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だけどへなちょこなりの矜持

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「また行方不明だって?」
 ユーリはシンニチの一面を弾いた。
「今月に入ってもう三人目ですね。王都警備隊も五十人体勢で対応していますが。ここまで捜査の網に引っ掛からないのは、犯人が非常に用心深いこともですが、ごく少人数による犯行なのではないかということと…目立つ外国人だけの手によるとは考えにくい」
 それはユーリも考えていたことだった。魔族と人間の共存共栄はユーリの理想だが、犯罪組織のグローバル化なんてのは望まない。 「捜査の指揮は確か…」
 コンラートが頷いて若輩だが切れ者だと評判の中尉の名を口にした。
「そっか。なんか困ってるようだったら上手くフォローしてやって。それと――事件の解決はもちろんだけど、風評で妙な空気にならないように気をつけといて。人間への排斥運動なんて起こったら目も当てられない」
 ユーリの危惧が解るだけにコンラートは神妙に了承した。
 世論を操作するわけにはいかないが、安易な方へ流れて余計な禍根が生まれるのを放っておくなんてのも出来ない。
 百年余り前までいがみ合っていた二つの種族は、ユーリの治世になって急速にその距離を縮め始めた。魔王のお膝元である王都に至っては、国外からの商人の姿を見かけることも珍しくはない。
 国家単位でなく経済レベルでの交流が盛んになって互いの種族の友好が深まれば、魔族が忌避すべきものではない解ってもらえるようになった。
 それは全く喜ばしいものであったのだが。今回の一連の魔族誘拐事件はそれ故でもあった。
 魔族を恐れ忌む必要はないと理解されたら、今度はその人間離れした容姿が注目され始めた。――人身売買組織、なんて存在が噂されるようになるくらいに。
 ユーリの民を略取してモノのように売り買いするなんて。反吐が出る。同時に、そんな奴らに、これまで築き上げてきた魔族と人間の信頼関係を踏みにじられるのは、許せなかった。


 いくらあの連続誘拐事件が気になっていたからと言って、自分が囮になって事件解決!なんて考えていたわけじゃない。断じてない。流石にそれは守備範囲が違う――ユーリの身体が自分だけのものではない、必要以上に危険に晒すわけにはいかない、なんてことはよぉく解っていた。
 だけど。巻き込まれちゃったんだもんね。
 専属の腕利き護衛を残して城下に出てきたのも、これだってタイミングが悪かったとしか言いようがない。
 後をつけられていることに気が付いたのは、残念ながらユーリ自身ではない。距離を置いてついて来る筈の影供達が視界の中に現れたからだ。何を警戒しているのかと不審に思って、それで、二人組の男に尾行されているのだと気が付いた。
 ふらふらと街歩きを楽しんでいるふりで様子を伺う。
 違和感を覚えるのは、魔王を狙うにはお粗末なコンビだからだ。いくら隣にコンラートが居ないと言っても、実際、護衛が付いている。魔王を害しようとする者がまさか予想しない筈がないだろう。なのに、こう言っちゃなんだが、後ろからついてきている彼らは素人だ。荒事には慣れているのかもしれないが訓練を受けた感じがしない。もっとも、優秀な武人ならばそれすら装うのだと知っているが。
「なーんか違うよなぁ」
 口の中で呟いて、すれ違う女性を振り返るふりで後ろを伺った。
 だったら単なる一個人としてつけられているのか。こっちはもっと不可解だ。お忍びでたまに現れる亡霊のようなユーリの存在が、どこかで禍根を残しているとは考えづらかった。
 思い浮かぶのは王都を震撼させているかどわかしだが――そんなにウマイ具合に自分に当たるのか?という疑念と、見目良いのが狙われているという情報がせめぎ合う。自分の顔にどういった感慨もないが、いい加減、この世界では受けるというのは了承済みだ。
 それにしても。一口に王都と言ったって広い。その中でばったりユーリが誘拐犯グループに遭遇だなんて。一体どんなトラブルホイホイ。
 小さく頭を振って考えるのを止めた。深く突っ込んではいけないところだ。
 ユーリは食堂の店先に書き出された出されたメニューを覗きこみしな、護衛の一人と視線を絡めた。今日の護衛の部隊長だ。顔をひきつらせて必死に止めてくれと懇願するのに小さく笑った。
 ごめーん。けどだいじょうぶ、むちゃしないからー。
 わざわざ人気のない路地を選んで入っていくと、不審者達の鼻息が荒くなったのが判った。同時に護衛たちが殺気立つのも。それはもう、気付かせて犯行を断念させようという勢いで。
 だが残念ながら、二人組は気が付かない。徐々にユーリとの距離を詰めていく。
 路地が次の通りに出る手前だった。辺りの緊張を破って男たちがユーリに襲いかかった。みぞおちを殴りつけられる衝撃に息が詰まる。えずきそうになるのを堪えて、まだ手出しするな、と必死に後ろに合図を送った。あんたらが忠誠を誓うのは、おれか?ウェラー卿か?どっちだ!と気迫を込めたら、身を震わせながらも止まったから。まだ魔王の権力は生きているらしい。
 ドカドカと乱暴な音を立てて目の前の通りに箱馬車が横付けされる。中から更に男が現れて、殴られた腹を庇ってくの字になったユーリを荷物のように抱えて乗り込んだ。扉を閉めるのも早々に走り出す。
 尾行はお粗末でも犯行は手慣れたものだった。目撃者が極端に少ない理由を理解した。まさに慣れ、なのだろう。一連の事件と思われる行方不明者は七人。ユーリを入れて八人だ。
 殴られた腹が軋んで呼吸もままならない。抵抗する気もないがその猶予すら与えずに両手が拘束された。手首に熱いような、寒気がするような、大層不快な感触がしてその手鎖がただの金属でないことを知る。
 魔族の見てくれが魔力と比例することが多いのを考えたら、法力で封じる措置は当然とも思えた。
 冷や汗をかきながら転がされた目の前には足が三人分。御者を入れても四人。
 どれも変わり映えしないゴロツキ風。すさんだ生活を物語ってか草臥れてはいるが、まだ年若そうだ。
 あまり国際的な犯罪を組織しそうな感じではない。下っ端の実行部隊で、国外に連れ出して商売している奴は別に居るだろうという予想は正しそうだった。
 だからと言って魔王自らが潜入する理由には…ならないか。
 早い内にラスボスに出てきてもらわないと、痺れを切らした護衛たちが踏みこんできたらユーリは殴られ損だ。なんて呑気な思考は、だが殴りつけられたショックと徐々に力を奪っていく手枷によって曖昧になっていく。だからといって国外に売りとばされたり殺されたりするのは御免だけど、と思った辺りで意識が途絶えた。
 

 騒々しい。笑う声と泣く声。
 あまり品の良くない男たちの笑う声と、若い女の泣き叫ぶ声だ。不快に感じたのはそれだけではなく、実際吐き気がする。寒気もして身体が痛い。
 動かない手足は、手首を拘束されて床に転がされているからだと気が付いた。
 ああ、潜入に成功したんだっけか、と目に映る物を把握したら、こちらに背を向けている男たち越し、床に引き倒されている女の子が居た。
「何してるんだっ」
 思わず叫んで一斉に視線が向けられる。手前に二人。奥に三人。女の子を押さえつけてるのが一人。
 一様に浮かべられた嫌なうすら笑いに、かっと腹の底が熱くなった。
「クズなことやってんじゃねぇって言ってんだよっ」
 大きな声を出したら腹が引き攣れて、さっき殴られたことを思い出す。だけどそれよりも。軽い足取りで近づいてきた一番手前の男が、そのままユーリの顔を蹴り上げた。
 頬をえぐられるような痛みと衝撃。
 身体中の血管が収縮して血の気が引いて、神経がぎゅっと縮こまる。暴力にさらされた時の本能的な恐怖に、全てを根こそぎ持っていかれそうになる。
 最初のショックが蹴られた箇所の強烈な疼きに駆逐されると、戻ってきた身体感覚と共に怒りは再燃するけれど。
 口の中を切ったせいで喉に流れ込んできた血に噎せる。苦しいのと痛いのとでまた意識が遠のきそうになる。
「こいつ。結構エロい顔してんじゃねぇか」
 のたうち回っていた肩を踏みつけられたら、さっきまで女の子を組み敷いていた不精ひげの男だった。
「これだったら行けっかも」
「綺麗な顔してるけど男だぜ」
「宗旨替えかよ」
 口々にはやし立てるのにぞっと肌が粟立つ。
「だってよぅ、商品壊しちまったら分け前から天引きされるだろ? この野郎だったら丈夫そうだし」
「けど野郎のケツの穴とか萎えるわ俺」
 どっと馬鹿笑いが上がる。
 だったら萎えといてくれ。無駄におっ立ててくれるな。こみ上げそうな諸々を飲み下して、まだ感覚の戻りきらない歯を食いしばる。きつく。でないと無様に震えそうだった。
「俺もケツは無理無理。でも口でだったらどうよ」
「食いちぎられるぞ」
 ひやかす周囲に不精髭の男はニヤッと笑ってユーリを覗きこんだ。
「なぁ、お前、あの女助けてやりてえんだろ? だったらお前が代わりに楽しませろや。な?」
 肩を踏んでた足が外れて、襟首を掴んで引き起こされる。殴られた頬がずきずきしてぐらっと目眩した。顔を向けさせられた先には床に転がされたまま震えている少女がいた。
「おかしなマネしたら、あの女、二度と立てねぇようにしてやっから。もちろんお前は即、殺すし。わかったな?」
 わかったも何も。選択権ないじゃないかと思う間もなく。ごつい手で頬を張られた。じーんと耳鳴りがして倒れ込む。手を拘束されたままなせいでひどく肩を打ちつけた。きつく瞑った瞼の裏が真っ赤に染まった気がした。蹴られたところも殴られたところもじんじんして顔がふたまわりも腫れたように感じる。
 謂われなく振るわれる暴力も悔しいが、それに怯んでしまう自分が更に悔しくて。だから感情を溢れ出してしまうわけにはいかなかった。浅い息で必死に散らしていたら、また髪を掴んで引き起こされた。
 鋭利な白いものが視界を掠めて、冷やりと喉元に当てられた。ナイフを突き付けられているのだとわかったけれど、すでに抵抗する気もなかった。
 おれは無傷で助け出されなければいけないから。こいつらの暴力に屈したわけじゃない。ユーリは呪文みたいに心の中で繰り返し続けた。


 拉致されたのが食事前だったおかげで嘔吐せずにすんでいるが、吐くものがない苦しさに苛まされてはどっちがよかったものやら。
 痛い。苦しい。感覚のほとんどはそれで埋められている。
 法石を練り込まれた思しき手枷は、冷え切った金属のように体温を奪い続ける。逆に殴られた箇所は熱っぽく、ずっと痛みを訴え続ける。
 それらに身を任せて横たわっていたら、ドアの開く音と空気が流れる気配がした。ひとつも窓が切られていない構造とカビ臭い臭いから地下室だと当たりをつけていたが、閉じる扉の向こうに昇り階段を見つけて確信を得た。
 入ってきたのは他の奴らとは違って小奇麗な身形の男だった。羽振りのいい商人風。それまでだらだらと酒を飲んでいた男どもが急にしゃんとした。
 男は不精髭に連れられて近づいてくる。
 こいつか。出てきたなラスボス。
「ほら、こいつだよ。どうだい、滅多にない上玉だろう? 言われてたのは女一人だったが、見逃すには惜しいだろう」
 自慢げな髭の台詞に推定ラスボスはユーリを覗きこんで、ほう、と感嘆の声をあげた。
「だが、折角の顔をこんなに殴っては台無しじゃないか」
 と外国風のイントネーション。 「まぁ、それはちょっと大人しくさせんのにしようがなかったんだよ。どうせあっちに着くまでにはきれいに治っちまうだろ」
「最近港の警備が厳しいからな。国外に持ち出す段取りをつけるだけで一苦労だよ」
 ユーリがラスボスを推定から確定に昇格させていたら。にわかに外が騒々しくなってきた。
 続く破壊音とともにドアが打ち破られた。そこから雪崩のように兵士が飛び込んでくる。
 ああ、最高のタイミングだよ。深い安堵と満足に涙がこぼれそうになる。
 舞い上がるほこりに目を眇めながらも王都警備隊の中に彼の姿を見つけた。彼もユーリを捉えて目が合うと。ユーリですらぞくぞくする凛々しい表情が揺らいだ。
 笑ってしまったのは安心したせいもあるけれど、コンラートが動揺するのが珍しかったからだ。だけど。
「ごめん。あんたが居ないとこで無茶して」
 駆け寄るコンラートに腫れた頬に顔をしかめながら謝ったら、そうっとユーリの身体を抱き起こしてくれながら。
「本当に。もう二度と俺を置いていかないで」
 コンラートは泣き笑いのような顔をした。ユーリもかなり反省するところではあったので、神妙に頷く。少なくとも今は、もうこりごりだ。
「腹、殴られたのが気持ち悪い。あいつら当て身も上手く出来なくて最悪」
 法力仕込みの枷を外して貰ったら、そんな憎まれ口を叩くくらいの元気も出て。抱いて行こうとされるのを丁重に断った。ゆっくり手を引いて立たせてもらっても、ふらつきもしない。
「大事ございませんかっ」
 声を掛けてきたのは指揮官と思しき青年だった。見覚えのある顔にこの事件の実質責任者であった中尉だと思い出す。
 人身売買組織を一網打尽でもっと晴々しい顔をしていいはずが、すっかり青ざめているのは――。
「あー…えーっと。ねぇ?」
 ユーリの意を汲んでコンラートが頷いた。
「彼はミツエモンという織物問屋を営んでいる者だ。貴殿の救助に大変感謝しているということだ」
 しゃあしゃあと言ってのけるのに、中尉はぱくぱくと酸欠の鯉みたいに喘いで、それから黙って最上級の礼を取った。
「そんなことしちゃあダメじゃん」
「無理もないですけどね」
 確かに常日頃から王都を徘徊するせいで、彼を含め警備隊には末端にまで面が割れている。
「ま、そういうことで適当に報告あげといて」
 なんて軽く魔王自ら改ざんを指示して、ユーリは戸口に向かった。血盟城への最低限の連絡は行っているはずだが、だからこそ余計に心配させているだろう。傷む身体を庇いながらも、思えば気がはやる。
 縄を打たれた悪党どもも外へ連行されようとしているところだった。あの不精髭の男と目が合った。
 すれ違いざま、ニヤリと嫌な風に口の端を釣り上げられた。
 怒りとむかつきが熱の塊になってせり上がってくる。ユーリはぎりぎりと男を睨みつけた。
 ユーリの様子に因縁は知らない周りの兵士たちも何か思ったらしく、二人を中心に緊張が満ちる。
 だけど、馬鹿らしくなって固めた拳をほどいた。
 いくら腹が立っても捕縛された相手を殴ることに白けたのだ。ここでユーリが私憤を晴らさなくても、今後裁判を経て奴にはきちんと刑罰が科せられる。
 踵を返して部屋を横切り、ドアを潜ろうとした。が、そこでまた足を止め。
 つかつかと舞い戻って、周囲が何かと思う間もなく。
 ユーリは男を殴りとばしていた。歩み寄る勢いをそのまま乗せた拳が鈍い音を立てて、ユーリよりずっと大きななりの相手をよろめかせる。
「ふんっ」
 と、ユーリは鼻息荒く、来た時と同じ勢いでその場を後にした。
「ウェイトの乗ったいいパンチでしたよ」
 戸口で待っていたコンラートが称賛してくれる。
「…やっぱむかついたんだもん」
 案外痛かった右手を擦りながら、どこか言い訳がましく口をとがらせるユーリに「大丈夫です。これも記録には残りませんから」。
 超法規的な発言をして護衛が背中を押した。


 帰ったら、もちろん目茶苦茶怒られた。だけどグウェンダルにもギュンターにも、顔が引きつる位に心配させたのは本当だから、ユーリは誠心誠意謝った。
 そんな魔王を救いだすタイミングでコンラートが報告を持ってきて。
 ユーリ以外に五人が救出されたことと、既に三人が国外に売られていたことを知らせた。幸いその国の王とは懇意にしていたので、ユーリは救出活動に便宜を図って貰うよう親書を出すことを提案し、宰相たちに了承された。
 それからそんな顔では人前に出られないだろうと小言を貰って、ユーリは執務室から追い出された。
 ギュンターが寄越してくれた湿布を貼って貰いながら「実は逆上したあんたが犯人たちから証言取れ無くしちゃったらどうしようって心配してた」と白状したら、「あなたが一生懸命理性的であろうと堪えていらっしゃるのを差し置いて、俺がやっちゃうわけにはいかないでしょう?」と、コンラートは大層複雑な顔をして答えた。
 そのコンラートの言葉に少しの驚きを覚えつつも、しかし完全に理性的でいられなかったユーリは憮然と言い訳する。
「だってオトシマエつけてもらわないと。おさまんないだろ」
 だけどあれでもうケリはつけたんだと。黙々とガーゼの上に軟膏を塗りつけていたコンラートが顔をあげた。コンラートの目の中にあるのは魔王に危害を加えられたことに対する純粋な怒りだけなのか。読み取ろうとして――堪らなくなって目を逸らした。
「おれが汚されたとか思うか」
 まさかコンラートがそんなこと言うはずがないとわかっている。だけど今はきっぱり否定が欲しかった。
「必要以上に憐れむな」
 自分の値打ちは何も落とされてなどない、はずだ。
 きつく握りしめた手をコンラートが取り上げる。それがとても温かく感じて、自分が酷く緊張しているのだと知った。
「そんなことしませんよ。かっこ良かったですよ、あの鉄拳。惚れ直しました」
 コンラートが本当にうっとりしたみたいに、そう囁いてくれるから。
 ユーリは精一杯張り詰めさせていたのを弛めて、弱い部分も曝け出すことができるのだ。


End


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