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フォンヴォルテール卿の忘れ物

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 朝。いつものように起床して、半覚醒の状態でもできるいつもの身支度。
 いつもの習慣でクローゼットを開き、軍服の下に着こむ白いシャツに手を伸ばす。洗い替えに同じものが数枚吊るされている中から、考えるまでもなく一枚引っ張り出して羽織る。
 部屋の中を移動しながらボタンを順に掛けていって、なんとなく違和感を感じた。掛け違えたのかと確かめてみるが、貝を削って作られた小さなボタンは揃っている。
 カフスを止めようとして袖がもたつくのに気が付いた。改めて見れば身頃の中で身体が泳いでいるし、袖丈も手の甲に掛かるほど有る。
 まさか王宮の侍女が洗濯物を取り違えるはずがない。
 改めて袖口のボタンに目をやって、いっぺんに目が覚めるのを感じた。しかも最悪の目覚めだ。
 小さなボタンに彫り込まれた印(しるし)はフォンヴォルテール卿。どうして自分の寝室のクローゼットの中に兄のシャツが掛かっているのか。当代魔王陛下なら、おふくろが間違えてたまに勝利のシャツが混じってたりするんだよねー、で済ませるのかもしれないが、ここは地球の一般家庭ではない。わざと持ち込まない限りこんなことはありえない。
 腹が立つので乱暴に脱ぎ捨てたそれを、そのまま丸めて屑篭へ突っ込んだ。
 朝から不愉快だ。
 改めてもう一度クローゼットから取り出して、ついでに中に有るそれが全部自分のものか確かめた。
 幸い、というかなんというか、あれは一枚きりだった。たまたま今まで手に取ることがなくて気付かずにいたそれを、ついに今朝、ひいてしまったということか。
 国へ、この部屋に帰ってきて半月以上経った今朝になって。

 自分が居ない間、公私に渡ってユーリを支えていたのがグウェンダルだったことは、すでに知っている。
 それも自分が傷つけたユーリの心を思えば、吹き荒れる感情はともかく、理性ではやむを得ないことと理解した。はずだ。
 幾晩も眠ることができずに壊れそうになっていたユーリを、この部屋で眠らせていたのだと聞いた。俺の部屋で俺の面影を持つ人を傍らにして、ようやくユーリは眠ることができたのだと。
 俺が居ない間、ずっとここで寝起きしていたのだから着替えくらい置いていただろう。そしてシャツ一枚、引き上げ忘れた、と。判らないでもないが面白くないことには変わりがない。かと言ってそれを兄にぶつけるのも業腹で、今はとりあえず苛立ちを呑み込んで着替えを再開した。

 すっかり身支度を整えて、あるじを起こしに部屋を後にしようとして、やっぱり、と引き返した。先程屑篭につっこんだグウェンダルのシャツを拾い上げる。



 フォンヴォルテール卿グウェンダルはすぐ下の弟から忘れ物だと丁寧にたたまれたシャツを手渡された。どうしてこんなものを?と逡巡したが、思い当たる節がまったくないでもあって――少々戸惑いながらも礼を言った。
 自室で仕舞おうと広げて絶句する。
 その背中の部分にインクが黒々しい染みを作っていた。うっかりついた、ではなく、あきらかに上から振り掛けたであろうその染みだ。
 唖然として、だが、と思いなおす。刃物で切り裂かれていたりしていないだけマシかもしれない。
 国で1、2を争う剣豪からそんなものを渡されたら――あまりにも怖すぎるではないか。
 だけど念のために、暫くあいつに後ろを取られないようにしようと思うフォンヴォルテール卿。その政治手腕だけでなく武人としての評価も高い彼だが、だからこそ危機に対しても敏感だった。


End


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