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酔いどれ陛下

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 後輩のヘレーナの遅刻のせいで、カミラは目の回りそうな忙しさだった。
 あの子は恋人が変わるたびにこうだ。仕事も忘れてすっかり彼のことしか見えなくなってしまう。
 近所の子供を捕まえて使いにやったが、叩き起こして支度を整え、店に出てくるまでに小一時間はかかるだろう。
 うっとおしく顔にかかる髪を掻き上げる。結い上げた髪のひと房が落ちてくるのを直す暇すらない。カミラは笑顔を作りなおすと、呼ばれたテーブルへと向かった。
 追われるように注文を聞き、酒を運び、酔客をあしらう。ひたすら愛想を振り撒いて。
 そんな具合だったせいで、黙ってカウンターの席に座った若い男のことなど気にも留めていなかったのだ。
 だからかなり経ってからだ。店はピークを過ぎて。大遅刻のヘレーナも出てきて。彼女の奢りで乾いた喉を潤していて、隣の男の綺麗な顔に気が付いた。
 あら、と横目で伺って息を飲むくらいに驚いた。ちょっとない程の美形だったのだ。給仕を必要としていなかったからといえども、どうして今まで見過ごしていたのか。
 視線を感じたのか男はこちらを向いた。
「忙しそうだね」
 酔いが回っているせいか、少し甘い呂律がひどく色っぽい。とろりと溶け落ちそうな表情も。
 だけど酔ってもどこか硬質で透明な雰囲気がこの若い男が玄人でないことを知らせていた。
 それにこの辺りでは初めて見る顔だ。こんな美しい男、一度見たら忘れっこない。
「御免なさいね。ほったらかしにしちゃって」
「んー、いいよぅ。おれ一人でも平気だから」
 そう笑みを深めて杯を空ける。
「まぁ。寂しいことを言わないで?」
 カミラは空になった杯に同じものを注文した。
「お詫びに御馳走させてちょうだいな」
「もう結構回ってんだけどなぁ」
 そんな風に表情を崩しながらも男は礼を述べて杯をかざした。
「あら、そうなの? あまりそんな風には見えないわ。お酒、強いでしょう?」
 ちょっぴりの嘘。声をかけるまでにこの男がどれほど飲んでいたのかなんて知らない。ただ。
「んーそうでもないよぅ。かなり眠くなってきてるし」
「なら二階で寝て行けばいいわ。空いている部屋があるし」
 たまにはこういう楽しみもなくっちゃね。今夜はもう十分働いた。あとはヘレーナ一人でも十分でしょ。
 ご褒美を貰った気分で男の綺麗な顔を覗き込む。
 酔いに潤んだ目で男が悪戯っぽく微笑んで、そんな表情も堪らなく可愛い。

□ □ □

 ああ、もう無理だ、と隅の席を立って割り込んだ。城に伝令は遣ってあったが間に合わない。
「ありゃ、班長さん出てきていいのぉ?」
 陛下がぼやっとこちらを見上げる。
 影供といえども護衛は護衛。いま出てこなければいつ出ると言うのだっ。
 ちなみに陛下も含めて同僚衛兵達が使う『班長』という呼び名は役職ではない。男ばかり5人もの兄弟の長子という生まれで培われてしまった、良く言えば面倒見の良さ――つい仕切ってしまう性格のせいで付けられた単なるあだ名である。が、そんなことは今はどうでもいい。
 何アンタ、と雄弁に視線で告げている女に。
「あー、私はこの方の奥方の兄の従兄弟の同級生の斜向かいの者だ」
「えー、班長さんってあいつとそんな関係だったのー?」
 …なわけないでしょう…。
 何はともあれ。無粋だろうが何だろうが、ここは見過ごすわけにはいかないのだ。
「その…誤解を招くような行いは奥方が悲しまれますよ」
 きっと悲しむだけじゃなくて影供達の首も飛ぶ。
 実は結構必死なこちらの内情に気付きもせずに、陛下はふふふ、と嬉しそうにお笑いになった。
「んー、そだなー、おれの奥さん泣いちゃうよねー」
 そして女の顔に落ちかかる髪を掬いあげて撫でつけて。
「そんなわけでー。ごめんね」
 この方に至近距離から見つめられて、歯向える者などまず居ない。もちろん女も釣られてこっくり頷いた。拍子にまた髪が滑り落ちた。
「ありゃ」
 陛下は何かを探すかのように辺りに目をやって、カウンターの端に飾られていた花に手を伸ばした。
 小ぶりなのを一輪手折って。先程から垂れかかる髪の一束にからめると、くるくると巻き付けて結い上げたところに差し込む。
 そうやって固定されたのを確かめて満足そうに微笑まれると、呆然とされるがままだった女の頬にさっと朱が散った。
 見ている方が気恥ずかしくなって、まったく痒くなる。
 こういうのが自然に出来てしまうのも…やはりあの方の影響なのだろうなぁ。少々呆れ、いや。
 カランコロンと鐘の音とともに扉が開いた。そちらに目をやった陛下のお顔がふにょっと。
「あ。見つかっちゃった」
 入って来た客に思い至って振り返れば、案の定の――。

□ □ □

「ほらぁしっかり歩いて下さいよぅ」
 ぼっちゃんが「いま馬車乗ったら吐く」と申告した為に、班長と二人がかりで肩を貸して夜道を行く。
「飲みすぎでしょうが」
「るさいーヨザックが迎えに来るのが遅いんだろー」
「はぁ? こっちは国外任務から帰って来たばっかりだっつーのに。ったくこの酔っ払いが」
 報告に行った宰相の所に丁度、「迎えに来てもらえないでしょうか」と泣き――じゃなくて報告が入って、そのまま出張って来たのだ。
「おれはぁ酔っ払ってなんかぁ…」
 不毛な応酬になりそうな話題を変えるように班長が声を上げた。
「そうそう、陛…ぼっちゃん、さっきのは器用でしたよねー」
 何のことだ?と坊ちゃん越しに伺うと、班長は「こう、クルクルっと」と、短い髪を空いた方の指に巻き付けてねじり上げた。
「飾ってあった花を折ってね、女の髪を結い上げちゃったんですよ」
 は? 何やってんですかこの人は。思わず胡散臭い目を向けてしまった。
 夫婦ってのは似てくる物らしいが。ああ、いや…そういえば。
「ぼっちゃんも昔、髪が長かった時によくそういうのしてましたよね?」
 連行中の酔っ払いはああん?と心もとない返事をした。
 思い出した。夏場に執務室なんかにお邪魔すると、そこに集うのが身内だけなのをいいことに、高貴な黒髪を無造作に纏め上げていることがあった。
 ただし、その場合のかんざし代わりは
「花なんかじゃなくて筆記具だったけど」
 危うい呂律が補足する。
「あー、でもあれー、ガラスのペン軸折っちゃってから禁止になったんだよぉ」
「そういえば陛…ぼっちゃんも長く伸ばしてらっしゃいましたよね。もうああいうのはなさらないんですか?」
 あれはあれでハマり過ぎてて凄いもんがあった。
「だってー、洗うの面倒くさいもんー」
 見た目を裏切ってこういうお人だが。
「そんなの、あいつが嬉々としてやってくれるじゃ…」
 思わず続けて、はっと気付いて飲み込んだ。
 重苦しい沈黙が落ちる。
「…あーあ」
 班長が非難の声を上げる。うるさいよ。
 ったくぼっちゃんだって。自力で歩くことを放棄した酔っ払いを抱えなおす。
「もおっ、しっかりして下さいよ。たった三週間でしょうが!」
 そう、あの男は現在、辺境視察に出掛けて留守なのだが。
 三週間程度でどうしてここまでぐだぐだになれるのか。
「グリエ殿、それを言っちゃあ…」
「だいたい、あの男のことだから周りの迷惑も省みずに巻いてきて」
「あぁ、そろそろ帰ってきちゃいそうですよね」
 引き取った班長の言葉に、酔っ払いが落としていた頭をむっくり上げる。
「ホント!帰ってくるの?帰ってくるのコンラッド?!いつ?明日?明日帰ってくるの?!」
 うんざりと夜更けの空を見上げた。
「なぁ、班長。…黙らせてもいいかな」
「えっと…流石にそれは…」
「ねぇ明日ー?」
 満天の星が広がっている。あぁ明日も良い天気になりそうだ。


End


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