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四つ葉のクローバー

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 こんなことになるなんて考えもしなかったんです――と、コンラートは言った。
「険しい道を歩ませることになるのは、わかっていたんですけどね。俺が…だから、俺は出来る限りあなたの支えになりお守りしようと思っていた。それでいいと思っていたんです」
 秋晴れの高い空。明るい窓の方からこちらへ向き直った気配で、ユーリは狸寝入りの目を開けた。
 ユーリが思っていたほどコンラートの表情は暗くはなくて、いっそ静かだった。
 いよいよまずい。彼の常にない様子にユーリは寝台の中でこっそり溜息。
 何やら自責の念に囚われて、反省の穴掘りを始めたらしいけれど。あんまり深くまで掘っちゃうと自分で出て来れなくなるぞー。こっちだって病気療養中の身なんだし、助けてやんないぞー。
 もっとわかりやすく落ち込んでいたり、拗ねていれば、そんなことはないと甘やかしてやればいいんだけど。これはもうそんな安易なフォローなんて求めていない顔だ。
「あなたを我らの王にと望んだのは俺なのにね」
 寂しげに落とされた声に、ユーリはそこかよっ!と心の中で突っ込んだ。

 ずっと鳩尾の横らへんが痛いのは気にはなっていたが、四六時中痛いわけでもなく、なんとなくそのままにしてしまっていた。
 取引材料に使ってコンラートを半月余りカーベルニコフに貸し出していたせいもあったかもしれない。目敏いあいつが一緒だったら、時々そこを押さえる仕草に気付かれていただろうから。そう、押さえていると痛みは引くのだ。
 それまで健康優良児で通っていたものだから、それが胃の痛みだなんて思いもしなかった。
 何かと忙しくしていて生活が不規則になっていたのも駄目だったんだろう。頭の痛い問題を常に二、三抱えているのは日常だけど、いつもに増してそれが悩ましく感じられて、もっとタフにならないとなぁと脆弱な自分にも嫌気が差していた。
 そんなこんなで、より一層仕事にのめり込んでいたというのもある。空回りとも言うんだろうけどな。
 コンラートが帰って来て三日程は、彼は彼で留守中の雑事の処理に追われ、ユーリはユーリで立て込んでいて。
 ようやく明日からあなたの護衛に戻れますよと報告に来たコンラートの前で血を吐いて倒れマシタ。何しろ初めての経験で驚きマシタ。いや、血を吹いて倒れる人は日常的に見慣れてたけど。
 自分もびっくりしたけど、コンラートもショックだったろうなぁ。何しろおれ、健康だけが取り柄だから。

「おれが自分で決めたんだ。魔王になるって決めたのは、おれ」
 そこはあんたが気に病むとこじゃないだろうが。
 きつい言い方をすれば、ユーリが魔王に立つきっかけを作ったのはコンラートだけれど、今じゃ彼は魔王の護衛に過ぎないのだ。血を吐くほど職務に追われたって、そこにコンラートは関係ない。
「だいたい魔王じゃなきゃ、普通の純血種の人間で魔王の魂の持主なんかじゃなかったら、おれはあんたに会えなかった。会わなかった、じゃないよ。『会えなかった』。おれはあんたに会えて、そんで今もこうしていることに喜びを感じてんの。大丈夫? ちゃんとわかってる?」
 くどいくらいに念押しすれば、コンラートはちょっと笑って頷いた。
 本当にわかってんのか?と口の端を曲げたら、手が伸びてきて親指がそこを擦った。身を屈めて上唇と下唇を順に食んでみせる。
 「くすりくさい」とコンラートが唇の隙間で小さく笑う。
 それはそうだろう。とても良く効きそうな薬湯をせっせと飲まされているから。
 キスを受けながら、だけどしばらくは要注意だな、と考える。面倒…いや、そもそも、自分の健康管理を怠ったせいだよなー、とあきらめることにする。
 ユーリはれっきとした成人男子で、身体の不調は誰のせいでもなく間違いなく自分のせいだ。なのにこいつはそんなことまで自分に責があるように思いつめてしまう。わざわざ見当違いの、古ーいカビの生えたような理由まで引っ張り出して。
 ユーリはそんなコンラートを馬鹿だなと思う。
 馬鹿で、傲慢だ。別にユーリはコンラートが全てで生きているわけじゃないのに。胃を悪くしたのだって、不摂生が祟っただけだ。
 まったく、馬鹿で傲慢で愚かだなぁあんたは――と、とてもいとおしく思う。



 口が曲がりそうに苦い薬湯が効いたのか、もとよりおれに胃潰瘍なんてのが何かの間違いだったのか。おれは驚異的な回復を見せた。
 いつまでも寝てばかりいるのもなんだしと、お腹に優しい食事が取れるようになると、仕事も少しずつ再開した。
 その日は午前中に謁見を済ませて、午後には休みを貰った。身体を慣らしがてら、久しぶりに遠乗りに行くことにした。といってもすぐ近くだ。ゆっくり駆けさせても一時間もかからない。
 小高い丘の、やわらかな草が生えた辺りで馬たちを放してやった。コンラートが腰を下ろした隣で座ってみたけれど、やっぱりごろんと転がる。
 まずいなぁ、ずいぶんと身体が鈍ってる。だけどちょうどいい位置の膝に載せた頭を撫でる手が心地よくって、まぁいいか。
 空が高い。薄い水色の空に、刷毛で掃いたような雲がゆっくり流れていく。おれだけこんなまったりしちゃって悪いなぁと、城にいる人達に申し訳なく思う。そんな風に機嫌良く視線を移すと、コンラートは随分と遠い目でユーリを見ていた。
「何考えてんの。難しい顔して」
 返事は髪を撫でていた手を滑らせてユーリの目を塞ぐことだった。
「あなたをこんなにも好きになるなんて、予想外だったんだよ」
「そういう甘い言葉はちゃんと目を見て言えよ」
 ユーリの苦言にくすくす笑うけれど、温かな闇が退けられる気配はなかった。
「あなたが単なる魔王なら、俺は忠誠を誓っているだけでよかった。誠心誠意あなたにお仕えするだけで良かったのにね」
 手を伸ばして彷徨わせて、髪を掠めて、コンラートの頬を探し当てた。彼の空いた手がその上からきゅっと握り込む。それは外させるよりは縋りつくように。
「だけど俺は、あなたに幸せになって貰いたくなったんです。くだらない、平凡な幸せを渡してやりたくね。――偉大な王として歴史に名を残すことよりも、あなたにささやかな沢山の幸せを手にして貰いたかった」
「馬鹿だなぁ」
 本当に、あんたは。
「なんでおれが幸せじゃないなんて思うんだよ」
 取られた手にまた力が入った。何、その不憫な子、みたいな反応は。
 ユーリは手を取り戻し、目隠しも振り払ってコンラートの膝枕から抜け出した。そのまま下って馬たちが草を食む辺りまで来ると、彼らが好んで食べているやわらかな葉っぱをぶちぶちむしり取った。それを両手に掴んで再びコンラートの処に戻る。
 意図が掴めないコンラートは、戸惑ったように差し出された草とユーリを交互に眺めた。
 雑に掴んでちぎってきたせいでよれているけれど、葉っぱは小さなハート型がみっつ合わさった形をしていた。
「あんたが思い込んでる幸せっていうのがどんな形をしてるのかなんて知らないけどな、ちゃんと見ろよ。おれはあんたとこうやって居れて、すげぇ幸せ。それじゃ駄目なのか?」
 ほら、と突き付ける。
「絶対四つ葉じゃないとダメ? みっつでも味は変わんないぞ?」
 しかもたった一本の四つ葉じゃなくて、三つ葉だけど山盛りだ。これだけあったら、もしかしたらコンラートが拘るのだって混じってるかもしれない。
「…食べるんですか?」
 本当に困った顔をしたのがおかしくて、ユーリは両手の葉っぱを宙に放り投げた。
 ほら、おれたちに幸せが降り注ぐ。
 頭から被った草切れをあちこちに纏わせながら、病を得たユーリよりもずっとダメージを負ってしまったらしい、馬鹿なコンラートを抱き締める。早く元気になろうなと、願いをこめて。

End


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