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焼き餅焼くとて手を焼くな
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「まあ。コンラート様ったら」
華やいだ声が扉ごしに聞こえて、ユーリはノブを捻るのを躊躇った。
このまま出て行けば他愛無くも楽しげな、魔王の護衛と城勤めの侍女の立ち話に出くわすことになる。
別に不都合は何もない。護衛と侍女が交わしているのは単なる一般的な立ち話で有るはずだ。多少、彼女の声がウェラー卿と言葉を交わす興奮に上擦っていようが、それだけのことだ。
ただ、自分が姿を現した瞬間に落ちるだろう、気まずい沈黙を思い。ユーリはそのまま手を離して踵を返した。
自意識が過剰すぎるかも、なんて軽く息をついて。
魔王の想い人が誰かなんて、血盟城に居る者なら皆が知っている。
そして、そこにちょっかい掛けようなんて思う者は、まず、ない。あるのは余計な気まで、まわさせてしまうことくらい。
まさか世間話したくらいで不興を買うとか有り得ないし――そんな風に口の中で零しながら、なんとなく納まりのつかない胸の内。
年の瀬の日は随分と短くて、昼を過ぎればすぐに黄昏の気配を漂わせ始める。暗くなる前に城に戻るにはそろそろ帰途につかなければならないので、最後にと温めたワインを買い求めることにした。
広場のベンチにコンラートを残して露店へと足を向ける。スパイスの香りが冷たくなった鼻先をくすぐる。
熱いから気をつけて、と渡されたカップを両手に提げて振り返れば、いつの間にやらコンラートの隣に見ず知らずの女性が居た。
…ったく油断も隙もない。いや、隙がありすぎるのか。
女性を引き寄せる何かが発せられているのか、はたまた女性からも声の掛けやすそうな雰囲気を漂わせているのか――とにかく奴は一人にしておくと碌でもない。
さいわい、ユーリが戻る前に女性はコンラートの笑顔に見送られて立ち去ったが。でなきゃ思いっきり追っ払ってしまうところだった。
と、鼻息荒く隣に腰を下ろす。ワインがカップの中で跳ねてこぼれそうになった。おっと。
「何、それ」
コンラートの手には焼き菓子があった。
「評判の菓子だそうですよ」
「ふーん」
きっとまだご婦人はこっちを伺っている筈だった。コンラートはちらりとも見ようとはしないし、ユーリも顔を向けなかったけれども。
「食べます?」
頷くとそれを二つに割った。
片方を差し出されたけれども、ユーリは未だにカップで両手を塞いでいた。
ちろりと見上げれば、コンラートの目が困ったような嬉しがるような風に弛む。
口元に寄せられたのに齧りつけば、ふわりと砂糖が舌の上で溶ける。胸の奥から湧いて出たくすくす笑いは、きっと甘いもののせいだ。
食べさせてもらって空いた手にカップを渡して、コンラートの肩にもたれかかってワインを一口。温めたアルコールとスパイスの香りが喉を降りて行く。浮かれた気持ちは酒のせい?
「ご機嫌ですね」
コンラートも不思議に思ったらしくてそんな風にからかいながらも、難しい顔で菓子を口にした。
あ、いや、それに変なもんは入ってないと思うぞ。
でも、じゃあ、なんで――と考えたら。どうやら自分は誰はばかることなくじゃれついているこの状況が楽しいらしい。
バカップルかよ。心の中で突っ込みながら、頬を弛めたままカップの中身を舐める。
浮かれた気持ちと一緒に味わう甘くてクセのある香り。
なんだ。素直に焼餅をやいて。でもって、これは俺んのだぞって、大声で言い張りたかっただけか。
もっともそんなことを城の中ですれば、四方八方から「知ってるし」としらけた視線を喰らうこと必至だろうけれど。
手が伸びてきて、コンラートの親指が口の端を擦っていった。そのまま自分の口元へ持っていくところを見れば、菓子がついていたらしい。
「さて。行こうか」
「ええ」
結局、一度も振り返ることがなかったのは――さすがに恥ずかしくて。
End
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