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利己で刹那で観念的

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 指輪の裏に迷子札のような刻印をしてもらえまいかと尋ねてみたら、宝飾店の若い女主人は真ん丸く目を開いた。瞬きを忘れて固まっているから、案外に可愛らしい様子にふっと笑って見せると、へにゃっと腰が抜ける。崩れそうになるところを、素早くコンラッドが腕を差し伸べて留めた。
 彼女はパクパク声の出ないまま口を開閉させて、自分を支える手の、薬指に嵌った細い指輪を見た。支える男の顔を見上げ、正面に掛ける自分を見て――息だか唾だかわからない諸々を飲み下した。
 血盟城勤めの侍女たちが、競って始めた、左薬指の指輪を贈り合う流行。商売柄その流行の本当の火付け役が誰なのかも聞き及んでいたんだろう。
 自分が来店した目的もまだ告げてはいなかったのに――まぁ、それっぽいやり取りはコンラートとしたけれど――自分の素性とコンラートの素性と、目的が指輪の注文だと一緒くたで理解されると。
 城内では知らぬ者はない二人の仲だけど。二人でいる時に向けられる視線が妙に微笑ましげであったりするのも慣れっこだけど。改めてああいう反応は――。
 ユーリは火照った頬をひんやりしたシーツに擦り付ける。
 昼間の出来事を思い返していたら、そんなこそばゆいのまで出てきて。気恥ずかしいんだけど自慢したいような…――コンラートと付き合い始めた頃のような初々しい気持ちになる。
 胸の上に手を置いたらその鼓動の早さに、戸惑いはより大きくなった。ますます血が昇る頬の熱を寝具に吸わせながら、意識すれば浴室の水音に鼓動は苦しいまでになって。
 執務の段取りをつけて出掛けた自分と違って、すべてを放り出して追いかけてきたコンラートは、その後始末のためにこんな時間まで仕事に拘束されていた。
「遅くまで御苦労さん」
 濡れた髪をぬぐいつつ出てきた彼に、彼の寝台の中からそんな微妙な言い回しで謝ると。苦笑一つで受け入れてくれた。

「あの子、彼氏が逆玉を狙って自分と結婚しようとしてるんじゃないかって随分不安みたいだったから」
 ついつい余計なことをしてしまった、とコンラートが追い付くまでの宝飾店でのやり取りを語っていたら。
「あなたは?」
 隣からさらりと問いかけられる。ユーリは寝返りを打ってコンラートの方を向き直った。
「うん?」
「俺が王宮内での立場のためにあなたと――と、そんな不安にはならないんですか」
 コンラートの眼は笑っているけれど、こんな試すようなことを聞いてくるのは。やっぱりまだ指輪を失くしてしまったことを許していないんだろう。いい年して恥ずかしげもなくロマンチストな男だから。
 馬鹿。だけど睦言の代わりに何度でも言ってやる。
「おれはもっと利己的だよ。たとえあんたが打算でおれと付き合ってくれてんでも、あんたとこうしていられるならそれでいい」
 コンラートの薄い唇を指でなぞる。形を確かめるように滑らせて。
 自分のこの気持ちを打算だなんていうのかと、口にしかけたのをユーリはその指で止め。
「知ってるよ」
 下唇を押し開くように潜り込ませた。
「だから例えばの話。今更あんたの気持を疑ったりしないよ――ってかそれよか厄介じゃないか、あんたは。俺はあなたには相応しくないとか何とか、自己完結して逃げ出すくせして」
 過去のあれこれを当てこすってやると、コンラートは気まずげに目線を逃す。
 安定した強い精神を持っているようでいて、自分とのプライベートな関係においてこの男はとんでもなく駄目なのだ。
 剣戟の場や職務においては正確に自分の技量を量るくせに、こと、自分との恋愛においては随分自己評価が低くなるらしく。いっそ卑屈なくらいに思いつめてユーリの前から消えようとしたのは一度ではない。むしろそうやって逃げ出して、ユーリに追いかけてもらうことで自分の価値を確かめているのではないかと、言ったのは誰だったか――。
 いくら彼の逃亡の理由が自分への愛情の裏返しだといっても、そんな男を追いかけ連れ戻すのは半端なく自信と勇気がいる。もういっそ、コンラートが自分を嫌っているとしても逃せない位に執着しているのだと、そういう風に思い切った方が楽なくらいに。
 初めてお付き合いした相手がこんな面倒臭い男で、いろいろ思い詰めもしたし泣きもしたけれど。
 迷いながらも追いかけていけたのは、この男が本当は自分をどう思っているのか、何処かで知っていたからなんだと。未だに目にすれば熱の上がる銀色の光彩を覗き込んで思う。
 まだまだ自分達も若くて――ってもコンラートは既にいい大人だったか――持て余した愛情で互いに傷つけ合いながら深めあっていった日々は、記憶の中で甘酸っぱい。
 所詮自分とは違う別の個体なんだから、完全に分かり合えなくって当たり前――そう自然に思える程に馴染んだ。だけどそれは大切な部分を分かり合えているからこその余裕だ。そんな今を随分と嬉しく感じながら、しるしを失くした指を含んでいた唇にキスをする。
 まだ湿っている髪を梳き上げて、彼の弱い地肌を指でくすぐれば、合図を了承したかのように抱きしめられる。 

 上になって腰を振る。寝台のばねの力を借りて揺らしていると、ぬめった音とか、呼吸とか、膝の摩擦とか――そういった一定のリズムで繰り返す感覚が酔いにも似た惑乱をもたらす。
 乱れるこの姿を見つめる瞳が、また。腰の線をなぞりながら見上げてくるコンラートの目が甘くて、悪酔いしそうだ。
 熱まで持ちそうな擦れる感覚に集中していると、その自分を貫いている杭が、更にきつくなったのを感じた。それに背筋を震わせるのは恐れではなくて期待のせい。たいがい慣れ合ってしまった身体はこの先の、我を忘れるくらいの快楽を予期して、それだけで体温を上げる。
 不安定な動きに縋るものを求めて伸ばせば、下から手を差し伸べられた。指を絡めて手を握り合って、より、繋がっていると感じて。きゅうっと力を込めたら指の間に挟まった彼の指輪が痛くて、それにすらまた満たされる。
 口元が綻んだのは満ち足りた心と身体が幸福感を覚えて。なのに、それを目にしてスイッチが入ってしまったらしい男に腰を抱えられると、繋がったまま押し倒され。主導権を奪われて、されるがままに掻き乱される。
 あがる息を吸い取られ、もどかしい胸の先を擦りつけて、満たされる先からまた餓える感覚を追い求める。
 うねる筋肉から手を剥がして、覚束ない指を、噛み締めた歯の隙間に潜り込ませた。
 薬指の熱く濡れた感触が、コンラートの性器を飲み込んだ自らの奥を連想させる。猥らな錯覚に溺れたまま、ぬめる舌に指を絡み合わせ。溢れた唾液が手を伝うのにさえ感じた。
「噛んで」
 吐息だけで告げた言葉は耳に届いたらしくて。根元のあたりにきりりと歯が当てられ。心臓を鷲掴みにされたような切なさは、全身に行き渡って、全部を震わせる。

「でも――いつかは辛くなって耐えられなくなるのかもしれないな」
 抱きしめていた腕が、まだ眠っていなかったのかと、背を撫でる動きを再開した。
「何がですか」
「あんたがおれと打算でこうしてくれてるんでもいいってハナシ」
「まだそんなことを」
 自分の愛情の存在を無視する例え話に、コンラートの声が嫌そうに歪む。それを喉の奥で笑って。
「テンション高いうちはいいだろうけど。すり減ってきたら。たぶん、我慢できなくなる」
 一人の熱量だけではいずれ破綻してしまうんだろうと呟いたら、だけど、と幾分眠そうな顔になったコンラートが続けた。
「それでもあなたは」
「うん、それでもいいんだろうな。わかってても。今、こんな風に愛し合えるならそれで」
 利己的な上に刹那的だから。
 コンラートは背を撫でていた腕を外し、もぞもぞと身体を動かしてユーリをより深く抱き込む。いよいよ寝に入るらしい声がつむじに落とされる。
「でも――その刹那の間に、すっかり誑し込んでしまうんでしょう」
 打算で付き合ったことはないけれど、誑し込まれた覚えなら山ほどあるらしい。
 ちょっと笑ってユーリも目を閉じる。
 熱をもった薬指がズキズキと痛みを訴えている。つい、盛り上がったままやってしまったけれど。これはやっぱりマズイよなぁ。
 呼吸に合わせてゆっくり上下する胸に擦りついていると、すぐに眠りはやってくる。とろりとしたそれに絡め取られながら、いつもは指輪が填っている左の薬指の、くっきり並んだ歯の跡を思い描いた。かなり強く噛んでできたそれは、周りに痣までこしらえて悪目立ちする。
 大騒ぎしそうな王佐だとか、冷たい視線で非難してきそうな宰相が安易に想像できて気が重いのだけれど。こういった傷は自分の魔力でも治せないのだ。
 ――こういった、本当は消したくないなんて思っている傷は。
 困ったばかりでない溜息を最後に、寝息に変えて。静かになった護衛の部屋の、夜は深々更けていく。


End


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