取り敢えず、使者に了承と見舞いの旨を伝えて帰した。
 従者を呼んで王佐に会談が中止になったことと、見舞いの品を手配してするように言付ける。これでギュンターが何か動きはなかったか、水面下を探ってくれるだろう。
 で。
 ずっと傍らにつき従っていた護衛を振り返った。
「時間が空いた」
「ですね――お茶でもお持ちしましょうか」
 コンラートはいつも違わぬ笑みで言う。だが、それが何だかユーリには不服だった。
 予定されていた緊張を強いられる会談が急に取り止めになって、随分ユーリは清々しい気持ちになっていた。
 緊張の反動で浮き立っているユーリと、いつもと同じコンラート。その温度差が、歯がゆい。
「今日は暑いですから何か冷たい物の方が――」
 返事が返ってこないのにコンラートはどうしました、と首をかしげる。
 ずいぶん幼い仕草をしている、と自覚しながらユーリは口を尖らせた。
「折角、時間が空いたんだしさ。こんないい天気なんだし、さ」
「でも中庭でキャッチボールなんてしてたら、グウェンに見つかって執務室に引っ張り込まれちゃいますよ」
 それは困る。何のためにグウェンダルにではなくギュンターに伝えたのか。
「次の会議ブッチして城下でも行ってみるかなー」
 これは言ってみただけ、というのがばれているらしくって黙って流された。
「うー、コンラッドぉ」
 日頃仕事に追われた生活をしていると、こう、ぽっと出来た時間の使い方が解らなくなって困る。これじゃあすっかり趣味は仕事、だ。――とんでもない。そんなのは宰相だけで十分だ。
 突き出した唇をふにっと指でつまんで嗜められた。
「そんな口になっちゃいますよ」
「にゃらないよ」
「まぁこれも愛らしいですけどね」
「愛らしいとか言うな」
 その抗議については笑って、尖らせた唇の先に口づけて誤魔化される。足をすくわれてひょいと抱えあげられた。そのまま軽々しく運ばれて。――ところで、こういうのもなんだか少し気に障るのだ。
 コンラートはユーリを膝に抱いたまま長椅子に掛ける。
「じゃあこうやってゆっくりしていましょう。それとも、俺と一緒では御不満ですか」
 そう言われてしまうと返せないことがわかっていて言う。
「起こしますから、少し眠ったら」
 慣れ親しんだコンラートの匂いと温度と、ゆっくり髪を撫でる仕草に、過労気味の身体はうっかりくったりしそうになるけれど。
「違うっ」
 寝かしつけようとしてくる腕にしがみついた。
「なんか、こう、有意義な――」
 ユーリの脳裏に浮かんだアイディアを、その表情で察したらしい聡い恋人は首を横に振った。
「お疲れでしょう。会議中に居眠りしたら困るでしょう」
「やだ」
 引き寄せた、首筋にわざと息を吹きかける。
「ねえ」
 ひんやりした耳たぶを舐めて、キスの時のように舌を絡めるけれど。
「駄目です」
 本当に駄目な調子で言うから、再びユーリの口はアヒルのようになる。
 今度は、不確かな物足りなさ、でなく、もっとはっきり不服を訴えている。
「だからおよしなさいって言ってるでしょう」
 こっちももうちょっと強くつねられた。
「あなたは如何にもセックスしてきました、って顔をして会議に出るおつもりですか」
 は?
 幾分きつい口調で言われたことはユーリが思いもかけなかったもので。面食らう。
「な、なんだよそれ」
 適当なこと言ってんじゃねーよ。反論するとコンラートは至極真面目な顔で適当なんかじゃありません、と言った。
「あなたは普通にしていても持って生まれたというか、まぁ、多少なりとも俺が影響したことも否めないですが――強烈にセックスアピールするんです。それは、あなたもわかっているでしょう?」
 あぁ、まぁ。わかっていて、それを十分利用させてもらっている。
 もっとも、こんな野郎に一体何を感じるのか。この世界の皆さんのツボは未だに良くわからないが。
「それでも通常は、あなただって普通に仕事に集中なさっているし、まわりもある程度慣れているから今更戸惑いも起きないでしょうが」
 ちろ、と流されたコンラート視線が、それこそ、強烈な艶を含んだ。
「ユーリは事後の自分がどんなカオをしているのか知っていますか?」
 …し、知りませんです――大層だらしのないことになっているだろう、としか。
 むしろそれを口にする、今のあんたの方がずっと拙いんじゃあないか、と反論したかったが、コンラートの目があんまりで。耐えきれなくなって下を向いた。そのつむじに、深ぁい溜息が落とされた。
 そんなにもずいぶんに卑猥なのですか…それは本当に…面目ありません…。が。
 でも。
「そ、そんなの信じられない。なんだよ、あんたおれとしたくないだけじゃないのか」
 尻尾を巻いて逃げだしそうな気持を奮い立たせた。きっ、と見つめた目の前の。コンラートはさっきまでの色をさっさと拭い去って、その下から現れたのは憂い顔。
「そんな訳ないです」
 ユーリを抱きかかえていたコンラートの腕に、痛いほどの力が籠められる。
「だけどそれより。あんなあなたを、俺以外に見せるのが嫌なんです」
 最後に出たそれが。その口調から一番彼の本音なんだとわかって、ユーリは抵抗を止めた。
「綺麗で、麗しくって、触れたら壊れそうなくらい繊細で――だけどこの手で壊してみたくも…」
 だけどそんなの思ってんのって、多分あんただけだぞ。惚れた欲目ってか、女房妬くほど亭主もてずってな。これは、心の中だけ。
 それで納得はしたけれど。すっかりその気になっていたユーリはそれだけではなかなか宥まらない。のだ。
 ここまで言い切っているコンラートが今更決心を変えるとは思えないけれど。
 でも。
 身動きできない拘束のまま、ユーリは目の前の耳に囁く。
「けど、おれ、したい」
「寝て下さい。寝たら収まりますから」
「無理」
「無理じゃないです――子守唄、歌います?」
「馬鹿、あんなん聴いたらもっとダメだろうが」

 唇に良く知る心地と、囁く息が触れて。ふっと意識が浮かび上がった。
「そろそろ時間ですよ」
「――っ」
 綺麗な微笑みが視界を埋めている。目覚めとしてはこの上ない、はずだが。
「寝ちまったのか、おれ、ホントにっ?!」
「ここのところ忙しくしてらしたから。やっぱりお疲れだったんですよ」
 有り得ない。全く有り得ない。
 襟首締め上げた相手は、だから言ったでしょう?と、空々しいまでの笑みを浮かべている。というより、きっとわざとだ。
 折角手に入れた自由時間を、寝て過ごしてしまった後悔。コンラートとイイコトして過ごすつもりだったのに、大人しく言いなりになってしまった悔しさ。
 ぷるぷる震えるユーリの手を、コンラートはそっと外させた。
「さ、陛下、会議の時間ですよ」

 でもって。
 その日会議室は大層居心地の悪い空気が支配した。
 誰も正面の席の魔王を見ようとはしない。ユーリの発言中でですら、出席者の視線は微妙に外されている。
 だがそれは魔王の護衛が危惧したように、情事の残り香が艶めかし過ぎるから、ではなく。――そのようなものが醸し出される事態は、彼の心配りによって免れたので。
「フォンヴォルテール卿、その件については前回決着がつけられただろう。今さら蒸し返す意味がわからない」
 いつにない強い口調の魔王に一同が首をすくめる。
「しかし陛下、カッシーラ卿からは…」
「卿には呑んでもらう」
 強気な発言に、ほぉ、とうっかり目を合わせてしまって、宰相は慌てて手元の書類に視線を落とした。悪寒のような震えが背中をぞくぞくさせる。
 眞魔国が現在戴く魔王は、眞王の再来ともいわれるカリスマと能力の持ち主で。その上そのみてくれと言ったら。国内外問わず隅々まで轟く程に麗しい。予備知識があっても実際ユーリを目にすれば、その美貌に呆けるのは初めて拝謁した者の辿る道で。毎日毎日顔を突き合わせて政務をこなしているグウェンダルですら、時々はっとすることがある。
 だが。今日のコレは。
 凄絶なまでの色香を纏って…それが猛烈に恐怖を喚起させるのだ。
 知らず滲む冷汗を拭って、「どういうことだ、この小僧の有様は」、と魔王の後ろに侍る弟に視線で問えば、何故か満足げ。
「まだ何かあるか」
 見咎めてユーリの叱責が飛んでくる。
「いえ、失礼した」
 やたらピリピリして。これではまるで欲求不満の――とグウェンダルは心の中で悪態をついて。はっとした。
 もう一度、こっそり弟を伺えば、どうとも取らせない薄い笑みを浮かべているが。
 なんだか知らんが他所に迷惑かけんようにやってくれ、と。兄は弟に懇願したくなった。
 その日の会議が驚異的なスピードでサクサク案件を捌いて、とっとと閉会したのは幸いだったが。
 こんな魂を擦り減らされるような会議はもう嫌だと、それは出席者達――ごく一部を除く――全員の感想だった。


End


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