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陛下の恋愛相談室

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 血盟城の足元に広がる眞魔国最大の都、その中でも最も華やかな通りにその宝飾品の店はあった。
 誰もが羨望のため息とともに口にする店の名。最高級の称賛をほしいままに集め、王室にも品を納める老舗だが、意外にも店舗はそう大きなものではない。
 これ見よがしに宝石が並べられているわけでもなく、接客用の椅子と小卓が配されている様は店というよりサロンのようでもある。それはこの店を訪れる者はたいていオーダーメイドで、更にこの店の顧客を占める客たちは、自ら出向くより屋敷に呼び寄せることがほとんどのためだ。
 その日、店の重厚なドアを潜ったのは、上質だが簡素な身なりの初めて見る客だった。
 いらっしゃいませ、と出迎え、ケイティはその青年の容姿に息を呑む。客に対する態度ではないと慌てて取り繕うが、当年とって八十六歳、花も恥じらう乙女真っ盛りには少々毒な見目かたちであった。
 さらりと赤毛を肩まで垂らして、男にしてはやや細くも感じる顔の輪郭。それが脆弱に見えないのは、きりりと整った眉と力のある目のせいだ。通った鼻筋。形良い唇。商売柄美形は見慣れていても、これはちょっとどころではない美男子だ。
 どこの貴族の使いかと、ケイティは椅子を勧めた。店に出入りする有力貴族の家人は大概知っている。こんな印象的な人物を見逃すはずもないのだけど。
 示された椅子に小さく頷いてかけるさまとか、たち振る舞いは貴族の元に出入りする者らしい洗練されたものではある。しかし、こういう店は慣れないのかどうもさっきから気恥ずかしげな、居心地悪そうな様子。
「ご店主をお願いしたいのだが」
 要件を伺おうと向かいの席に着いたら、青年が慌てた。小娘では話にならないと言うのか。店の者には見習い扱いされているとはいえ、父親が留守の間はケイティが女主人である。
「申し訳ございません。あいにく父は出ておりまして。よろしければお伺いいたします」
 内心の苛立ちをおくびにも出さずに丁寧に告げると、青年は綺麗な眉をひそめた。本当に困った様子なのがまた腹立たしい。
「半時ほどお待ちいただけたら戻るとは思いますが」
 それでも引き留めたくなるくらいは、相手は眼福で。
「じゃあ待たせていただいてもいいかな」
 青年はほっとしたように表情を緩める。そうそう他の者の耳に入れられない話――奥方以外への贈り物だとか――そういう話でも主人から言いつかって来ているのかもしれない。世の女性の大半に違わず、ケイティも男前にはどうも甘くなってしまう。
 お茶とお菓子を持ってこさせると、それを口にする様子も優美でついつい見惚れてしまう。
 青年は伏せた眼をカップからテーブルの上を滑らせ、ケイティの手元に止めた。
「それは誰かからの贈り物?」
 ふわりと上がった瞳は暖かな茶色。怜悧な美貌を和らげて、でも真正面から見つめられると胸は高鳴る。それで、つい、宝石屋の娘なのに左手を覆い隠してしまった。
「そんなんじゃないです」
「あ。ごめん…その…左手の薬指の指輪って――あぁ…すいません」
 プライベートなことを聞いてしまったと、青年は恥じて謝罪する。
「あ、いえ、そんな。本当にそんなんじゃないんです――えっと…」
 宝飾品店で店の者の指輪を尋ねてこの対応はない。たとえケイティには不本意極まりなく付けているものだとしても、だ。女主人なのだというならば、こんなことで私情を持ち出してはいけないと、自分に言い聞かせて笑顔を作る。
「ええ。確かにこの指にするのは大切な人からの愛の証しだって言われてますものね」
 純情らしく青年は頬を赤らめた。
「でも私のは恋人からなんかじゃないんです。その…サンプルみたいなもので」
 そう、商品見本だ。思いついた言葉に苦く笑って。指輪をはずすとクロスで清め、ビロード張のトレイに乗せて青年の前に出した。
「どうぞお手にとってご覧ください」
 将来を期待されている若手職人の作である指輪は、それに付随する思惑さえ無視すれば、鑑賞されるだけの価値のあるものである。
 石は小さなダイヤモンドが埋め込まれているだけで、その値打ちはたいしたことはないのだけれど、土台のデザインがそれを補って余りある。シンプルな曲線を組み合わせて、滑らかで、官能的ですらある造形を形作っていた。限界までそぎ落とした中に生まれる美しさ――そんな感想を抱かせる品だ。
「華やかさには欠けますけれど、ずっと身につけるものならこれくらいの物のほうがいいでしょう?」
 青年がそのカーブを辿って感嘆の吐息を漏らすのを聞けば、誇らしく感じてしまう。それが日頃は忌々しくしか思えないものであっても。
「宝石とかってよくわからないんだけど、これは純粋に凄いって思うよ――」
 ケイティの見た通り、慣れない純朴な発言をして、思ってもみないことを言った。
「でもこうやって見てるより、指に嵌めて完成する形だね」
 指輪なんだから、それはそうなんだけれど。何もわかってなさそうな彼から出たのが意外だ。
「どうぞ。つけて下さって結構ですよ。お客様なら小指なら――」
「いや、やめとくよ――あなたの大切なものでしょう?」
 トレイに返して押しやる。
「恋人に怒られちゃうよ」
 茶色い瞳が笑うから。
「だからそんなんじゃないです」
 またつい声がきつくなった。だけど青年はもう慌てることもなく笑っている。
 テーブルの真ん中、トレイの上の指輪は、青年の楽しそうな視線も、ケイティの苛立ちも知らないように光を弾いている。
「本当に。そんなんじゃないんですよ」
 思わぬ硬さで出た声に、青年は不思議そうに目を向けた。
「だって本当はカレシからのプレゼントでしょ」
「そんないいもんじゃないですよ――いいなずけからですけれど。親が勝手に決めた話ですし」
 忌々しい話に、声は険を含む。
「でも時々、甘ーい顔してコレ、見つめちゃってるよ?」
 思わず客である青年を睨んでしまった。
「それは…純粋にこれはこれで綺麗だし。作った人物はどうであれ、指輪は指輪ですからっ」
 これは常々思っていることではある。こんな忌々しいもの、付けられるかと思っても、単純にこの美しい造形を身に付けていたい誘惑には逆らえないのだ。それに、さっきこの青年が指摘したとおり、この指輪は指に嵌めた時にこそ本当の価値がわかる。
「ふーん。いいなずけって人が作ったんだ。自分で作ったの贈ってもらうってロマンチックだなぁ」
「だって職人ですから――それ以前に親が決めた結婚相手なんて、全然ロマンチックじゃないですよ」
 血統を気にする貴族ならまだしも、そんな前時代的なこと。
「そっかなぁ。そのフレーズに憧れる人って結構いると思うけど」
「それはいいなずけって言葉に付いてくるハイソなイメージにでしょう」
 確かに、と青年は苦笑で頷く。
「自分の人生なんですから、結婚相手くらい自分で見つけます」
 きっぱり言ってやったら、青年はまた不思議そうに眉をひそめた。難しい顔のままケイティを見て。
「ねぇ、そのいいなずけの職人さんって、どんな人?」
 唐突に踏み込んだ質問が来た。でも彼とはこの店の工房に入ってきてからの付き合いだ――甘い意味でなく、単に同じ店の者として。答えは考えるまでもなく出てくる。
「真面目ですよ。仕事熱心だし。むしろ仕事バカ? 根っからの職人ですね――口下手なのも、人付き合いが苦手なのも。作るものは繊細なのに、身の回りのことに関してはズボラで。新しいデザインが浮かぶと本気で寝食忘れるから、気を付けておいてやらないと時々本当に倒れるんです。なりだって元が良いくせに全く構わないから、垢抜けないし。こんなの作るんだからセンスが悪いはずないのに」
 洗練された線を目で指して顔を上げたら。青年が似合わない笑みを浮かべていた。…いや、似合う、か。人の悪さを垣間見るような。ひどく気まずくなって目が彷徨う。
「何。親の言いなりになってるみたいだから厭だって?」
 声質はさっきまでとなんら変わらないのに、そこに含まれるのは甘い毒だ。
 何もかも、この青年に見透かされている気がした。美しさだけを愛しんでこの指輪を身に付けているのだと言いながら、それだけではないこと。親が勝手に決めたことと拒絶しながら、深いところにある本心は裏腹なこと。
 強気な顔の下に隠してきた不安や恐れは、強く封じていたからこそ、綻ぶと溢れ出す。苦い苦い思いが喉を焼く。小さなため息を先触れに、戒めてきた不安な思いはするりと出る。
「だって。彼だって、父に言われたから私と結婚しようとしてくれてるだけかもしれないし」
 今まで誰にも言わずにきた、そんな不安。それをあざ笑うかの如くに、意地の悪い言葉を投げられる。
「逆玉だし?」
 返事もできずに息をつめる。
 自分はこの店の跡取り娘で。彼は腕も才能も期待されているけれど所詮一介の職人で。彼がいくら朴訥な人柄だと言っても、そこにある種の思惑が絡まないはずが…。
「いいじゃん。それでも。あんたその人のこと、好きなんだろう」
 暖かな印象だった茶色の瞳が、ふいにガラス玉のように見えた。背中を走った悪寒に、知らず二の腕を擦った。
「ラッキーじゃないか。相手が自分のこと好きでなくっても、結婚してくれるってんだから」
 ぞっとする言葉を歌うように続けて青年は笑う。綺麗に綺麗に――禍々しく。
「考えてみなよ。彼が、自分以外の誰かと結婚するところ」
 これ以上この青年と話していても自分が傷つくだけだと思ったけれど、耳に入る言葉を考えずにいられない。
 彼が、私以外の、誰かと。
 まさか。だって彼は私と結婚したらこの店の入り婿で。仕事に夢中になると食事すら忘れる彼に弁当を差し入れるのはいつも私で。人見知りのひどい彼がぽそっとでも冗談言ったりできる相手は私くらいだし。
「無理よ。あの人、私がいなきゃ人として生きていけないし」
 乾く唇を湿し、震える声を押し出す。
「ふーん。でもまぁ、あんたがその彼のまともな生活のために犠牲になることもないじゃないか。じゃあ、自分が…なんだっけ? 親が決めたんじゃない、だっけ。その職人の彼じゃない人と添い遂げるところは想像できる?」
 その一言一言がこの身に刺さる。膝の上の指が、スカートに皺を作る。
「たとえば俺なんか。家柄――はどうか知らないけれど、そこそこの地位にいるし。逆玉とか思い煩わなくって良いよ?」
 売り物の宝石のような硬質で美しい青年を見つめる。胸の裏あたりが冷えるけれど、やさしい声。とっても綺麗だけれど――。
 ケイティはかぶりを振った。駄目だ。心が動かない。
 切ないくらいに何かをしてあげたくって、無愛想なんだけれど、たまに見せてくれる笑顔が嬉しくって。
 あの視線を受けるのは私だけだ、と――
 自分でも思ってもみなかった執着に頭の芯が痺れた。
 そうだ。私はあの人が好きなんだ。彼以外は欲しくないくらいに。 
 じわりと熱くなった目元を瞬きで誤魔化して、目を上げたら。さっきまでのが冗談だったかのような、穏やかな表情を浮かべた青年がいた。
 トレイの指輪を手にとって。
「ほら、裏。好きでもなかったらわざわざこんなん彫るか?」
 温みの戻った声が笑う。
 眞王の名に懸けて――細い指輪の内側に並ぶごく小さな文字。
「好きな人と結婚するんでしょ。細かいことぐだぐだ考えてたら、大きな幸せ見逃すよ――あなた自分で言ったじゃん、口が上手くないんだって。判ってんなら汲んであげなきゃ。で、変な考えに嵌り込む前に時々ねだってみなよ、好きって言ってって」
 茶色い瞳を悪戯っぽく眇めて。先程までの濃い空気は錯覚だったみたいに。ケイティはただ不思議で目の前の美青年を再検分した。本当にこの人は。一体どこの使いなんだろう。
 そんなケイティの戸惑いまでを理解しているかのように青年は片眉持ち上げて、すっかり冷めたカップを口に運ぶ。
 代わりを店の者に言いつけようとしたところに、新たな来客があった。
 ダークブラウンの髪を短く整えた壮年の男で、先からの青年といい、今日は男前がよく来る日だと思うともなしに考えた。軍装ではなかったけれど、伸びた背と身のこなしは軍人なのかもしれない。
 男は自分の前に座る青年を目に入れてまっすぐこちらに向かってくる。青年はと言うと、盛大に眉をしかめた仏頂面になって――が、何処ともいえず甘いものが滲んで。


  □  □  □  □  □


 眞魔国軍の最高司令官は間違いなく自分のはずで、なのに、なんでちょっと城下に出るときの警護の兵すらままならないのか。ユーリは憂う。あっさりチクってくれた者たちに店のウインドウ越し恨みがましい視線を投げつつ、その一方で完璧に兵士を手中に治めている臣下を頼もしく思ってみたり――まぁそれは単なるのろけだ。
「で、あなたは何かお誂えものですか」
 そばまできたコンラートが問いかけながら、ちらっと何もない左手に視線を落としたので、聞くまでもなく答えは判っているのだ。
 ああそうだよ。
「朝、目ぇ覚まさせようと思って風呂入っててさ――きつかったから外したらうっかり手滑らせちゃって…」
 この身は彼のものだという所有のしるしの指輪は排水溝からスタツア。ただし行先は地球じゃなくて排水管のどっかか下水道のどっか。
「二日酔いでむくむまで飲むからですよ」
 呆れた物言いには、やっぱりわずかながらの棘が含まれていて。
「ついでだから二つ程作っておけば如何ですか。どうせまたすぐ失くすでしょう」
 そんな嫌味にも反論できないのは、物の扱いの雑さには自信があるからだ。
「だけどこんな戒めがなくったって、俺はあんたんだぞ」
 押されっぱなしの形勢逆転を狙って、そう落とした声で告げたら、知っています、としれっと返された。だけどその声はすました表情を裏切ってひどく甘い。
 面映ゆい思いを奥歯で噛んで、前を向き直る。
 せっかくここまで来たのだから当初の目的は果たして帰りたい。
 ついでに同じものを、もういっこ。かな。
 あ、と思い立ってユーリは年若い女主人に尋ねる。
「指輪の裏に文字ってさ、何文字くらい彫れるのかな?」
 指折り数えながら呟く。
 ひ・ろ・っ・た・ひ・と・は・シ・ブ・ヤ・ユ・ー・リ・ま・で


End


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