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君君たり臣臣たり

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 自分がまだまだ半人前で、ましてや魔王なんて言ったって、用意された書類にサインして、公式の場で尤もらしい顔して座しているってだけで。担当官のレクチャー受けたところで内容を計ることさえ出来ないで丸飲みするだけで精一杯。何ひとつ自分で判断なんてできないのに、野望だけは大きかったりする。
 戦争のない世界に――それが半世紀以上も前に武力行使を放棄した国から来た、徹底して戦争は罪悪だと教育されてきた自分の責務だと思っているから。
 何よりも、こんな魔王を一生懸命支えてくれている人たちを見ていると。彼等は先の戦争でたくさんの仲間や部下を失くしていて。誰よりも憎んだっていいのに、同時に施政者側として武力を行使することの有効性を知っているから、それも出来なくて。
 『戦争』に罪を押しつけることも出来ない立場の彼らはより深く傷つく。
 俺しかいないだろう。この世界で、何もわかっちゃいない子供のままで、戦争は絶対駄目だ、なんて叫ぶことが出来るのは。



 とある貴族の非公式のという、けれど公務には変わりないお茶に招かれた。
 おれ相手に腹芸したって通じないのが解ってないのかどうだか。だけどこれがスケジュールに組み込まれているということは、おれは黙って出席しなくちゃならない。もうそのあたりの有力貴族との駆け引きは、情けないけど宰相と王佐に丸投げだ。
 言われるままその屋敷に赴き、「本日はお招きありがとう」だとか言って。
 午後の柔らかな日が差し込む部屋は、屋敷の割にこじんまりしていて、華美な装飾は一切なく、ちょっと意外な感じがした。この辺が『非公式』なんだろうか。
 でもこの優美な曲線でできた椅子も、その隅の飾棚も絶対ビックリする位高価なんだと感じるのは、王様生活二年目の勘だ。
 部屋に合った小さなテーブルを挟んで屋敷の主人カッシーラー卿と向かい合う。
 おれの後ろにはいつもの護衛。だけどコンラッドはSPらしく静かな表情ですっかり気配を殺して。結いあげた金髪の遅れ毛がチャーミングなメイドさんもお茶とお菓子を運んだ後はさっさと下がってしまう。
 ギュンターもグウェンダルも抜きでおれ一人が招かれていると聞いた時は、なんだか難しいこと言われたり、厄介な言質を取られたりするんじゃないかかなりビビったけれど。この状況で落ち着いていられるのは目の前の相手が柔和な目をした小柄な爺さんだったことと、妙に和むこじんまりした部屋のせいだと思う。血盟城の中はたとえ個人の私室だって、高い天井だとか格式ばったディテールだとかフォーマルな感じが抜けきらない。質素に見えるけれど温かなこの部屋はなんだか気が抜ける。
 勧められるままにお茶やらお菓子を戴いて。爺さんとフツーの茶飲み話としか思えない会話を続けて。だけど相手はさすが生粋のハイソサエティ。話題は豊富で話し方にも品があって、それでいてまるで庶民なおれに無駄に気を使わせることもない絶妙なもてなしをしてくれる。
 さすがは上級貴族ともなるとあからさまな陳情とかしないんだー。それともナニか、おれみたいなへなちょこ魔王に頼むことなんてないんか…。確かにおれよか全然権力ありそうだもんな。なんて、これ見よがしではないが何気に王宮のものより値打ちがありそうなティーカップに口をつけながらこっそり思う。
「そういえばヴォルテールの坊ちゃんが…」
 爺さんの言葉が控え目なノックに遮られる。盆を捧げ持ったメイドさんが入ってくる。今度は赤毛のお姉さんで、絶対ここはメイドさんを顔で選んでいると確信する。盆の上は工芸品みたいな凝った細工のケーキだ。
「チョコレート?」
 問いかけて爺さんの顔を見たら、穏やかな眉がわずかに顰められていて、何か不作法したのかと慌てたら――メイドさんがそれまでの優雅な所作とは違う動きでナプキンの下のケーキサーバーを引き抜いて。なんか刃がついている――白い波型の文様にそう思うより早く、コンラッドが前へ出た。鯉口を切る音と鋭い金属音と身体がぶつかり合う音と陶器が砕け散る音がいっぺんにする。
 目に入るのはカーキ色の軍服の背。向こうに腰を浮かせ呆然とする爺さん。メイドさんが崩れる。テーブルに寄りかかるようにして、そのままクロスを引き摺りこんで落ちる。雪崩のようにティーセットが落下して壊れる音は、ずいぶん遠くで鳴っているように聞こえた。
 鼻が慣れた紅茶の芳香と鉄錆びの臭い。
 隣室で待機していた近衛兵たちが飛び込んできて、陛下をお連れしろ、と振り向きもせずにコンラッドは指示して。
 半ば抱えられるように退出させられる。なぜかフワフワ、足が地についていないような気がするのが奇妙だった。そのまますぐに馬車に乗せられて。来るときはコンラッドだった代わりに近衛の隊長さんが同乗して。
 なんであいつは今ここに居ないんだろう。
「すぐに戻られます、先に陛下をお帰ししろとのことですので」
 尋ねたらはぐらかす様な答えを返される。
「ケガとかしてないよね」
 瞼裏に残る立ち姿はとりわけどこかを庇っている様子ではなく、声も普通だった。だけどあいつは腕を失ったって立っているような奴だから――引きずられるように出てきた記憶に胃の腑がぎゅっと縮む。それは顔の強張りに出たようで、近衛隊長さんは「眞魔国の剣豪を馬鹿にしちゃいけません」と笑った。
 帰城するまでもその後も、なんだか被膜を被ったみたいに感覚が鈍くって。まわりがピリピリしているのが酷く気に障った。

 近衛隊長さんに付き添われて戻った執務室でグウェンダルとギュンターに事の顛末を説明し、刻々と入ってくるその後の報告を受ける。
 魔王陛下の暗殺未遂事件はごく秘密裏に、尚且つ迅速に捜査が手配され。
 案外早くに判明したのは、この事件がどうやら魔王を亡き者にするというより、その咎をカッシーラー卿にひっ被せて失脚させるのが目的らしいこと。その為にカッシーラー卿のもとには六年も前からあの赤毛のメイドさんが送り込まれ――その時点で現魔王の暗殺未遂まで予定されていたわけではないだろうけど――何か卿の足元を掬うネタはないかと狙っていたらしい。
 ただしそのメイドの本当の雇い主、この事件を画策したと思われる当人は証拠が上がることは期待できず、捕らえることは出来ないだろうと、だけどそれはカッシーラー卿の方でカタをつけるだろうと、はっきりは言わないけれどそんなことをグウェンダルは匂わせた。これは貴族間の権力闘争だからと。
 そしてそのカッシーラー卿当人は、いくら知らなかったといえども暗殺者を潜り込ませて、尚且つ陛下に刃を向けたとあっては責を負わないわけにはいかないと蟄居を申し出ている。
「でもそんなのあの爺さんのせいじゃないし」
 頭の中の右っ側は今もじーんと痺れたようなままで。左のデコの裏あたりでそんなふうにいつもを返している自分が居る。
「――と言うわけにもいかないのですが、本来は。幸い今回は非公式な場ですし、事件にしろ知っているのはごく一部。カッシーラー卿と我々、そして暗殺者を送り込んできた黒幕だけですしね」
「それにここでカッシーラー卿に貸しを作っておいて損はない。むしろこれを機にこちらに付かせれば――」
 そんな脅迫まがいのことまでしてシンパを増やさないとならないのかと少々げんなりする。
「そこまでして欲しい人物だ」
 グウェンが言って、ふと話の中で聞き流していた『ヴォルテールの坊ちゃん』が誰を指しているのか気付いてしまった。確かに大物なのかもしれない。
「そもそも今日の席も単純に陛下のお人柄を見極めたかったというのがカッシーラー卿の思惑ですし――親王派に付いて良いのかどうか」
「何? おれ、面接されてたのっ」

 そうこうしていると屋敷で別れたっきりのコンラッドが帰ってくる。左手のひらに軽い防御傷がある他は怪我もなく、全くいつもの様子で。
 で、青い顔をしているらしいのを心配されて、休む様に言われて部屋に戻ってきたけれど。
 自分はまだあの半日前からフワフワしっぱなしだ。瞼の裏のコンラッドの背中。茶器の割れる音。血臭――。
「気分が悪いなら横になりますか」
 いつも通りの声音に首を振る。殺されそうになったこともショックだったけど、実際刃物を向けられたわけだけれど、それはより現実味がなくって。それよりも。
 カーキ色の上着の袖をぎゅっと握りしめたなら、了解したようにその中に抱き込まれる。何も言わないままそっと背を撫ぜられて。いつものその安寧に宥められる一方で冷たい手で鷲掴みにされたような胸が痛い。
 コンラッドからは仄かに石鹸のいい匂いがした。
 本当は判っている。あの事件の場でコンラッドが一度もこっちを振り向かなかった訳。さっきも執務室で聞いた暗殺者の死亡を確認したという報告。テーブルクロスを巻き込んで崩れていった身体。
 コンラッドが剣豪と言われているのは知っているし、それが試合で優勝したからだとか、そんな決め方でないことくらい判っている。
 判っている筈なのに実際その場に出くわしてしまうと。人を一人殺せば人殺しだが、数千人殺せば英雄だなんてどっかで聞いたような言葉が浮かんで、恐ろしくってその胸に擦りついて、しがみつく手に力を込めた。
 背中で庇われ、守られて――それでこんなこと考えてる。
 むしろこんな感情は何も知らないからこそ持ってしまう。身勝手な嫌悪感こそ唾棄すべきものなんだろう。
 だからこんな汚い心の内なんて、決して知られるわけにはいかないと、強く思いながら、それでも怖くて怖くてしょうがない。カタカタ震える身体をずっと長い間抱きしめて貰って。
「死なないでくれ」
 かろうじて絞り出たのはそんな言葉で。
 命のやり取りをする様な場にこれ以上居させたくないと――ただただ混乱し恐れ慄く気持ちの中で、今、判るのはそれだけ。


End


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